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3月のTYO

3月12日のライブを控えた前日の金曜日、連日の残業も相まって、早く仕事が終わらないかなぁと思っていた。

結果、私の望んだ明日はやってこなかった。
地震が起きたのだ。

私は幸いにも職場から自宅に帰宅し、家族みんなで近所の学校に避難できた。

沿岸部からは離れていたので、家のすべてを失うことはなかった。ただ、津波の規模が大きかったので、私の住んでいる地域は私の腰より上の位置まで浸水していたらしい。

らしい、というのは水が引いてから自宅に帰って、水の跡で高さを測ったからである。

私たち家族は3月11日から2週間の避難生活を経て、自宅の電気と水道が復帰したのを機に帰っていった。ガスはそれより2週間遅れて復帰した。当時は混乱の中インフラの復帰も地域によってまちまちだった。

浸水で愛車を失った私は、まだまだ片付けの終わらない荒れた道を歩いた。津波の被害にあっていない地域に用事を済ませるには歩いて30分以上はかかる。ただ歩くには景色が荒んでいた。私はイヤホンを耳に突っ込んで、違う世界に逃げ込む。

i Pod nanoに入れた、新譜のアルバムを繰り返し聴く。どこからか流れてきた小舟が歩道に乗り上げるなか、ハードな重低音とギラギラとしたギターがイヤホンから流れるのはどこかおかしい。ややもすれば今にも沈んでしまいそうな心を引き上げてくれる。

私は身内を失うことはなかったが、身近な人が亡くなった。自宅に線香をあげに行った時は、あまりにも現実味がなく涙も出なかったのだ。

ある日、両親が震災特番をテレビで観ていた。私の両親は転勤族で、今住んでいる地域にルーツがないからか、普通に観ている。やめて欲しい。私は、学生時代の大半をここで過ごしたのだ。津波でぐちゃぐちゃでなった青春時代の地など見たくない。

テレビにスケッチブックを持った人が映った。
「探しています」
そう言いながら、行方不明の家族を探しているのだ。
私はその探している人を知っている。

自宅に線香をあげに行った時は、あまりにも現実味がなく涙も出なかった、あの人だ。

「テレビを消して!」

私は両親に声を荒げ、自室に引きこもった。

現実がやってきて涙が溢れた。
あの人はもういない。

私はイヤホンを耳に突っ込んで、違う世界に逃げ込んだ。軽快なディスコミュージックにスコーンと抜ける高音のボーカルがすがすがしかった。

この時頻繁に聴いていたアルバムのアーティスト名は「TYO」という。

2008年、廣瀬“HEESEY”洋一(ex.THE YELLOW MONKEY/HEESEY WITH DUDES)が中心となり結成した超ヘヴィー級ロックンロールバンド。
/公式アーティストページより引用

私は好きなアーティスト経由でTHE YELLOW MONKEYを知った。非常にハマり、ライブに行ってみたいと思う。しかし、当時は解散していたので、メンバーの現在の活動を追うことにしたのだ。

たまたま、直近のライブサーキットイベントにTYOが参加すると知り、行ってみることに。

「かっこいい……!」
私は、ステージの上の彼らに、一瞬で心奪われる。

ギラギラのロックスターの風貌に、負けず劣らずの骨太のサウンド。それでいて軽快で大人の遊び心のギミック、幅広いジャンルを織り込んだメロディーに魅了される。ステージ終了後、音源を手に入れるべく速攻で物販に並んだ。

以後、TYOが地方公演するときは、必ず聴きに行くようになる。当時、私は地方ではあまりいない若手のファンだったので、遠征組の方に前列を譲ってもらったりもした。遠征組の方に、なぜかこちらのご当地グルメを奢ってもらったりもした。

2011年3月12日にTYOのライブに行く予定だった。
もちろんライブは中止になった。

当時、私は震災後に大いに需要のある仕事に勤めていた。

車が手に入るまでは、平日は自転車で片道30分の通勤をして職場を片付け、休日は自宅を片付ける。車が必須な地方都市だったので、中古車は足元を見られ、高く売られているのだ。

新車は需要が高い上、工場も被災して稼働状況が悪く、手に入れるには時間がかかってしまう。私は震災の被害の少ない地域に暮らしていた、親戚の乗っていた車を買い取らせてもらう。

車が手に入ってからは連日残業し、週6日働いた。地域に少なからず貢献しているのだという、自負と気力で働いていた。その間、住んでいる地域に有名人がたくさん訪れる。上京した同級生がUターンして、地域に新たな事業を起こしたらしい。

私は、本当に普通の会社員なので、時々そのキラキラしたものにやられてしまう。もちろんパワーのある人が、動いてなし得ることは重要でありがたい。パワーのある人の行動は、大きく人とお金を動かしてくれる。

一方、私はどうだろう。ただ毎日をこなしているだけだ。

毎日せわしなく働いても、スポットライトは当たらない。みんな頑張っているし、頑張るのが当たり前なのだ。褒められなくても当たり前なのだ。

私は身内を亡くしていない。恵まれている。
私は家を失くしていない。恵まれている。
私は独身で子供の心配をしなくていい。恵まれてる。
医療関係者より、消防隊より、自衛隊より私は忙しくない。

私はイヤホンを耳に突っ込んで、違う世界に逃げ込んだ。

Go into a trance 虹を超えて絶望も乗り越えよう
/ TRANSCEND-A-NCE アルバムTYO TO YOUに収録

私はパワーのある人を、虹のようにうらやましがった。どんなに近くに見えても、私には手が届かない。私は自分の無力さと忙しさで参ってる。

今なら分かる。人には人それぞれのキャパシティがあるので、比べてはいけないと。比べてくる人は野暮であると。でも当時は若かったし、省みる時間なんてなかったのだ。

そんな時、音楽は私を違う世界に連れて行ってくれる。あの状況で出会ったアルバムが、TYO TO YOUで本当に良かったと思う。収録曲は明るくダンサンブルでノリが良く、下世話で大人のおふざけの中にも、希望を垣間見る楽曲が多かったのだ。気持ちを切り替えるのにはうってつけだ。

3月12日公演のライブの代替公演の発表を聞いて、そこまで何とか走り抜けた。
「やっとこれた」というメンバーの言葉と、「大丈夫だった?」というファンの言葉に励まされた。

私は次のライブまで生きていかなくちゃいけない。
私は次のシングルリリースまで、アルバムリリースまで……

そして、私は10年たった今でも生きている。

TYOは、残念なことにボーカルの前田“TONY”敏仁さんが2015年に脱退してしまい、実質活動休止状態だ。だけどTONYさんは、ANTHEMとしてふたたび活動している。他のメンバーもそれぞれ活動していて、50歳もとうに過ぎたメンバー達が、相変わらずギラギラした姿でいるのを見ると、なんだか元気になるのだ。

2021年、奇しくも未曽有のウイルスが世界に蔓延した年に、震災から10年を迎えることになった。そして私は相変わらず普通で、震災の復興プロジェクトに関わることも、ウイルスと対治することもない。でもそれで良いのだと思う。息をして今日を終えることができたら100点満点だ。

自分よりも厳しい状況にいる人を比べて、自分を責める必要などない。自分が思い描いていた大学生活を送れないことと、医療関係者の苦労を比べる必要はない。自分が安定した給与を得られる仕事についていることと、飲食店関係者の苦労と比べる必要はない。

もちろん現状を知ることは大事だ。無知で不必要な発言で、誰かを傷つけてしまうこともあるからだ。でもそれで自分が傷つくなら、しばらく離れてしまっていい。自力で離れられないなら、何かエンターテイメントの力を借りるといいと思う。

#それぞれの10年 なんておごがましいと思う。被災地の現場から、何もしていない普通の私は口をつぐみたくなる。私には崇高なnoteは書けない。ただその時の自分を救ってくれたものを語ることは、今苦しんでいる誰かを救ってくれるかもしれない。音楽でもマンガでも、エンターテイメントの世界は楽しい。あなたのおすすめが、誰かの心に響くかもしれない。

2011年3月8日、私はフラゲしたアルバム、TYO TO YOUをi Pod nanoに追加した。

2021年3月8日、私は変わらずiPhoneから流れるTYO TO YOUを聴ける日々に感謝しつつ、今日を走り続けている。

私の住んでいる地域は被災地という名前ではないし、3月11日は節目ではない。その日は、痛みを伴った日常が流れているだけだ。



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