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癒やしのTOKYO



誰しもあることだろうけれど、落ち込むと自分の無価値さに為すすべがなくなる。

落ち込んだから無価値になったわけではなく、元気なときは無価値から目を逸らしているのだ。

見えていたとしても意識の外に追いやることができている。落ち込むと否応なしに無価値を直視してしまうのが悪い。

自分のことばの軽さや相手への届いていなさ、誠心誠意発したことばすら、ただ流れ去っていく気がする。無価値だから。
自分の身体的な輪郭も消えていくような。

40階建てのオフィスビルは1Fから30Fまでの直通エレベーターが5基、常に大量のヒトを上下に運び続けている。
ターミナル駅は縦横無尽にヒトが行き交いごった返していて。
ひとりとして同じ人間は存在しない大群衆はヒトの形をした動くパーツの集合体のようだ。
でもこのパーツ全員に赤ちゃん時代があり子ども時代があり、歴史を経過して今がある。必ず遺伝的な両親が全員に存在する。

東京の人混みに紛れると孤独を感じるという人もいる。
わたしは真逆だ。
人混みに紛れて誰も知らない群集の中にいると自分の無価値が許される気がして安心する。
だから東京が好きなんだ。


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