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新聞の歴史 〜朝日新聞50000号発行の折に触れて〜

昨今では、スマホから気軽にニュースを読むことができ、
新聞を読む人が減っていると言いますが、我が家では長年朝日新聞を購読しています。
よく、取っている新聞社で政治的立場がわかるなどと言いますが、我が家は特にそんなことはなく、朝日新聞である理由は
「巨人が嫌いだから、読売は取らん!」
と言った幼稚な考えからです(笑)

ところで、今朝も届いた朝日新聞日刊の1面を読んでいると、
ふと目に飛び込んできたのが、「49993号」の文字。

「おっ、朝日新聞、もうすぐ5万号か」
計算すると、5万号まではあと7。つまりちょうど1週間。
調べると、2月の休刊日は15日となっていたので、順調に行けば記念すべき5万号は、3月3日となります。

朝日新聞本紙で、このことを扱うかどうかは僕の知るところではありませんが、
5万と言われても実感が湧かないくらいに途方も無い数字ではあります。

そこで、更に調べていくと、第1号の発行は、1879年1月25日、明治12年ということです。
わかりやすいように同年代に起こった主な日本史上の出来事を記していくと、
1870年 廃藩置県
1872年 新橋〜横浜間で鉄道開業
1873年 地租改正
1877年 西南戦争
となります。
そして文化で言うと洋食文化が流入し、「牛鍋屋」が流行したそうです。

このような時代背景のなか、朝日新聞は産声を上げたのですね。
そして、今年で何年目かと言うと、これも計算してみると、
今年で142年目を迎えることになるそうです。
ここで、5万号の50000をザッと1年、365日で割ってみると、
約137、137年と出ました。
簡単な計算ですので誤差は出るでしょうが、137と142だと、5年ものズレがあります。
そこで、月におよそ1回のペースで訪れる休刊日について考えてみると、
142年の歴史の中で、毎月1回休刊日があったと仮定すると、
142✕17=1704で、1700日の休刊日があったと言えます(杜撰な仮定です)。
そうすると、
1700÷365=4.67で、4.7年、およそ5年となり、他にもやむを得ず休刊せざるを得ない日があったと仮定すると、
前述の5年のズレにも納得がいきます。

少し話がそれましたが、ここで他社に話を移します。
日本には主要5紙というものがありますが、ここでおさらいしておくと、
朝日、毎日、読売、日経、産経の5紙ですね。
この5大紙のそれぞれの歴史を簡単に紹介しておくと、

毎日新聞:1872年創刊。2015年に日本の日刊新聞で初めて紙齢5万号を達成。
読売新聞:1874年創刊。2001年に紙齢4万5千号を達成。
日経新聞:1876年創刊。
産経新聞:1942年創刊。

となります。新聞の年齢のことを「紙齢」と言うのは初めて知りました。
産経新聞以外は明治の同時期にできており、毎日新聞が主要5紙の中では最古なんですね。

これらの大手新聞社ですが、最近は売り上げ部数が伸び悩んでいるそうです。
各社とも電子版も発行しており、そちらへの移行も進んでいるようです。
電車の中で新聞を広げているビジネスパーソンもめっきり減りましたね。

新聞業界だけでなく、出版業界全体としても、状況は芳しく無いようです。

昨今の電子媒体の隆盛により、書籍や書店が危機に瀕していると言われて久しく、
地方や商店街などの小規模の書店は次々と潰れて行ってしまっているようです。
それはもちろん寂しいことですが、紙媒体を扱う書店という存在自体が無くなっていくかというと、僕はそうはならないのでは無いかと思います。
コロナ禍においても、駅前の大きな書店は、所感ですが相変わらずの賑わいを見せているように見えます。

もちろん一時期と比べると衰退していっているのかもしれませんが、
この書店や紙媒体の一種の抗い、踏み止まりは、
一時期感じた「電子版vs紙版」といった構図の崩壊に起因するものでは無いかと思います。
電子版の登場と普及により、電子が紙を淘汰するのではなく、
選択肢の1つとなったのでは無いかと思っています。

電子版と紙版とどちらが良い悪い、強い弱いといった話ではなく、
どちらも1つの選択肢として捉えるようになってきているな、という印象を僕は持っています。

「本は読みたいし教養を深めたい、興味はあるけどどうしてもページをめくって文字を追うのが苦手」
というような人に、読書の門戸を広げたという意味では、
電子書籍の功績は大きいと思いますし、
紙も電子も合わせた読書人口という意味では、電子版が無い時代と比べれば増えたのではないか、と思います。

なので「電子か紙か」については、最終的には「好き嫌い」だと思います。

僕は紙の本が大好きなので、書店が少なくなろうが紙と電子の比率が1:9になろうが、変わらずページをめくり続けると思います。

僕のように紙の手触りや匂いが好きな紙媒体派の人は一定数いると思いますし、
そうである限りは、紙媒体は衰退こそすれど消滅することは無いのかな、と思っています。
少し楽観的過ぎるでしょうか。

新聞の話から電子か紙か、という話にまで飛躍してしまいましたが、
何気なく新聞を読んでいたところにふと目に飛び込んできた新聞の号数、
つまり「紙齢」について思いを巡らし、出版業界の未来や読書の趣向にまで思考を膨らませる。
この行為には意味こそなかれ意義はある、と思いたいですし、
無駄に思えることが回り回って、という風におおらかでいたいものです。

意味の無いこと、無駄と思えることに対して思いを馳せる余裕や時間の無さが、
現代の「生きづらさ」に繋がる一因になっているとも思うからです。
このテーマについては、また別の機会に存分に語らせていただきたいと思います。

今回は、意味の無い徒然なるままに長々と耽った僕の思考にお付き合いくださりありがとうございました。

今後も、明確に何かをつたえたいという意思のもと書く記事と、今回のように「結局何が言いたいの?」という、エッセイというにはおこがましいですが日々の呟きのような記事を、いいバランスで投稿していければと思います。

それではまた。

小野トロ

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