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「つぶやき」での、お裾分け

noteというものは、記事をはじめとして、何かを表現する場。
と同時に、ちょっとしたコミュニティの色が強い。

毎日ではなくても、よく何かを投稿しているフォロワーさんのことは次第に名前と文体を覚えるようになり、投稿されたものを見るのが楽しみになったり。

「スキ」に、「いい記事でした」だけじゃなくて、「お疲れさま」「頑張って」「わかる〜〜」などなど、いろんな思いをのせたり、コメントしあったり。

いつの間にか、私もそうしたゆるーいコミュニティとしてのnoteを楽しむようになっている。が、はじめたばかりの頃、他人のnoteごしにこのコミュニティ感を察した時は、「ほーん」と言った感じであった。

書きたいことを書き、読みたいものを読む。

馴れ合わなくても、ただそれだけでいいじゃないか。

そんなふうに斜に構えつつも、毎日更新をするようになった。
きっかけは、本当にたまたま。たまたま書きたいことが連続してあって更新が何日か続き、せっかくだし、毎日書いてみるか、なんて思ったのだった。

そうして、ありがたいことに、フォロワーさんの数も毎回のスキの数も、右肩上がりに増えていった。結果、noteの「コミュニティ感」に自然と染まっていった。

……わるくないじゃないか。

会ったこともないのに、親近感のわく人が、たくさんいる。

「今日もこの人書いてくれてる」「わあ、この人久しぶりだ!」「この人、なんて素敵なんだろう」

家と大学の往復の毎日の中で、会える人たちは限られている。でも、noteをひらいただけで、たくさんの素敵な人たちが、そこにいる。確かにそこに生きて、ひとりひとり、思いをつづってくれている。

「馴れ合い」かもしれない。けれど、私は確かに、毎日嬉しさを感じている。ここに馴染みの誰かがいることに、素敵な人に出会えることに、そしてまだまだきっと素敵な出会いが待っていることに。

最近、急に忙しくなってしまった。書きたいことは思い浮かぶも、毎日かかさず「記事」を書く余裕がなくなってきてしまった。

お裾分けしたい日常も考えもほっこりもあるのに、なかなか、それを記す余裕がない。

余裕がないのに、毎日更新をする意味なんてないんじゃないか。もう毎日更新はやめようかな、と思った。

でも。私はnoteに「書きたいことを書き、読みたいものを読む場」としての価値だけじゃなくて、ゆるゆるとしたコミュニティのようなものとしての価値も、感じている。新しくできたサークル機能がなくても、もともと存在している、noteのコミュニティらしい側面。そこに、確かに魅力を感じている。

だから。余裕のない時は臆せず「つぶやき」を投稿することにした。

その心は、当然、毎日更新の「記録」というただの数字にしがみついている面もある。
でも、それだけじゃなくて。毎日、馴染みの方々に挨拶のようなものをしたい。

「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「今日も元気?」「お仕事お疲れさま」「お勉強がんばって」「お料理おいしそう」「おやすみ、いい夢を」

そんな挨拶を胸に、誰かの日常へ思いを馳せながら。

忙しい時は「つぶやき」で、こちらの些細な日常をお裾分け。
友達に、「今日こんなことがあってね」とおしゃべりするような、親しみと「あなたは今日どうだった?」の暖かさを込めての、お裾分けです。

もちろん、来る者こばまず、去る者追わず。
ゆるーくゆるーく、つながったご縁を、楽しみたい。


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