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欅坂46にはまった話fromサイレントマジョリティーな私

初めてアイドルにはまった。欅坂46にはまった。

自粛期間、就活を終え暇を持て余していた私は偶然テレビ東京の森香澄アナウンサーがサイレントマジョリティー(欅坂46)を歌って踊る動画に出くわした。初めこそは森アナウンサーのかわいさとダンスの切れの良さ、歌声に関心していたが、徐々に歌詞の内容に関心が移っていった。

これは本当にアイドルグループの曲なのか?

僕がこれまでイメージしていた女性アイドルグループの曲は、恋愛模様や夏の歌、全体として歌詞の内容が楽しい雰囲気を醸し出すようなものだった。

サイレントマジョリティーは違った。

君はそのままでいいのか、社会のルールに従うだけでいいのか、他人と異なることの何がいけないんだ、声を上げようよ

何かの闘争に駆り立てるような、弱い自分を見つめなおさせ奮い立たせるような、そう、雰囲気がまるで違う歌詞なのだ。

PVでの衣装やダンスも雰囲気に影響を与えている内の一つだ。まるで戦時中の軍服をまねた衣装で彼女たちはとても激しいダンスを冷めたい目で、まるで誰かに指示されたごとく繰り広げていく。本当は指示なんか受けたくないのに、そんな意思が伝わってくる。そんな中、不動のセンターと呼ばれた当時グループ最年少14歳の平手友梨奈が群れの中を切り開くようなパフォーマンスをするのだ。群れの中で、勇気を振り絞り声を上げているのだ。アイドルグループといった大勢いるからこそできる効果的な表現方法であった。

秋元康の才能の幅の広さをまじまじと感じさせられることとなった。

彼は、女性アイドルのステレオタイプである「かわいい」「笑顔」「恋愛模様」といったものを捨てた。そして欅坂46を通して「自我の確立」「反骨精神」を表現し、若者たちにアプローチしているのだ。

サイレントマジョリティー、意味は「物言わぬ多数派」である。SNSが栄えたこの時代、スマホ世代の若者に多くいるだろう。現実では自分を出せずに終わってしまうが、SNSの中では自己表現ができそれに共感(いいね)をしてくれる人が多くいることで”自分は実はできるやつで、だけど別に声を上げるつもりはないんだ”といったような。本当は弱くて、声を上げる自信なんてどこにもないのに。

物言わぬ多数派の感情×アイドルグループ=欅坂46

時代の人格トレンドを読み解き、多くの人々が共感できる歌詞を考え、そのターゲット層は若者だからこそアイドルグループが表現することによりうける。これまで存在しなかったこの方程式を秋元康は編み出したのだ。YouTubeの再生回数がデビュー曲にして1.4億回に到達しているのも頷ける。

曲を提供され(基本的に)それに従い物言わずに活動する、一種のサイレントマジョリティーなアイドルが、その気持ちを代弁しているとはなんて滑稽なんだろうとも思う。しかし、だからこそ、リアリティーが増すのだ。

そして同時に気づく

私もサイレントマジョリティーであることに

みんな秋元康の手のひらで転がされているのだ



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