粗末なデータで作るカレーの味は
目の前には、たんとお野菜が盛られている。
安いよ、安いよ。五百円でいくらでもここから取っていっていいよ。
たまねぎ、にんじん、じゃがいも。
やったあ!おうちにあるお肉と合わせて、食べたかったカレーがたくさん作れるぞ!
袋を手にし、あれやこれやと袋いっぱいにつめて大満足。
と思ったのに、家に帰って、なんだこれ。
ずいぶんと古くなり、虫にまで食われたものばかり。
これじゃあ、お料理になんて使えない。
あんなにたくさん取ってきたのに、全然カレー作れないよ。
*
そんな状況に置かれている。何の話かというと、カレーではなく、自分の研究の話だ。
目の前に、たんと盛られたお野菜ーーもとい、データがある。
ぱっと見る限りだと、本当にたくさんある。
「やった!たくさんある!」
詰め放題の山に歓喜するのとおんなじ気持ちで、データをダウンロードする。
「これでこんな分析ができるぞ!」とわくわく。このわくわくは、「これでたくさんカレーができるぞ!」のわくわくとおんなじものだ。
そして持ち帰って、よくよくお野菜(データ)を観察すると、穴ぼこあいて虫くっているところ(データのない部分)が大半だったりする。
はあ。こんなに穴だらけじゃ、思ってたもの作れないよ。
そうして、落ち込む。カレー食べたかったのになあって。
*
そんな「詰め放題の野菜を持ち帰って、家でよく見たらダメでした」を、3度くり返している。
おかげで、3日あればできるだろうと思った作業に2週間かかっている。
本当に詰め放題の野菜の状態が悪かったら、八百屋さんを責めればいい話。
けれど、「データ」というものの状態の悪さについては、なかなか作り手を責められない。作ることが難しかったりして、これが限界ということも多いからだ。
(でも、明らかに嘘ついて適当に作っていたら、それは当然問題だ)
「データがない」は、仕方のないことで、よくあること。
そして、材料が満足にない状態でいかに美味しいカレーを作るかが腕の見せどころ。
……わかっちゃいるけれど、難しい。
「もういやだー!」とさじを投げたくもなる。集中力は如実に下がり、現実逃避のTwitterがはかどる。
でも。この苦難を乗り越えた先で、とびっきり美味しいカレーにありつける可能性が1%でもあるなら、賭けてみても悪くはない、気がする。
ああ、おなかがすいた。
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