月曜モカ子の私的モチーフvol.232「いま、新しく生まれる」
よく晴れた冬晴れの日が続いている。
ちょっと細かいことは言えぬが「いつか昔、ここいらで生まれた」というような、胎内に近い場所で日々を過ごしていて、
「いま、新しく生まれる」ことについて考えている。
新しく生まれると言ってももう42年も生きてきているので、一体どこいらを「まっさら」にするとよいか。
それなりに生きてきた人間が新しく生まれる場合「まっさら」の対極にあるものは「過去にしがみついている」という言葉かなと思って、
すると自分は「眉毛」のことを思う、置き去りになった眉毛のこと。
ご覧の通り今のわたしは下がり眉であるが(↑2021.12月)、
数年前までは上がり眉毛であった。
20年前の我々ももれなく上がり眉毛である。
写真左の由梨が全く変わってないな!笑(2002年)
何が言いたいかというと、眉毛って置き去りにされちゃうなあってこと。
トレンドや流行に敏感だった20代のトレンドで止まってしまって、
気づいたら随分時代遅れになってしまっていること、あるよね。
わたしたち世代でいうと、安室ちゃんやあゆの眉毛ももう尖ってないのに、自分たちだけが置き去りになっている。
実際、下がり眉に自分のトレンドを更新してからももう3年ほどになるので世間のトレンドはもうそこにはないかもしれないけど、わたしはしばらくこの感じが気に入ってるのでそれでいく。
↑ちなみに今調べてみたんだが現在のトレンドは形関係なく「ナチュふわ」が主流のようです。描かないと眉毛そのものがほとんどないわたしには、逆風の眉毛トレンド笑。
さて。
そう思ったらさ、これとかもう10年前じゃない。
なんていうかさ、その時に放たれたものはさ、その時代の風を含んで普遍化していくから、村上春樹の「風の歌を聴け」とかもいつでも新しい感じがするし「誰June」を今読んでも「もうこんな時代じゃねえよ」ってなるよりは2000年代初頭から震災前の、ある時代のノスタルジーがそこには宿っているだろうからそれでいいのだと思う。
でもさ2022年に放たれる新作はどうよ、って、そういう話。
上がり眉毛のまま ”なう” を書いてはいまいだろうか(笑)
日々や出来事も放たれた瞬間からそれは「過去」になって「今」ではなくなる。わたしはもう神楽坂には住んでいないんだし、デルタ株を懸念される時節を今、オミクロンが凌駕しようとしている。
流行りに合わせてけ、ってことを言ってるんじゃなくってもっと根幹の、魂とか哲学レベルで自分を見つめ直して、
「前はそうだった」「でも今はそうじゃない」
っていう確認作業を、逐一していくことーーそれこそ眉毛からつま先までーーが大事なのかなあ、なんて、今日考えている。
お店のことって、本当に、女主人になったことも経営も、店を持つことも未経験だったから、文字通り「まっさら」な状態で始められて、それが功を奏した部分も多かったと思う。アレッ、昔はこれでうまく行ったのに、とかってなぞる作業がないから全部が未知との遭遇で、それはもしかしたらこの非常事態飲食時代には、良かったのかも。
なんか飲食って本当〜〜〜に苦労ばかりで身入りのない大変な業種だから、
みんなやっぱりある程度やってきた人は「ここまでこのやり方でやってきたんで!」って自負があるけど、それが「もうそんな時代じゃない」って時に邪魔することもある。特にこの2年の間にたまたまお店をやっていなかった飲食の人が「もう一度お店をやろうと思う」という話とかになると色々にズレを感じることもある。
いや、今そんな造作にお金かけたら回収できないよ!?とか、
いやいやそんな思っている感じにはいかないんだよこれが、とか思うこともある。
でもさ、それって出版界に例えたら、わたしがきっとそういう「ちょっとズレてる人」なんだろうなあって、思った。
なのに自負だけがさ、笑、
「わたし13年間作家やってきましたよ」みたいにあって。
(そのうちの8年本出してないんだからカウントすんなよ!って話 笑)
壷井さん去年わたしの操縦大変だったんじゃないか。
「3000部くらいならとりあえず刷って売ったらいいんじゃないかな」
みたいな化石マインドのわたしに対応するの......笑。
だからなんか、25歳の頃の「女優になりたい!」みたいなあの頃の何者でもなさの中、生まれて初めて小説を書くつもりで、
「宵巴里🌙」をもう一度頭から、手入れしてみたらどうかな。
そしたらきっと「中島桃果子らしさ」とかそういうのや、変なこだわりも、削ぎ落とすことができたりするのでは。
だって中島桃果子を忘れるんでしょう「いま、もう一度生まれる」という現象はさ。
26歳になりたて。妹の住むロンドンのアパルトメントにて。
この頃広尾のワンルームマンションにナオミというとてつもない美人と住んでいて、わたしは26歳の誕生日に「杉田萌香」という勝手名乗り名を
(だって本名はスギタアキコだからね!笑)
「中島萌香子」に改名した。まだ中島桃果子になる前の、話。
↑ここにも書いたんだけどね、年始に引いたカードが「ヒノカグツチの神」というやつで(カードの絵ちょっと怖いからこちらでは割愛)、言葉が、
わたしの炎は熱い炎ではありません。
古きものを焼き、新しいものを生み出す炎です。今までなってきた古い縄を燃やして灰にしなさい。そして、新たなる縄をなうのです。
縄は縛るものではなく、人と人をつなぐ、輪となるでしょう。
だったので「今までなってきた古い縄を燃やして灰にする」ってどういうい意味だろう、どういう作業なのかなあ、なんて考えていたら、置き去りの眉毛のことと「いま、新しく生まれる」ってところにたどり着きました。
とりあえず自分が小説家であることをすっかり忘れて、
改稿にあたろう。改稿、という言葉も、忘れよう。笑。
店もそうだな。これまでの3年間のことは一旦忘れて、
また今年開業したつもりでね。
そうじゃないと3年目のコロナは乗り越えてゆけないと思うからさ。
去年までと同じように国からお金が飲食店に注入されるなど、
ない!みたいな姿勢で、いかないとね。
ともかく全てを0位置に戻して、
いま、新しく、生まれる。
<モチーフvol.232「いま、新しく生まれる」2022.1.10>
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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!