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「論語と算盤」と現代ビジネス

 渋沢栄一著「論語と算盤」を読みましたので、
   その所感について書きたいと思います。

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新10,000円札の肖像にも選ばれた渋沢栄一さん。

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明治・大正・昭和にわたって、実に480社もの企業の設立に
携わった人です。その企業の中は日経新聞やサッポロビール、
みずほ銀行など、現在も続く大企業も多く手掛けてきました。

渋沢栄一さんが行った講演をまとめたものが
「論語と算盤」であり
それを守屋淳さんが現代語訳したものが本著です。

「論語と算盤」とは

論語と算盤(そろばん)。渋沢氏はビジネス(≒そろばん)を
遂行するのにあたり、論語の思想に沿って行ってきたと
明言しております。

その論語がベースになって渋沢さんがおっしゃった言葉の内、
私が気になったフレーズをいくつか挙げてみます。

『「志」が多少曲がっていたとしても、
 その振舞いが機敏で忠実、人から信頼されるものであれば、
 その人は成功する。』(3章 常識と習慣)

なるほど、よくわかる。今の時代でもよくいる。
私の周りにも、立ち振る舞いがうまくて、
上層から信頼得てる人が多くいる。

『現代において自分を磨くこととは、現実のなかでの努力と勤勉によって知恵や道徳を完璧にしておくことなのだ。つまり、精神面の鍛錬に力を入れつつ、知識や見識を磨き上げていくわけだ。しかもそれは自分一人のためばかりではなく、一村一町、大は国家の交流に貢献するものでなくてはならない。』(6章 人格と修養)

いやはや、意識が高い。前段の精神と知識の鍛錬はもっともだと思うが、
自分だけでなく周囲への貢献も欠かせないのは偉大なる実業家の考えといえる。私も、1村までいかないまでも、周囲への貢献を意識して自己研鑽をしたいと思う。

『資本家は「思いやりの道」によって労働者に向き合い、労働者もまた「思いやりの道」により資本家と向き合い、両者の関わる損得は、そもそも共通の前提に立っていけることを悟るべきなのだ。』(7章 算盤と権利)

この前提が成り立たない(成り立たないのが当たり前という風潮ができてしまっている)ために、ブラック企業というものが生まれてしまうのだなと思った。明治時代からあったことを考えると永遠の課題なのかもしれない。

『人は、人としてなすべきことを基準として、自分の人生の道筋を決めていかなければならない。だから失敗とか成功とか言ったものは問題外なのだ。仮に悪運に助けられて成功した人がいようが、善人なのに運が悪くて失敗した人がいようが、それを見て失望したり、悲観しなくていいのではと思う。成功や失敗とういのは、結局心をこめて努力した人の身体に残るカスのようなものなのだ。』 (10章 成敗と運命)

現代社会でよく求められている成果主義。職場では強く求められるため、一喜一憂してしまう。ただ、どうしても、逆らえない運と言うものがある。
たとえ、報われなかったとしても、気に病むこともなく、引き続き努力することで、いつか、成功を掴めるチャンスが来ると教えてくれた。

現代ビジネスへの応用

大実業家の言葉だけあって、国全体の商業を気にかけており、視点がすごく高い。難しいことではあるが、私には非常に参考になると思った。
天命に左右されず、自己鍛錬を続けようという気にさせられた。

ただ、現在の情報化社会におけるビジネスに通じるかというと、
難しい部分も感じた。

『人情の弱点として、利益が欲しいという思うがまさって、下手をすると富を先にして、道義を後にするような弊害が生まれてしまう。』(第4章 仁義と富貴)

成果主義に加え、炎上商法といった手法が成り立ってしまっている昨今、仁義、道義といったものはずいぶんと希薄になってしまったように見える。

確かに、現在のビジネスとして、過激な言葉で注目を浴びることは商売を成功させる近道であることは理解できる。ただ、それは、あくまでネットビジネスの範疇で不特定多数を相手にする場合にのみ成立すると感じている。

炎上商法はView数と単価を押し上げる際には効果的であろうが、ビジネスが拡張するにつれて、いつかは人と折衝するときが訪れるであろう。
その際には、信頼関係が必要であり、それを築くのが道義であると思う。

また、昭和から脈々と続いているビジネスもあまたにあり、それらに対しては、道義というものはやはり、非常に重要な要素だと感じる。

本著は、現代ビジネスのバイブルというより、
ビジネスの基本的な心構えを学ぶにあたりとても参考になりました。

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