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Mo Chan

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不思議なご縁により、会津の古代史を探る旅が始まりました。 堅苦しくない、自由な発想で、書き進めます。
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2020年6月の記事一覧

会津只見の古代ネットワーク②

■弘法大師の伝説 小林区の隣、「梁取(やなどり)」区の地名の由来を聞いた。 弘法大師が、虚…

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4年前
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会津只見の古代ネットワーク①

■驚くほど雪のない冬 1月下旬に会津只見を訪れた。 浅草駅から東武特急に乗り会津田島駅で下…

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4年前
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日本海を渡り会津に移り住んだ人々③

■丸木舟からゴンドラ型の準構造船へ 古代の交易を支えるのは船だ。 縄文時代の船は、石器を…

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4年前
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日本海を渡り会津に移り住んだ人々②

■能登半島は古代日本の航路目標 天平二十年(748)、越中守大伴家持(おおとものやかもち)が…

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4年前
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日本海を渡り会津に移り住んだ人々①

■能登半島の気多神社 気多(けた)神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主神)を祀る。…

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4年前
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【古代会津の「黄金と朱」】④

■民謡「会津磐梯山」の謎 さて、会津には、あの有名な民謡「会津磐梯山」がある。 しかしそ…

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4年前
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【古代会津の「黄金と朱」】③

■不老長寿と常世 磐梯山の麓、塩川町に常世(とこよ)という地名がある。 8000年前の縄文土器が発見される地域だ。 常世とは、海の彼方にある理想郷で、長寿や不老不死がもたらされる異郷とされ、古神道では神域(禁足地)の意味もある。 朱の原料である辰砂からは水銀ができ、不老不死の薬になるのだから、この常世という地名には無性に想像を掻き立てられる。 紀元前3世紀、秦の始皇帝の命で不老不死の薬を探しに旅立ったのは、徐福(じょふく)だ。 3,000人の若い男女と多くの技術者を

【古代会津の「黄金と朱」】②

■金鉱と朱 ところで、金の鉱山には朱がともなうことが多いのだという。 金山の前身は朱の産…

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4年前
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【古代会津の「黄金と朱」】①

■高寺山の財宝伝説 平成30年10月、会津坂下町の高寺山で遺跡の発掘調査が行われた。 高寺山…

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4年前
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猪苗代湖畔で「古代製鉄」を想う②

■大陸僧「青巌」の伝承 仏教公伝の頃に、大陸梁国から「青巌」が会津へ仏教を伝え伽藍も建て…

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4年前
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猪苗代湖畔で「古代製鉄」を想う①

■湊町の須佐乃男神社 福島県、猪苗代湖西岸の湊町。 「須佐乃男(すさのお)神社」は小高い…

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4年前
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『会津の八百比丘尼(やおびくに)伝承~金川寺(きんせんじ)』②

中国道教では、不老不死としてアワビも珍重された 八百比丘尼伝承には道教の影響もあるようだ…

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4年前
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