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恐怖の熊本弁


「うわあ~昨日のエヴァンゲリオン見逃しちゃったよ!」

を熊本弁にすると

「バァー!キノーノエヴァヴァ見逃したケーン!」

となります。


僕は日本に住んでた頃、転校少年でした。

父親の仕事の都合で全国を転々としてました。

小学校3校、中学校3校

小学校は、岡山ー京都ー千葉と転校し

そして中学校は、千葉ー仙台ー熊本と・・・。

特に3年しかない中学時代の1年ごとの転校はキツいです。


その中でも一番強烈だった転校は

仙台から熊本への転校でした。

東北の仙台からイッキに九州熊本です。

(まあ、行き先が何処であれ高校受験直前の中3の2学期に転校って普通でも「ないわ〜」なんですけど)




ある日、父親が勤め先から帰宅すると突然に告げられる

いつもの引っ越し宣言

「またかよ・・・」で受け入れてた僕も

今度の行き先は「熊本」と聞いて

「どこだよそれ!!」と激しく抵抗したものです。

そして、1970年代当時「熊本」と聞いて浮かぶイメージは

左門豊作 のみですたい、星くん。

もう不安しかありません。

しかし、子供にチョイスはありません。

否が応での初の九州上陸です。


その頃、70年代の 国鉄熊本駅に降り立ったときの
情景は今でも忘れられません。

14歳の少年がイメージする「最果て」を具現化した風景

寂れた駅前のローターリーは埃っぽい風が吹き

パッとしない土産物屋の旗がパタパタと揺れ

のら犬がトボトボと歩いとるわけですよ。

白黒の黒沢映画のような

そんな情景に涙目になった僕。



まあ、しかし転校のプロの僕が
持ち前の臨機応変さと
フレキシブルな頭脳と
それまで鍛えられた環境順応力を持ってすれば
外国に来たわけじゃあるまいしと
気持ちを切り替え
新しく通うことになる中学へ向かったわけです。


母親が担任となる先生と話をしてるタバコ臭い職員室

そして親は帰り、担任に連れられ歩く長い廊下

夏だったので各教室の窓は開けっ放し

各クラスの横を通るたびに

大勢の生徒たちからガン見され・・・・

まあ、それまでの子供人生で

何回も何回も通って来たシーン

慣れたもんです。どこも変わらんなと。


そして3年4組のドアを担任の後に続いて入って行く。

ざわざわ・・・ざわざわ・・・

ん? やけに生徒たちの肌の色が黒いなという第一印象・・


そしてお決まりの自己紹介の時それはやってきました。


「宮城県の仙台から来た◎◎ ◎です」


言うと、クラスのあちこちから声が上がるわけです。

まあ、予想通りのリアクション

珍しい名字だし下の名前も女みたいだし

まずは名前で突っ込まれるのは慣れてます。

子供のリアクションは全国どこも同じだなと。

(オメーも子供だろ)



しかし聞こえてきたのは

「むしゃんしゃんぎゃくんががやや、ぎゃぎゃ」

「どぎゃ、こぎゃあぎゃんぎゃん、ががんがあ~!」


うわ!この民族が発してる言語がわからん!


不安になった僕は担任の方を見るわけです。

そして担任は笑いながらフォローしてくれます。

そうです

転校生にとってストレスMAXなこの瞬間

そんな不安な転校生を安心させてくれる

教育者ですから全国どこへ行っても同じですね。

担任は僕の方を向いて僕の目を見ながらこう言ってくれました。

「そぎゃこんぎゃったろーがもん!」


ひょえええ~ どっかで国境超えてたのボク?

オッサン、おまけに喉がつぶれててます。

やっぱり何言ってんのかさっぱりわからーん!


今入って来た教室のドアからダッシュで逃げたくなったのは転校人生で初めてでした。

そして、ふと見たそのドアに大きな張り紙がしてあって

ぶっといマジックで書かれた黒い文字と!マーク

『あとぜき!』


意味はさっぱり分からんけど

もうここからは逃げられない、と直感しました。


そして休み時間に大勢の肌の黒い人たちに取り囲まれ

「あぎゃんこぎゃん、どぎゃーん」「ぬしゃん、そぎゃんどりゃ~」と質問攻めですが(多分質問だったんだろうと思う)

僕は成田の税関でとっ捕まったポールマッカートニー状態

意志の疎通は無理や・・・・

筆談するしかねえか?と思った矢先

そんな中でも何とか聞き取れたフレーズがありました。

クラスで一番見た目がヨロシくなく

暴力的匂いがぷんぷんする

パンチパーマの生徒が笑いながら僕に放った言葉

「打ち殺す」


ひええ~~~~


そうやって僕の熊本での

ロングアンドワインディングロードな

3年半の生活の初日が始まったのでした。




その後、中3途中から高校3年間の青春時代を熊本で過ごした僕は熊本が大好きになり、普通に自分でも「何しとると?」って熊本弁バイリンガルになっていきました。(かなり怪しい)

ちなみにドアの張り紙の「あとぜき」は「開けたら閉めろ」という意味で、「打ち殺す」は関西で言うところの「しばくぞ〜」くらいの感じです(ほんとかよw)

アメリカに来た当初、英語で苦労しましたが、「そのうちに分かり合える日が必ずくる」という確信が持てたお陰でそれほど不安を感じなかったのは、熊本でのこの経験があったからだと思いますw


あ、あと熊本の名誉のために付け加えると、熊本ってJRの駅前から離れたエリアに中心的繁華街があって、そっちは最果てどころか、とっても華やかで素敵な街並みです。



んじゃまた


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