見出し画像

発信したい欲求について

 私は何やかんやと毎日書いたり撮ったりしゃべったりしたことを発信していますが、その欲求はどこから生まれてくるんだろう?と時々考えたりします。私が10代の頃には、インターネットが普及していなかったので、ブログを書くなんて夢にも思わなかったし、書いたものを読んでもらう方法は、賞に応募するとか、雑誌の投稿欄に送るとか、自費出版するしかなかったんじゃないかな。私は日記を続けて書いていたこともあれば、まったく書けなくなったこともあり、たまに学校の課題で作文を書く時に、異常な情熱をこめて書いたりしていました。心の中には溜め込んだたくさんの言葉があった。高校生の頃には先生との意見の違いについてノートにびっしり文字を書き込み、そのまま提出するという悪行を行っていました。

 もしもあの頃、今みたいに自由に書いて発信できる環境があったら…なんて、起こりえないことをたまに想像してみるんだけど、もしそうだったら思いきり書いて出して、それをきっかけにいろんな人と交流できて楽しかっただろうなあと思う。その後の人生の選択も変わったかもしれない。新卒で勤めた会社を辞めた後、制作活動のようなことをしていました。その頃にインターネットが急速に普及し始めて、自分のホームページを作る人が増えてきたんだけど、私は初めて買ったMacに手こずっていてその波に乗らなかった。ホームページを作れる友人に頼むこともできたのにしなかったんだよなあ。

 なんで毎日書きたいんだろう?書こうと思ったことを次に取っておくよりは、その時に書いて出しちゃった方がいいと考えているから?そんなこと言いながら、下書きに残した記事を早く出しておけばよかった、と何度も後悔しているんだけど…。毎日何か意味があることを書いているわけでもないけど、意味のあるなしではなくて、毎日書くことで「書く」ということが自然になるように整えているような感じだろうか。毎日少しずつでも走っておくと、走ることが楽にできるようになるのと同じじゃないかな。そういう意味では自分のため、それと、読んでくれる人や聴いてくれる人のちょっとした気分の変化のきっかけになったらいいな、と思う気持ち。それと、自分の中にあるものを外に出したいという欲求。

 昔の私から見たらこんな幸運はないだろう。毎日書いて出して読んでくれる人がいるなんて。

この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,728件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?