【記事紹介】『買い占めに走る消費者は「間抜け」なのか?』
この件について、何かいうことは避けていた。
けれど、自分の専門に近いことで、いささか不適切な情報が流れている。
そんな状況を知りながら何も行動せずに黙っているのは、大学院生としてよくないかもしれない。
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新型コロナウイルスに関する一連の騒動の中で、「買い占め」という現象が問題視されている。
そんな「買い占め」について、経済学の中の”ゲーム理論”という考え方を使って説明している記事がいくつかある。
こうした中で、一言だけ、私の信条を言わせてください。
自分の専門外の学問・分野の話は、その道の専門家やプロに任せる。
人々が混乱し、騒ぎとなっている状況だったら、なおさら。
不必要に専門外のことに口をはさんで、人々に誤解を与えたり、人々の行動に影響するようなことがあってはならない、と思っている。
「適切にわかりやすく書いている専門家」がいるにもかかわらず、「適切でない、非専門家の書いたもの」も多くある。間違ったこと書いてあったりする。それが、悲しい。
非専門家の適切でない記事が出てくるのは、「適切にわかりやすく書いている専門家」の存在が十分に知れ渡っていないからなのではないかな、と思った。
きちんとした専門家の声、できる限り多くの人に届いて欲しい。
だから、微力すぎるけれど、記事を書くことにした。
といっても、私は経済学の大学院生だけれど、ゲーム理論の専門ではない。
だから、自分で解説するかわりに、「適切にわかりやすく書いている専門家」の紹介(と、少しばかり言葉の噛み砕き)をさせてください。
長い前置きとなりましたが、少しでも「適切にわかりやすく書いている専門家」の適切な記事が多くの人に広まりますように。
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安田洋祐先生という、大阪大学大学院経済学研究科の先生がいる。
テレビにも出られたりしているので、知っている方も多いかもしれない。ゲーム理論などを専門として、バリバリ活躍されていらっしゃる、すんごい先生だ。
この先生が、TwitterやWeb記事で、「買い占め」についてわかりやすく解説してくれている。
(1ページ目の話は、ゲーム理論をかじったことのある人向けかと思いますので、「間抜けなのかどうか」を知りたければ、飛ばしても良いかと。)
少し長い記事&専門用語がでてくるため、要約(になっているのかわからないけれど)と、噛み砕きをさせてください。
以下、緑の四角は、上記記事の引用です。引用内の太線は、私がつけたものです。
(なお、要約や噛み砕きの際に誤りがあった場合、それは私の責任です。コメントなどでご指摘くださいませ)
省いた事項などもありますので、是非、上記の記事本編もご覧ください。
安田先生に乗っかる形で、すこーし偉そうに長々と語りますが、ごめんなさいね。
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”間抜け”だと決めつけることは、問題の解決にはつながらない
現実には、どれだけ意識を高く持とうとしても、家でなくなりそうなトイレットペーパーが目の前で売られていれば、つい多めに買ってしまうもの。こうした消費者を、“間抜け”な存在と単純に決めつけていては、有効な解決策はいつまでたっても得られません。
これに対してゲーム理論では、自分たちが置かれた状況をきちんと理解している消費者が、【品薄状態に対処することで起きてしまう】現象が買い占めである、というふうに考えます。
その情報がデマだったとしても、トイレットペーパーがなくなる様を見て、みんなが焦って「私も買わなきゃ!」とつい買ってしまいことは、”合理的”な行動です。
”合理的である”ということと、”(道徳、規範的に)正しい”は異なります。
自分がおトクになる状況で、自分の利益のための行動をとる。それは時に、「自分勝手だ!」と責められる、いけないことかもしれません。でも、”合理的”ではあります。”(道徳、規範的に)正しいこと”と”合理的なこと”は違う。
(道徳、規範的に)正しくなくても、自分のためになることはついついやってしまうものです。転売しなくても、自分の家族のために、なんて思いやりが背後にあるかもしれません。
皮肉なことに、個人にとって望ましい自衛策が、社会全体では品切れという望ましくない結果をもたらしてしまう――。個人と全体での利益の不一致がもたらす、こうした不条理の分析を得意とするのがゲーム理論なのです。
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「相手が選ぶ行動によって、自分にとってよい行動が変わる」
ゲーム理論と一口に言っても、分析する”ゲーム”の種類は、たくさんです。
この”ゲーム”は、「こんな状況だったら、みんなどうするかな?」という枠組み。
分析したい現象にあった、”ゲーム”という、物事を考える上での枠組みを作らなければなりません。
たくさんある”ゲーム”(枠組み)の中で、「相手が選ぶ行動によって、自分にとってよい行動が変わる」という状況を描写できるものが、”協調ゲーム(coordination game)”というものです。
上記の記事では、この”協調ゲーム”という枠組みにそって考えています。(有名な「囚人のジレンマ」ではありません。なぜ、囚人のジレンマではないのかについては、安田先生の記事の1ページ目をご覧ください。)
協調ゲームのもとで、みんなも自分もそれぞれが己の利益のために動くと、「みんなが買っていない時は私も買わない」、「みんなが買っている時は、私も買う」という2つの状況に行き着きます。(こうして行き着く先のことを、”均衡”といいます。)
記事では、前者の状況を「いつもの均衡」(買い占めの起きていない状況)、後者を「買い占め均衡」と呼んでいます。
「買い占め均衡」では、すでに周りの消費者が買い急いでいるため、自分だけあわてないでいると、必要なときに商品が買えなくなってしまいます。これが自分にとっては最悪の結果です(利得は -1)。ここで自分も買いに急げば、利得は 0 と低いものの、何も買えないよりはましな結果が実現できます。
スーパーの、カラッポの棚を見て、「ああ、みんなトイレットペーパーを買っておこうとしているんだ」と気づいたら。
「本当に必要な人のために、私は我慢しよう」は、道徳的に正しい行動かもしれません。
でも、そうしていたら、自分が必要な時に、トイレットペーパーを入手できないかもしれません。まだ備蓄があると思っていたのに、帰ったら飼い猫がトイレットペーパーで遊んでしまって、使い物にならなくなってた、なんてこともあるかもしれません。
ひとりだけ道徳的な正しさに従って、馬鹿を見るのは自分だけかもしれません。
「念のため、私も買っておこう」は、道徳的に正しくなくても、”合理的”な行動で、そんな行動をとってしまっても、おかしくないのです。
そうして、みんながみんな「念のため」で動いて、スーパーからトイレットペーパーはどんどんなくなっていってしまいます。それを責めたところで、人々の行動を変えることは、難しい。
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こんな「どうしようもない状況」を変えるには
個人を責めても、買い占めによる品薄状態が解決するわけじゃない。みんなが買っている状況で、自分も買うことは、”合理的”。自分のために皆がそれぞれ行動するなら、行き着く先はやっぱり「買い占め」。
じゃあ、この品薄状態は、仕方のないことで、対処しようがないことなのでしょうか。
この買い占め状態は『個人レベルではどうしようもない』と、安田先生は記事で言います。が、続けてこう言います。
重要なのは、自分だけでなく周りの人々の行動も一斉に変わること、あるいはそう確信できることです。みんながあわてない「いつもの均衡」に戻る、という期待を全員で共有することができれば、悪い均衡から良い均衡に(理屈の上では)ジャンプすることができます。
「みんな買い占めない」あるいは「買い占める必要がない」とわかれば、自分だって「買い占める必要がない」。
大事なことは「買い占める必要はないんだ」という意識が、みんなの間で共有されること。ひとりだけそう思っていても、みんながそう思っていなければ、先ほどまでと状況は同じです。
「買い占める必要はないんだ」と一人一人みんな思っていて、そのことがお互いにわかっている状況ではじめて、”買い占め均衡”にいたらなくすることができる。
その「買い占める必要はないんだ」という意識がみんなの間で共有されるために有効な手段として、安田先生は『スーパーや工場などに在庫が潤沢にある様子がマスメディアで報じられる』ことを挙げています。
均衡状態から抜け出すためには、個人の行動を変えるのではなく、人々の行動を一斉に変えなければいけません。メディア報道などを通じて、多くの人々が情報を同時に受け取ることが、期待を共有して一斉に行動を変える上で、決定的に重要なのです。
しかしながら、この悪い均衡(買い占め均衡)から良い均衡(いつもの均衡)への転換は実際には難しいとも記事では言っています。
その上で、この記事はこう締め括られています。
ただ、個人と全体で利益の不一致があること、そのせいで問題の解決が簡単でないことは、買い占め騒動に限らず、様々な社会問題を理解・解決する上で役に立つ見方だと思います。ゲーム理論が、今まで以上に政策のデザインに活用されることを、この分野の研究者として期待しています。
自分のためにしちゃう行動と、社会にとってよい行動は、違うことがある。
でもみんな、自分が大事。その結果で、みんなにとってもよくないことが起きてしまう。そんな現象は、今回の買い占めだけじゃなく、いろんなところで起こりえます。
そんな場面で、ゲーム理論の考え方は役に立つもの。
だから、適切な知識を持ち、物事を理解して対処法を考えることができる専門家は当然貴重で、政策的な判断の際にはその意見を取り入れることも大事。
そして、社会に住む”私たち”も、きちんとした専門家の声に耳を傾けていくことが大事なのではないかなあ、と個人的に思っています。
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おわりに。
経済学では息をするように当たり前となっている”合理性”というものや、「個人と全体で利益の不一致があること」。
この”常識”は、どうやらみんなの”常識”ではないらしい。専門知識を持つものと、そうでない人で、同じ物事であっても見る目は結構、違うらしい。
だからこそ、まだまだ未熟者の大学院生(しかも細かな専門は違う)であっても、時事問題から逃げず、できる限り”適切な知識”やそれを記した記事を広げることは、大事なのではないか、と思い、この記事を書いた次第です。
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専門家の意見が常に正しいとも、学問的な見方が常に有効だとも言いません。
けれど、もし学問的な見方を、混乱している世の中に提示するのだとしたら、やっぱり専門家ほどそれに長けた人はいないって思います。それをお仕事にするために、何年も何年もやってきているのだから。
そうして、専門家だろうとなかろうと、その意見が違うと思うのであれば、誰でもその自分が思う論理をぶつけていいのだと思います。
適切な専門家の、適切な意見が広く届き、皆で共有して考えることができる。
そんな世の中がいいなあ、なんて、思っています。
(最後に、再度、記事のリンクを貼っておきます)
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公開後の修正事項(2020/3/15 20:50)
・「省いた事項などもありますので、是非、上記の記事本編もご覧ください。」の1文を追加しました。
・「(有名な「囚人のジレンマ」ではありません。なぜ、囚人のジレンマではないのかについては、安田先生の記事の1ページ目をご覧ください。)」の1文を追加しました。
・「”買い占め均衡”は消えることができる」→「”買い占め均衡”にいたらなくすることができる」に変更しました。
・「(最後に、再度、記事のリンクを貼っておきます)」&安田先生の記事のリンクを追加しました。
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