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My Worldを持つことの大切さ。~社内プレゼンから見えてきたこと②~2020GW4日目

よし、これで追いついたぞ(笑)

今日、午前中に書いたことの続きと言いますか、(私の場合、よくあることなのですが)本当に書きたいと思っていた結論を、書ききろうと思います。

それはタイトルにある通り、

My World を持つことの大切さ

です。
午前中書いた記事の中で、社内プレゼンで

誰しも個性がある、〝これだけは譲れない〟とか〝これだけは手放せない〟という大切なものを持っている

ことを強く感じたと書きました。
この、
これだけは譲れない、手放せないと思うもの、
あるいは誰に何を言われようと、はたまた誰に見向きをされなくとも、それを楽しめる時間や場。

そういうMy World、あるいはMy Placeと呼べるようなものが、今ほんとうに大事なのではないかと思います。
そしてそれは、きっと誰にもあると思うのだけれど、そこに対して自覚的であるということ。何が自分にとってのMy Worldなのかを理解しているということがめちゃくちゃ大事だとも思います。
自分が自分に立ち返れる場所であり、自分の足がしっかり踏ん張れるような地面のあるところ。それは、いざという時の強さ(支えになったりきっかけになったり)になるはずだからです。

そして、そういうMy Worldがあるからこそ、我々は外の世界=Outside Worldに漕ぎ出すこと、そこで自分の持っているものを発揮しながら働きかけていくことができるのではないでしょうか。

【そんなことを考えていたら頭の中に浮かんできた図】

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誰しも持っているMy Worldと、当然ながらOutside Worldも誰に対しても存在しています。
でも、その両者の関係性をどう築くかはきっと人それぞれ、もっと言えば、Outside Worldも1つとは限らず、世間一般、会社・仕事仲間、ご近所さんや子どもの親などと言った一定距離上にある付き合いなどカテゴリーによっても異なるかもしれません。
橋のようなものを築く場合もあるだろうし、
扉はあるけれど近接している場合もある。
さらに、もっと近くて一部が重なりあっている場合もあるでしょう(重なりの比率もまたそれぞれでしょう)。
どれが正解ということではなく、My WorldとOuteside World両者にとって健全で心地良い距離感や手段によるつながりが構築されているか。
そしてそれを築くためにも、My Worldを自分の意思で構築し把握できているのか、
ということを意識すると良いかなと思います。

もしかしたらMy World とOutside Worldはぴったり重なっていて境目がない、だから関係性を築くまでもない、という人もいるかもしれませんが、
そういう場合は私はちょっと危険かなと思います。
My World とOutside Worldは、限りなくsimilarということはあってもsameということはないかなと思うからです。
どんなに近しい考え方をしていたとしても、全てにおいて同じという人間はいませんから。そしてそれが集まったOutside Worldと自分が完全に一致することはありえないでしょうから。


というわけで繰り返しになってしまうのですが、
することはあまりなくて時間だけはたっぷりあるという今、
自分と向き合うことをやってみるのは良い機会かなと思います。
自分にとってのMy World とは何かを理解する、
すでに理解できているのであればその世界をより居心地良いものにしていく(でも向き合うと新たな要素が見つかることは往々にしてあります)、そういう機会に。

急速に変化しつつあるOutside Worldに対応していくうえでも、それがきっと自分の支えや力になっていくと思うのです。


私たちの会社で発行しているフリーマガジンの今月号では、徹底したMy Worldを持つ人たちを取材した記事を掲載しています。

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この方々と話をさせてもらった経験が、こういう考えが浮かぶことに少なからず影響しているかなと思います。
みなさんちょっと変態です(笑)。でも、その生き様がカッコいいし、うらやましいと思わされてしまうのです。

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