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月曜モカ子の私的モチーフ vol.179「満月」

昨夜、劇作家のニールサイモンが旅立った。

ちほさんから「満月の日に逝くなんて、最期まで洒落ているよね」とlineが来たのだけど本当にそうだと思う。
                           
学生時代、ああいうお洒落な戯曲が日本にもあればいいなと思っていた。ニールサイモンがわからない人の方が多いと思うけれど、日本では三谷幸喜さんがかなりニールサイモンのシチュエーションドタバタコメディに影響を受けているので、ああいった感じといえばわかるだろうか。三谷幸喜作品には独特の土くささがあって、そこがわたしは好きなのだけど、ニールサイモンは、どこまでも垢抜けていてエッジが効いてお洒落なイメージがあった。だからこう亡くなったと聞いても、必要なものをトランクに詰め込んで、満月の中を宇宙へ飛んだような、そんな感じがする。

                           
ところで昨日はうお座の満月で、久しぶりに晴れた。
わたしが妹あやめっくすに「満月の日は色々やることあって忙しいわ」と言ったことに彼女がとてもツボって、満月の夜には「満月🌝 Busy?」とLineが来る。
「ムーンウォーター作ってますか?」とか。

                           
実は先週も月モカを書いた直後からひどい高熱が出て病院で点滴することになり、熱は次の日にはウソのように引いたのだが1週間を「いまいち安定せんなぁ」という体調で過ごしたので、月の満ち欠けを空で確認はしていたけれど、ちゃんと調べてはいなくて、実のところ「満月? Busy?」という半ば冷やかしLineを見て初めてわたしは「えっ!今日?」となり、よく調べたら翌日の昨日だったので、
妹が笑う言葉の通り、昨日はとても忙しかった。

                           
とは言え何をやっているかというと、何となく“神秘的”なものを月光浴させる、それからムーンクリスタルウォーターを作る、自分が月光浴する、それくらい。

                            
5月に実家の大掃除をした際に、亡くなった祖父(母、中島家の方)が水晶などを旅先では買っていたのを思い出して母に「捨てた?」と言うと「捨てたりしてない。しかしどうして良いか分からず困っている」とのことで、それらを東京に持ってきた。
                           
アメジスト(紫水晶)なんかも塊で夏みかんくらいの大きさはある。仕舞ってあってくすんでいたので浄化したのだが、その時に、アメジストなど太陽に当ててはいけない石があると知った。(石専門家として失格ですな)
これは霊的な話ではなくって、
きっとアメジストって陽の当らない鍾乳洞のようなところで少しづつ出来るのかな? 太陽に当てると退色する、とあった。それを知ったのは、すでに2時間も直射日光に当てた後だったのだが......、以降、月光浴をして浄化することにしている。

                           
雨の日が続くと洗濯物がたまって困るように、2か月も曇りの満月が続くと、月光浴が溜まって困る。
モンサンミッシェルから連れて帰ってきた妖精の置物とか、おばあちゃんの形見の宝石とか、ついでに、とか言って月光浴に向くのか知らないけど、可愛がってる小さなフクロウの置物など。
いつもはベランダでやるのだが、先日その付近でGに遭遇して、心安らかにできないので、自宅の上の部屋の南東の窓際で行った。運良く時間帯的にも、そこがベストポジション。部屋の明かりをなるたけ消して行うのだが、
晴れ渡る空に煌々と光る満月の強さよ。

                           
ちょうど手塚治虫の“火の鳥”を2004年製作のアニメで全部観た後だったので、わたしは、ぐんにゃりと屈折する時間軸の中で、宇宙における惑星としての月と、太古の世界における神秘としての月のことを両方想った。
太古の時代、こんなにも月が明るい日には、その光に照らされて書物を書いたり、ちょっとそこいらを散歩したり、月の光を浴びながら眠りについたり、したのだろう。その頃月の光は、今のようにネオンに阻まれず、街の、村の、隅々までくまなく行き渡っていた。

                           
せっかくだから月明かりに照らされて眠ろうと横になる。
月はますます煌々と美しかった。

                           
ところでムーンクリスタルウォーターだが、浄化済の小さな水晶を入れた容器に水を入れて月光にあてるというもの。
それ用の容器も3coinsショップで買って毎回作っているのだが、昨日たまたま「うお座満月」のことを調べていると、
「ムーンウォーターは“ガラス”でないと月の波動壊れるのでいけません」と書いてあった。
何!? わたしの容器、プラスチックなんだけど!

                           
でもとりあえず気にしないことにする。
信仰ってそういうものだもの。
こうじゃないといけないという考えに縛られるところから壊れてくるのだ。
ダビンチコードシリーズを最近一気に見たわたしは、つくづくそう思ったので。

信仰はなんのためにあるか。
自分、または各々の”生ける”人生の救済のためである。
ブッダは死後に重きを置いたけれどそれはあまりにも苦しみが多かったその時代に、最後には救済があると思うことで生き抜いていく、そのやはり”生ける”今のための光が当時は極楽浄土であったのだと思う。
(ブッダも一気に観た、今インプットの時期)
                           
                                    
信仰のためにそれぞれの人生があるわけじゃないのだ。
だから信仰のために個人の感性が捻じ曲げられてはいけない。正義のためでも個人が捻じ曲げられてはいけない。

                                    
だから結局のところ、わたしが飲んでいる水は、ただミネラルウォーターの水晶入りかもしれないけれど、そこに神秘が宿ると思って飲んでいればそれでいのである。(どうしよう、広げすぎて、もともとのissueがくだらないすぎることになってしまったが)
神秘が宿ったと思うことが、明日からの人生にポジティヴな要素をもたらすのなら、それで良いのである。

                                    
わたしはわたしを信仰している。ワタシ教。
役者仲間がわたしの妹(ベスフレの母)に「モカコ時々、あっち系のこととかエッセイに書いてるけど、変な新興宗教に勧誘とかされないかな」と心配して話した際に、妹は「あの人は危うい感じに見せかけてあの人の理屈が強固にあるから、意外とそういうのに取り込まれることはない人やわ」と答えたらしいが、わたしはガリ勉だからその「理」が頭と心で本当に腑に落ちるまで、研究を止めることができない。だからそこに一寸の矛盾を感じると(そこ筋が通らないヤン。だったらそれは違う)となってしまう。だからワタシ教になってしまう。

                                    
もちろん古代の叡智や信仰には敬意を持って、それらをずっと勉強している。けれど勉強の結果、人類は戦争から逃れられないので、どうしたらいいのかなと考えているところ。

                                    
うお座満月は大いなる浄化の満月だったらしい。
なのでわたしの体の大いなるデトックスもこれで完了して、9月からは復活に向かいたい。

            <モチーフvol.179「満月」/ イラスト=Mihokingo>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。

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