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犬と猫と不思議なつながり
最近見つけた私の幼稚園アルバムには将来の夢は「ペットショップ屋さんになること」と書かれていた。
幼稚園で仲の良かった子の家が動物病院で3匹の大きな犬が家にいて衝撃的だったのを覚えているが、ペットショップ屋になりたいと思うほど、動物たちと触れていないのだが。
記憶にないだけか。
小学校の通学路では、秋田犬に吠えられるのが怖くて遠回りをして帰宅していた。
近所に良い香りがするポメラニアンを飼っている女性がいてよく学校帰りにさわらせてもらいに行っていた。
小学生の頃、私は同じ団地に住む女の子たちとぶつかることが多く、悲しくて情けなくて寂しくてそんな気持ちを抱える日がよくあった。
そんな気持ちを癒してくれたのは1匹の野犬だった。
当時、3匹の野犬と出会ったのだが、その中の1匹の茶色の中型犬と過ごす時間が大好きだった。
私はその子をアカと呼んでいた。
団地のどの子にもなつかず、いつも私のそばにいた。
首輪がついていたので、飼い主さんに見つかったらもう会えなくなると思い、私の秘密の隠れ場に招待し、そこで一緒に過ごすことが多かった。
学校から帰るとその足でアカを探す。
たいてい草むらから出てくるのだが、その日は出てこなかった。
夕飯の時間になり家に帰らなければならないので帰宅したが、アカのことが気になって仕方がなかった。
お腹が空いているだろうと思い、夕飯の鯵のフライを持ってアカを探そうと思いついた。
でも、そんなことを正直に母に言えば、絶対に外に行かせてくれないので嘘をついた。
自転車の鍵をかけ忘れた気がするから見に行ってくる。と嘘をついた。今思い出しても、この嘘を思いついた自分は賢いと思う。
鯵フライにソースをつけ、口に入れた。それを噛まないようにしてアカに運ぶ作戦だった。
アカは3階に住む私の階段を降りる音を知っていたので、どうか気付きますようにと願いながら階段を降りた。
降りた角にアカがいた。
アカが無事でよかったとホッとしたのと同時に鯵をアカに渡すために急いでいつもの隠れ家へ向かった。
私が口で運んだ鯵フライを一瞬でアカは食べた。
私たちは隣に並んでただ座っていた。
自分の気持ちがすーっと軽くなるのを感じた。
母に怒られるので、急いで帰らないといけないことを告げて私は帰った。
翌日、学校から帰宅すると団地の子たちにもうアカはいないよ。と言われた。
私はなぜか理由も聞かずにその場を立ち去った。母にもアカにはもう会えないと言われた。
あの時の自分の気持ちは「無」だった。
泣くこともなかった。怒りもなかった。
ただ生涯、アカのことは思い出す。
時間の感覚がまだないくらい幼かったので、一体何日間アカと一緒にいたのか分からないが、たくさんの幸せな気持ちをくれた一生忘れられない時間となった。
もう少し大人になってから、アカは保健所に送られたんだろうな。と思った。
それは当然なことで、団地では犬は飼えないし、子供が多い地域に野犬は危険、私のように鯵フライにブルドッグソースをつけた物を食べさせてしまうんだから、犬にとっても危険だ。
あの後アカがどんな人生を送ったのだろうか。
その後、野犬が団地にくることはなくなった。
ある夏祭りの日の夕方、小学生の私は近所の夏祭りに出かけるため、玄関のドアを開けた。
そこには小さな小さな猫が座っていて、目があった。
その瞬間、私は狂ったように大泣きして騒いだ。怖かったのだ。生まれて初めて子猫を見て、可愛いとは全く思わず、ただただ怖かった。
その声に大人も子猫も驚き、子猫は一階に住む叔母の家に逃げ込んだ。
昔は夏はどこも玄関ドアを開けっぱなしにしていた。
子猫はベランダから逃げていったと教えてくれた。
大声で泣くことなどない私を大人たちは心配していた。
私はこの日を境に猫がだいっきらいになった、フリスコが我が家に来るまでは。
そして、今あの時の子猫に心から謝りたい。
私の親戚には2人獣医がいるのだが、その1人が私の親友のお父さんと獣医仲間であることを社会人になってから知ったときには、震えた。
私はスロバキア人と結婚したのだが、義父もまた獣医だ。
義実家が飼っていた大型犬は私がスロバキアに来て間もない頃、心の支えとなってくれた。
夫との関係がうまくいかなかった頃は、フリスコが心の支えとなってくれた。
昔オーストラリア、ニュージーランドにいた頃も犬といると心が軽くなった。
振り返れば、私の心はいつも動物に支えられてきたことに改めて気づく。
フリスコが亡くなって半年が経ち、先日ふいに動物シェルターへ行ってみようと思い、夫と見学をしに行った。
そこには広大な敷地に100匹くらいの犬がいた。
そのうちの1匹、生後6ヶ月の大きめな子犬と散歩に行った。子犬にはとても見えない大きさで力強かった。
生命力溢れる子犬を見ていると、なぜか笑顔になる。
この子が生まれたのはちょうどフリスコが去った頃で、命のサイクルを感じた。
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