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“誰かを愛する”ということは。

最近周りで結婚する人が増えてきた。
大学生の頃は結婚なんて遠い未来の話だと思っていたが、いざ社会人になってみると現実味が増してくる。
そして思うのだ。
「あぁ、自分も大人になったのだな」と。

結婚だけに限らず、色んな人が恋バナをしてくるたび、私は“愛って何だろう?”と考える。
そこで今回は私が思う『愛』について書いてみたい。
あくまで私個人の見解なので「こういう風に考える人もいるんだな」ぐらいに思ってほしい。

早速だが、私自身の話をする。
現在の私は結婚願望はおろか、恋愛をしたいとも思わない。
だからこそ、就活の面接で「結婚したらどうしたい?」と聞かれたり、友人から「気になる人はいないの?」と言われたりするたびに困っている。

元からこんな感じの性格なのかと言われればそうではない。
むしろ昔はしょっちゅう誰かを好きになるタイプだった。

ではなぜ現在はこんな考え方になったのか。
答えはいたってシンプル。
「一人が楽だと気付いたから」だ。

ワイドショーを見ればおしどり夫婦と言われた芸能人夫婦が離婚し、学生時代「ずっと一緒にいよう」と誓っていたカップルたちもあっさり別れていく。
恋愛とは少し違うが、仕事もより良い条件の会社を求めて転職が当たり前の時代になってきている。
恋愛にしろ仕事にしろ、この先もずっと一緒にいたいと思うことは難しい。
私は自分の好きなものはずっと好きだし、相手もそう思ってくれると信じていた。
しかし、ある時悟ってしまったのだ。
“世の中に永遠など存在しない”と。

私はもともと「人」が大好きだ。
自分と似たような人に出会えば共感できるし、自分と全く違う人に出会えば刺激になる。だからこそ、色んな人と交流していきたいと思える。
しかし、この「人が大好き」という性格が、かえって私が恋愛をしない理由にも繋がっている。

人への期待値が高い分、他者と深い関係になったときに相手側が少しミスをしただけで途端に失望してしまうのだ。
例えば、誰かと付き合うとする。
仲も深まってきた頃、私の考えとはちょっと違うことをされた。すると途端に自分が蔑ろにされたと感じ失望するのだ。

私は人への期待をやめられないから傷つくし、
私が何かを相手に強要すればかえって相手も傷つく。
人は自分が思うようにコントロールできない。だからこそ面白いと思う人もいるかもしれないが、私はそう思えなかった。
このような経験を繰り返した結果、私はいつしか気疲れをするようになった。
それならいっそ1人でいた方が自分のためでも相手のためでもある。
そして最終的に「一人でいる方が楽」という結論に至った。
こんな事情から私は恋愛をしないのだ。

別に恋愛の全てを否定するわけではない。
友人カップルを見ていると「なんかいろいろ大変そうだけど楽しそうだな」と思うし、先輩夫妻を見ていると「誰かを純粋に、一途に愛せることはいいな」と思う。

ただ、恋愛をするかしないかはその人の自由だ。
私は私なりの考えがあって「恋愛をしない」という方向性で動いている。
だからこそ、誰かに恋愛を強要されるのは御免だ。

また、恋愛だけが『愛』じゃないとも思う。
『愛』には色んな形があっていいのではないか。
恋愛だけが愛とは限らないし、結婚がゴールだと私は思わない。

自己愛や家族愛、友情愛もまた一つの愛の形だ。
推し活もまた一種の愛だと思うし。(ただ推しに見返りを求めると厄介なオタクになりかねない。その話は次の機会に。)

長々と書いてしまったが、要するに「色んな愛の形があっていいのではないか」というのが私の考えだ。
誰を好きになろうとその人の自由だ。
性別や国籍、他人自分に関係なく、「その人そのもの」をちゃんと見てあげることが何よりも大事だと思う。

全ての愛の形を許容し、『愛』であふれる世の中になりますように。