「子供に見せたくない」を深掘りする
実家に帰りたくない。ずっとそう思っている。
でも実母実父に子供の成長を見せたい。こんなに可愛い時期の孫を見てもらいたい。無責任に可愛がってもらいたい。
でもやっぱり帰りたくない。
そんな二つの気持ちがせめぎ合っている。
両親とも高齢なのでいつなにがあるかわからないことを考えると、帰れる時に帰った方がいいとは思っているのだけれど。
私は実家が苦手だ。
女だけが家の中で奴隷のように働いているのが日常になっている家庭を娘に見せたくない。
と、ずっとそう思っていたのだけど、最近ふと考えた。親が見せたくないと思っているものを子供に見せないようにするって本当に得策か?どうせいつかはわかってしまうだろうに。
それよりはもうすべてを見せて、
「私はあの家が嫌だった。女ばかりが男にこき使われる世界で行きたくないと思って家を出た」
そう正直に打ち明けたほうがずっといいのではないかと思った。
私は幼少期からずっと、母親が何を考えているのかがわからなかった。
母は私の前では自分の理想とする母親像になりきることに忙しく、いつも建前の話しかしなかった。ああこれは本音だな、と子供ながらに実感するのは日常的に頻繁に口にする父親への愚痴だけ。
私はずっと、母親の考えていることを知りたかった。父親の愚痴だけでなく、女の生き方について。
女として生きて、苦労してきたことについて。
女に産まれてよかったと思えることについて。
女にとっての人生の楽しみについて。
私は母と良い関係を築くことができずに大人になったので、自分以外の女性との接し方が今でもよくわからない。他の女性が何を考えているのかがよくわからない。初対面の女性には必要以上に気を使ってしまう。
あるとき、友達の女友達を紹介され一緒に飲んでいる時、彼女に、
「そんなに気を使わなくていいんだよ。皆、そんなに悪い人じゃないんだから怯えなくても大丈夫なんだよ」
とすごく真剣にアドバイスされた。その時「ああそうだったのか。私ずっと女の人に怯えていたんだな」と初めて気づいた。
そして彼女は私と母の関係も見抜いてくれていた。
あの時、彼女と話したことでとても気持ちが軽くなった。
そして私は、こんな自分が娘を産み育てていることが実はとても不安だった。
だから、娘の目に映るものを制限しようとしてしまうのかもしれない。
でもそれは良い教育の仕方ではない。
私にはともに楽しんで子育てしてくれるパートナーがいるし、そんなに恐れなくていいのかもしれない。
もっと気楽に、子育ても家族との時間も楽しむことが今の自分にはできるかもな、と気づいた。
子供は今日、保育園に絵本を持参していった。
先生に「みんなこの絵本好きですよねえ」って言われてほっこり。
(園に入る前にちゃんと母ちゃんに渡してくれた・・・ありがとうな)
せなけいこさんの絵本って子供みんな好きだよね。
ほんとにすごい。
本日の一曲。
優しい気持ちになれる曲。