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育児の3年間は「行ってしまう、逃げてしまう、去ってしまう」

「一月往ぬる二月逃げる三月去る」ということわざがある。

正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったもの。一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。
/出典: デジタル大辞泉(小学館)

息子が先日3歳になった。
ついこないだ生まれたような感覚で、先のことわざを思い出した。あのことわざは月の話だけども、まるで育児の3年間のようだと。

「1歳は行ってしまう、2歳は逃げてしまう、3歳は去ってしまう」

私はたった数年前の息子のことが思い出せない。あんなに必死だった毎日が思い出せない。人間の記憶なんておぼろげなものだ。私は熱心に息子を可愛い姿で記録はできなかった。流行のフルーツのコスプレ、ハーフバースデーではキューピーハーフのコスプレ……可愛くInstagramに納まる同月齢の子達を横目に、ただただ不器用に毎日をこなしている自分を情けなく思う。でも、今なら分かる。それが私の精一杯だった。

新生児を抱えた私は、記憶のトリガーに何らかの記録が必要だと思った。手帳に記録することの有用性と楽しさを見出していた、過去の自分が知っている。産婦人科でもらった育児日記が便利なことに気づき、どうせなら可愛くてテンションの上がる育児日記を、とAmazonで注文し、里帰り中の実家に届けてもらおう。ネット通販万歳。

私は割とガジェット好きでもあったので、アプリで授乳やおむつ替えの記録を取ることも考えたが、最終的にはアナログがいいのではと思ったのだ。アナログの記録なら、自分が体調不良でも、夫や実母に簡単に引き継げる。実母もギークなタイプであったが、育児という24時間体制のお勤め中に、アプリの説明などという仕事のタスクは増やしたくなかった。

育児日記を手に入れた私は、授乳やおむつ替えの記録を淡々と記録した。とても映える日記とは言えないが、息子の健康記録と、自分の日々の日報になった。何もしないで一日が終わったと思っていたが、育児をしていたという事実が積もっていくのが、私の励みになったのだ。

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ちょっぴりだけ余裕があるときは写真を貼ったり、絵を描いていた。基本的には自分の感情は一切書かず、事実のみを書いている。自分の感情と、息子の行動の事実を切り離して記録したかったからだ。読み返したときに、いい思い出だけを残したい。息子が大きくなったときに見せやすいかな、とも思った。

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私も聖人君子ではなかったので、育児に対する苦しみとかそういう感情は別の手帳に書いていた。感情と事実を同時に知りたいときは、同じ日付のページを見ればいいのだ。振り返りのしやすさは、アナログが便利である。

寝返りをして、飛行機ポーズをして、のんびりとしたハイハイが高速ハイハイになり、ついには歩き出した。初まりと終わりが同時にやってきて、そのタイミングが年々おぼろげになっていく。両手ですくおうとしても、成長速度が滝のように流れていき、両手からこぼれ落ちるのを、育児日記で繋ぎ止めた。

育児日記は保育園に通う前まで続き、今ではその役割は保育園の連絡帳に移っている。

多分3歳もすぐ終わる。
舌足らずな喋り方を、ペンで少しだけ繋ぎ止める。

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