木歌 CD Album[Φ](phi)について。2017
2008年に、前のバンド[Buri木歌]でのアルバム「フロウイングトラベルタ」をリリース(まだ東京時代)してから9年が経ちました(2017)。
元々、ソロで活動していた事務所時代。それを経て、仲間が欲しくて作ったバンドは2年で解散。
もっと、深く、純粋に自分から生まれる表現を探して、ソロ活動をまた始めた 。
でも楽器も弾けないし、自分の歌を探しても見つからないから、
自分を「何」って決めたくないし、
その時その時の「即興」を主体として、「声」のみを使う(Loopマシーンを使った)ソロライブ。 楽器はカリンバ少し。
そうしていたら、「何か、極まっているなぁ」と感じて、東京にいるのが苦しくなって来た、2011年3月11日大震災の2日前。
不動産屋で住みたい家が見つからず、実家に電話をかけたら大丈夫だっていうから、そのまま自分の車で東京を去り、故郷、「岐阜」へ帰った。
それからの年月、、。
情報が多すぎる都会の中、ネオン輝く霧の中を飛んで跳ねて、生きるような生活から、
地に足をつけ、自分の声を聞きながら、生きることができるようになるまで、、、、、バランスは極と極を行ったり来たり。大変なことだった。
躁と鬱の狭間で、真ん中を探していた。
自分と世界の 真ん中を探していた。自分を探していた。
疲れ切って、もう生きるのが苦しくって、だけど誰にも助けてはもらえないと分かった。
苦しかったけど、それしか約束がない。
歌い続けた。
嘘のない歌を探して、即興で、今感じる歌だけを、歌い続けた。
「歌うための人生ではなくて、人生のための歌をみつけたい」
「永遠に歌い続けられる私の歌がほしい。」
砂をつかむような毎日の中で、手のひらに残っていた、答え。
集めてみたら、10曲になった。
東京から帰って、5年後から、2年かかって録音し、完成したのは、黄金比を表す「Φ(ふぁい)」という名のNewアルバム。
この、アルバムに収録されている、歌をうたうことで、
私の人生は、本当に助けられた。。。
「孤独」が少しずつ溶けていった。
歌を歌うと、「伝わるよ。」と、泣いてくれる人がいた。
ボランティアで、ホスピスで、障害者施設で、色々な宗教施設で、海外で、ARTで、多くのボーダーを超えてこのアルバムの楽曲たちは、歌の力を、言葉の力をもう一度信じさせてくれた。
そして、「ありがとう」を言われ続けてやっと気づく。
「わたしは、みんなの代わりに歌を歌う。
この声は、私がたまたまこの身体にもらった、贈り物。
みんなで使わなくては、死んでしまう。」
そして、録音にあたって、旅する私の音楽史の中で最も衝撃を受けた、ミュージシャン達にお集まりいただきました。
実力派かつ個性的なメンバーが加えた、一音一音は聞いたことのない新しい感覚と懐かしい印象、両方を与えてくれて、、
民族楽器から発展した木歌のシンプルなコード展開だからこそ、複雑に絡み合うメロディは奇蹟。
ピアノ、シンセサイザーによる効果音に、 メジャーもアンダーグラウンドもひょいひょい行き来する、音楽王と名高いHoppya神山
絶妙な間のパーカッションに、ドラム缶から火花まで、いろんな現場で大活躍する、スティーヴエトウ。
そして、タイトなドラムに、京都を主体に活動する名老舗バンドsoftからPON2.を引っ張り出し、
コズミックなエレクトリックギターに、空間系ギタリストとして名高いベテランギタリスト marron まで駆り出した。
小気味いいベースに、同胞の岐阜発信の百姓バンド「かむあそうトライブス」のベースボーカル、天才やじー。
最後の優しい名曲「ちいさなiloveyou」のギターは通りがかった優しい友達の彼氏 洗足学園音楽大学ジャズギター科卒のラッキー 赤須 翔 !
Mix,マスタリングにもdubwiser KNDと時間をかけ、録音から発売まで、約2年を要した。
アルバムジャケットデザインには、一筆書きペインターでもあるアーティスト(ロゴデザインも担当)NANDE a.k.a. Gokubuto
中には、開けてびっくり、Light Painter (OHP) の、ハラタアツシ
が木歌の楽曲でLight Paint を行った時の瞬間が切り取られている。
そして、ジャケット写真。これは、8月のアイスランド。
一面の苔むす風景の場所。
お腹に、第一子を身ごもったばかりのEURツアー中。
新婚の夫、Yuta Unoが撮影してくれた思い出深い一枚。
私は一生歌い続けるだろう。
このアルバムはそれを証明する。
CDはぜひ、やっぱり手にとって、みれる、現物通販がオススメ!
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