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サラリーマンである自分の想いと葛藤

地方でサラリーマンをしている自分が「こんなはずじゃない」「自分はもっとできるはず」と思いながらももがいている今の心境を綴ります。

終身雇用の終焉が叫ばれて久しいですが、日本企業の多く、特に地方企業では未だに終身雇用を前提としたような働き方をしている企業、人が多くみられるように思います。

私の所属する企業においても同様で、与えられた仕事に対してそれなりにこなし、それなりの給料をもらい、その中で評価された人材が概ね年功序列で昇格していきます。

当然ながらそのような考え方、働き方を否定することはありませんし、悪いことだとも思っていません。私自身も新卒で入社してから5年くらいはその考え方に疑問を持つこともなく過ごしてきました。

「上昇志向」が浮いた存在になる。

私自身、他の人に誇れるほど自己研鑽を行っているかというとそれほど出来ていないことも多いのが実態ではあります。しかし、現状より自分を高めていきたいと思い、そのために仕事においては、品質を極力高め、当然納期を守り、短時間で仕事をこなす…ことを目指しています。

より会社を成長させ、自分を成長させ、高みを目指していきたい、何者かになりたいと思ったとき、ふと周りを見渡すと、同じ志を持った同士があまりにも少ないような気がして違和感を覚えたことがありました。

周囲が悪いわけではない、自分も偉そうに言えるほど何者でもない、ただ、何者かになりたいと思う自分の意識と、現状維持を目指している(ように見える)周囲の意識が乖離しているように感じました。

地方に本社を置く企業だからこそ、小さいころから過ごした地で就職したいという人は一定数いて、その人たちにとっては自分のように「成長する」よりも「この地で働く」ことの優先度が高いのだと思います。当然これも良い悪いの話ではなく、考え方の違いですし、すべての人がそうかはわかりません。ただ、現状の会社や、周囲の成長スピードと比較して、満足している人がマジョリティではあると思います。

自分はどうありたいか

前述したように自分は「自身の成長」に重きを置いており、それは出世することによって社会的に認められたいという承認欲求があることは事実としてあると思っています。ただ、それ以上に「常に成長している自分でありたい」という自分のありたい姿があることも事実としてあります。

名著「嫌われる勇気」の中でもアドラー心理学の考え方として触れられることですが、「承認欲求(他者からの評価)はコントロールできないこと」であり、期待するべきではないと私も考えています。

周囲の成長スピードがゆっくりだと「これくらいでいいか」と安心してしまいそうになることがあります。その度にネット上で見る意識高い系といわれる人たちのブログやツイートを見て、自分はこんなもんでいいのかと刺激を受けます。

私は他者との比較ではなく、過去、昨日の自分と比べて成長できているかを考え方の軸とすることで、自分の成長意欲を切らすことなく、上を目指していきたいと思います。

そのためにビジネス教養や生産性向上、仕事で得た気づきなどをブログやTwitterに書き留めることで頭を整理し、1年後、2年後…と長期的に見て成長していけるよう頑張ってみようと思います。

きっと、地方に就職したものの、同じように周囲との考え方のギャップを感じている人って意外と多いんじゃないかと思っています。きっと自分の会社の中にも実は他にもいて、ただ、どうしていいのかわからないからほかの人と合わせてしまっている人って少なくないんじゃないかと思います。

自分自身もその一人であって、よりよい企業に転職出来たとか、本業で大きな成果を上げたとか、社会的にわかりやすい成果を出せた人間ではなく、まだまだもがいている途中です。小さいことですが、これら媒体へのアウトプットをきっかけとして自分の思考整理から、自己成長につながって、少しでもプラスになればいいなと思います。

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