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日記を書くということ

2018年に息子が生まれてから習慣にしていることといえば書くことである。

0歳の時は、マークスの育児日記に授乳とオムツ交換の回数を記録していた。離乳食の時期になると試した食材を記録している。余裕があれば一言二言子供の成長記録を付けていた。

1歳の頃は、ほぼ日weeksに一言日記みたいなのを付けていた。特に書くことは決めていなく、自分がその日にあったことや感じたことを書き殴っていた。ワーママ1年目で余裕もなく、白紙の週もあった。息子のことは保育園の連絡帳にも書いている。

2歳になってからは、左ききの手帳に3行日記(1.悪かったこと、2.良かったこと、3.やりたいこと)を書いている。保育園の連絡帳には客観的に見た息子の様子を、手帳には私の感情的に見た息子の様子を書いている。

息子が生まれてからの日々は一瞬で過ぎ去り、正直断片的にしか覚えていない。子育てというのはこんなにも体力と気力を奪っていくのかと、経験してやっと思い知った。

散らかった部屋を眺めながら、夜になると、今日もあっという間に終わってしまった、週末になると、今週もあっという間に終わってしまった、月末になると、今月もあっという間に終わってしまった、と、私は今まで何をしていたのだろう、実は何もしていなかったのではないかと怖くなるのだ。

しかし、日記をつけるとき、私は息子に向き合う時間を優先し、部屋を片付ける時間がなかった事に気づくのだ。日記を読み返したとき、この週は息子の手足口病が感染って息子以上に重症になり、なんとか乗り切った事を思い出すのだ。日記を読み返したとき、息子が初めてできるようになった彼の努力と、併走し続けた私と夫の事を思い出すのだ。

子育ては評価をつけてもらうのが難しい。会社なら評価はつけやすいし、つかなくとも給料が出る。でも子育ては見えないところ奮闘している時間もある。子育ての様子をビデオカメラで撮って置いたので見て欲しい!なんてことは一般的にはやらないだろう。

見えているところでしか評価できない人もいるので、心ない言葉をかける人もいるだろう。このご時世だと、頻繁に人に会うことが憚られることもあるだろう。いつもなら同志として奮闘している子育て仲間に会えないかもしれない。まぁ私は平常時でもソーシャルディスダンスを保っているのですけどね。

そんな時日記を書いていれば、過去の奮闘した自分を、今現在の自分が称えることができる。

一言、「イヤイヤ期がしんどい」が一週間続いてもいい。実際私の日記なんてそんなものだ。きっと日記を読み返した未来の自分が、「あの時は頑張ったね」とあの日の奮闘を称えてくれるはずた。

まずは自分が自分を評価してあげなくてはいけない。日記を書くことで人生が劇的に変わることはない。でも書くことで忘れてしまいそうな過去の自分を繋ぎ止めて抱きしめる事はできるのだ。

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