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コロナ禍とかで寂しくなって心がぼそぼそ

家にいると落ち込みそうな時は、よく近所のドトールに行く。
片道15分位かかるから良いウォーキングにもなる。

このドトールは駅から離れた郊外型店舗だからか、若者は少ない。
主なお客はおじいさんやおばさん。
つまり、暇人(と思われる)が暇潰しに来ている感じがする。

おじいさんは大抵1人で来ていて、定年後やることがなくてとりあえずコーヒー飲みにきたのかな、って勝手に想像している。
おばさんは複数人で来て、べちゃくちゃ喋っている。
子供のこととか孫のこととか、今日の夕飯どうするかとか。
愚痴もあればライトな話題もある。
それをなんとはなしに耳に入れながら、自分の作業をするのが落ち着く。
 
私はイヤホンをすると耳が痛くなってしまうのと、聴きたい音楽があまりないというのとで、イヤホンをつけて周りの音を遮断することは滅多にない。
むしろ音を遮断すると面白い会話を聞き損ねるからイヤホンをつけたくない、とまで思っている。

人間観察が好きだからこそ、自分と比べて落ち込むことも多い。
でもだからって観察をやめたくはない。

孤独を感じることが増えた。
コロナ禍もあって、同じ県に住む友達とすら会いづらい。
加えて、友達たちのライフステージが変わってきていて誘いづらいというのもある。
出産した友達には会いづらいし、パートナーの仕事の都合で引っ越した友達にも会いにくい。
この先どんどん孤独になっていくのかなあ。

だからか、別に直接関わることはない赤の他人を観察している。
それで寂しさが埋まるのか?笑
という感じではあるが。

大学生まで学校に通っていた時は、こんなに寂しい生活になるとは思っていなかった。
学校には嫌になるくらい人がいたのに、今は夫が出勤の時はずーっと一人で、無言で生活している。

人好きというわけでもないはずなんだけど、なんだか寂しい。

そろそろコロナも落ち着いてきたし、実家に帰省したいななんて思う。
しかし父は今年町内会長になったらしくかなり忙しいと聞いている。
母はうつ病で最近は特にひどい不眠に悩まされているらしい。
私が帰ると気を遣わせてしまいそうだなと思って言い出せずにいる。

身近な人に声を掛けることすら躊躇してしまう。
あまりにも孤独が続きすぎてコミュニケーションが取れそうにない。

寂しくて、心がぼそぼそになってる。

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