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とっ散らかった自分でもいいじゃない

私という人間は、まあとっ散らかっている(と自分で思う)。

とっ散らかっているというのは、なんというか、矛盾とかどっちつかずなことが多いということで、この人といえばこれ、とか、この人はこうだ、みたいなものが私にはあんまりないような気がしている。

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たとえば、文系か理系か。私個人としては、バリバリの文系人間ですって思っている。高校時代、一番好きな科目は現代文で、数学・物理あたりなんて悲惨な点数しかとったことなかった。

なのに、いまやっていることは理系寄り。一応、文系に属している学問のくせに、フィールドワークとか、アンケートとか、古典を読んで解釈を記すとか、やったことがない。(ちょっとやってみたい) 代わりに、数式を解いたり、プログラムを書いたりしている。

だから、「文系大学院生」のくくりに自分が入るのか、よくわからない。文系と理系のはざまで、宙ぶらりんな状態だ。

ものの好みに関しても、とっちらかっている。
すみっコぐらしとか、コウペンちゃんとかの、”かわいい”ものが好き。パステルカラー+紺の組み合わせが大好きで、洋服とかもふんわり淡い色をしたものに紺を合わせるのがとにかく好き。俗にいう、”女の子っぽい”だ。

けれど、そんなふんわりとした洋服を着ている私の髪型は、結構ボーイッシュめのショートカット。そう、髪型に関しては、短めの、”男の子っぽい”(男の子よりは長いんだけど)ものが好き。その髪型に合う、ボーイッシュでラフな服装も好きなのだ。

だから、洋服ダンスの中も一貫性がない。持ち物についているすみっコぐらしのキーホルダーと、服装が合わない日もあったりする。

性格だって、やっぱりとっ散らかっている。
のんびりまったりで、朝とかものすごくだらーとしているのに、パソコンの反応が遅いのは待てないし許せない。ここだけやたらとせっかち。
部屋の掃除や片付けなどはそこそこしっかりしているし、生活をきちんと送ろうという意思もあるのだけれど、食事の栄養バランスはいい加減(よくない)。気にかけるのが面倒なのだ。

面倒といえば全体的に面倒くさがりで大雑把な性格なのに、血液型はA型で、「几帳面でしょ」と初対面の人には言われる。(けれど仲良くなるにつれて、察してくれる)
臆病で、泣き虫で、怖がりなのに、ふいに行動力を異常に発揮して、原発事故の影響が残る福島県の楢葉町を訪れたり、劇団を立ち上げたり。(いずれも大学時代の話)

だから、なんかもうよくわからない。

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と、まあ、とっ散らかっている私なのだけれど、たぶんきっと、みんなだって大なり小なりとっ散らかっている。

自分の一面を切り取って、見せる場を選んだ方がきっとわかりやすいこともあって。それはnoteでも同じなのかな、と思う。
自分のnoteを見返すと、わかりやすいテーマとか一貫性がなくて、ちょっと”人となり”がわかりにくいなと思ったりする。

でも、まあいいか、と、面倒くさがりの私が顔を覗かせるから、とっ散らかった私のまま記している。このとっ散らかりっぷりも私なのだから、と。

昔は、たくさんの”よくわかんないな”が存在する、細々とした矛盾のある自分があまり好きじゃなくて、”私はこうなのだ”と決めつけたかったけれど、最近はそうは思わない。
矛盾あっていいじゃん、いろんな面ある人間って面白いじゃん、みんなもきっと程度は違えどおんなじ感じだよ、なんて気楽に思って、自分のとっ散らかりも悪くないじゃん、なんて思ったりしている。


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