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月モカ!!vol.270「まずは自身のコップを自身で満たして」

photograph by Kenji Okamoto(by 2018年賀状撮影)
結構前の写真だけどそんなに違和感ないのでお披露目できていないこのような写真を今年はたくさん使っていきたい。

どうも明けましておめでとうございます。
元旦が月曜だったのでその日から(コンスタント月モカ)を再開したいと思っていたけど能登の地震があり何を投稿してよいかわからなくなったので、
ちょっとした短い文章はSNSにあげて(←こちら)
年始の挨拶としていました。

そのあと「がんこエッセイ」の12月号と1月号をnoteマガジンに掲載して、
1月号をご挨拶の代わりとさせてもらったよ。

12月号のアーカイヴにも書いたけど「ちょっと大袈裟すぎただろうか」と気にしていた12月号が、年が明けてみたら全く大袈裟じゃない世界線になってしまっていて「最初にロゴス(言葉)あり」そして言葉を神とする部分て少しわかるなと思ってしまったね。

さて。女主人としては去年末始めた今宵振り返り動画「宵っぱりのモカ」をしくしくと更新しています。そして「月モカ」を元のルーティーンに戻したいと思って本日なう、執筆中。なんか月曜に目覚めて、お湯とか珈琲とか飲んで、少し家の片付けとかして、月モカ書くって「うたタネ♪」を原宿でやっていた2016年の頃を思い出した。本日は同じルーティーンで夕方に(ほんとは15じ頃取り掛かりたかった)書いている。
ここ3年ほど「月モカ」が飛び飛びになったのはひとえに長編小説をずっと書いていたからで小説家であるからそれでよいだろうと思っている。
(刊行はその内の1つしか出来てないけど、自身の書斎にいつでも刊行したい作品がすでに完成してあるのとないのでは大違い)
却下された作品も含めたら4本書いたことになるので、一旦は十分かなと思い今年は「月モカ」のルーティーンに戻したい。だって月モカを毎週書くというルーティーンは非常にわたしらしい行為だから。
思えば2019年から毎日が非常事態だった。わたしは中島桃果子でありながら主たる職業が根津の酒場の女主人になって、その日々に引きちぎられるように過ごした。女主人も中島桃果子であることには代わりないけれど、使う脳みそや気を遣うべきポイントは表現者のそれとは全然違うので、やっぱりどこか「イーディのモカコさん」と「小説家/中島桃果子」は別な生き物のような気がする。

そんな意味では「宵っぱりのモカ」をしくしくと編集しているとき、わたしには久しぶりに何か創作者/中島桃果子の血潮が体内に循環するのを感じた。
(これこそがわたしの源で、全てはそれに付随したものでしかない)というあの感じ。「宵っぱりのモカ」の”別冊/男たちのFriday”でエコ氏が言ってるけど、わたしは創作に関してだけはいつだって迷いがないのだ。答えは天啓のように降りてくる。それが市場と合ってない。それは苦しい。
しかし迷いはないのだ、発信する全ての作品に。

そうだそうだ。別に売れるものが作れるわけじゃない。誰しもに共感されるものが作れるわけじゃない。けれども中島桃果子の作るものというのは、
それが映像であってもエッセイであっても小説であっても、既視感がなく、中島桃果子イズムに満ちている。それだけは確かで、今年わたしはこの基盤を守っていかないとダメだろうな、そんな気がした。

photograph by Kenji Okamoto(2017.12.14 )

客商売、お店を経営するというのはまだ5年目だけれど作家業という仕事は今年の1月で15周年を迎え、16年目に入る。
女主人業は本当に素人だったので学びながら没入し、客商売ってなんだかんだお客さんが喜んでくれないと意味がないのでそこに一生懸命になってきたと思う。そしてあまり知られていないが、創作者ではない時の中島桃果子というのは実はあまり勝ち気じゃないんだよね。
去年北海道のアザラシ出版のアザラシさんがイーディ来た時に彼は手相がみれるらしいんだけど「モカちゃん女の子には珍しく気ムラがないね。あと[我]がさ、強そうに見えて実は全然ないんだね!」
と驚かれたんだけど、そうなんです。
わたし全然、我は強くないんだよね、こと女主人業に関して。

でもだからこそねタイトルを「まずは自身のコップを自身で満たして」にしたわけなんだけど、この数年は言葉通り「自分そっちのけにして」誰かのことを一生懸命やりすぎてしまったなという、経営者としての反省がある。
結果、ほぼ丸一年、自身の報酬を店から全然とれなかった。
「君さ、店を黒字にしたいなら自身のコストをまず経費に計上しなさい」
とやり手ビジネスマンに言われたときハッとして。
わたしにはどこか(最初に自分の報酬を必要経費に入れるなんてがめつい)みたいに思ってたような気がする。ここはわたしの店でわたし(と栞)が誰よりも何十時間何百時間て働いてるのに「まずは貢献してくれているスタッフたち」とか「分配」ありきでものを考えちゃって、わたしの報酬は時間で割ったらおそらく関わってくれているお手伝いの誰よりも低い。
でもそれは最終的には一番いろんなものを不幸にしてしまうやり方だから、改めないといけないよなって、思った。
まず自身のコップを経済的にも満たしてから溢れた分で人助けをする。
そういう風に考えないとダメだよね。

そこで思ったことが「創作者/中島桃果子」にもっと軸を置いた方がいいなってこと。

モノを作っているとき、わたしは天啓に打たれながら作っているから、
誰かに言われてそれを曲げたりすることはまずない。
中島桃果子として印税や報酬を頂く時「こんなにもらってよいのだろうか」と思うことはない。

なぜに女主人業よりも多大な報酬を中島桃果子としてなら躊躇なく受け取れ、女主人業としてだと(高くないかな?)(このお会計出して大丈夫かな)って思うのか。全然わからないけど、そうなる。
イーディは全然高くないのに誰かに嫌味で「高いね」とか言われたら「そうかな!?」って思っちゃう。自身の提供しているサービスはよく考えたら水商売は作家業より長くちゃんとしたものであるはずなのに、お客さんが支払っているお金に見合ってるかな?っていつも考えちゃう。
でも中島桃果子の印税高いねとかもし言われても「あの作品だったら村上春樹くらいもらってもおかしくなかった」って(笑)なぜか自身の作品に関してはそうなれる。

「我が強い」というのは悪いことのようにも思うが、我が強くないと、
店なんて生き残って行けない。そして実のところプライベートでは「そんなに我が強くない」わたしが今年を生き残るためには、わたしは創作者/中島桃果子でいることが大切なのである。わたしの知り合いでわたしのことを「心臓強いな」とか「思い切りがいいな」とか「開き直りすごい」とか「自己肯定強い」「動画のサムネの自分推しすごいな」とか思っている人がたくさんいると思うんだけど、
それっていつも「作品」が関係している時だと思う。
潔く半裸になるとか、ばばばって前に出て目立つことをためらわないとか、
「いやそれ違うね」って強く意見する時とかって、
たぶん全部何か創作と関係がある時じゃないかなって思う。

そういう意味でまた毎週「月モカ」を書くことはわたしがわたしを取り戻す、いいルーティンになると思う。店のわたしが偽りのわたしなのではないが、女主人/中島桃果子、より、小説家/中島桃果子の方が、
いつでも揺らぎなく、強いから。

このポエムキャッチも1週間で全部できた。
文章の調整に苦戦したブレンドはあったけど、答えはいつもあっという間に降りてくるしその答えにいつも自分は納得できる。
作品も商品だから最終的にそれが売れないければ意味はないのかもしれないけれど「結局売れなかったから意味はなかったよね」みたいに卑下することも、なぜか創作においてはない。それらは全て出産のようなものだから、
生まれた意味がなかった命などないのである。

それでは皆さま、本年度も中島桃果子をよろしくお願いいたします。
今年はSNSなどでもポエムキャッチ他、創作的なものを多めにupして自分の血のめぐりを良くしてその[我]を胸に、店を守っていきたいと思います。
そう、これは店を守り抜くためにもわたしが創作者の中島桃果子でいなければいけない話。

<月モカvol.270「まずは自身のコップを自身で満たして」>
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


この動画では、わたしが最近新しく描き下ろしたポエムキャッチを
特集しています。

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