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月曜モカ子の私的モチーフvol.223「脱稿/世界の隅っこで」 文 ナカジマモカコ

またもう一度、月モカをコンスタントに再開できそうなルーティーンに、
ようやくたどり着けて嬉しい。それはつまり日曜から月曜のスケジューリングが定まった、ということ。わたしはエッセイ、時に月モカなど刷らないものは、なるべくフレッシュな状態で書いてすぐ投稿したいと思うので、
月モカの再開には日月のスケジュールの確保が必須で、しかしそれがなかなか困難であった。現在水曜はオフなので「水モカ」に変えようかと思ったりもしてしばらく悩んだけど、やっぱり月曜日で行こう、ということに。
人のスケジュールなど知りたくないかもしれませんが、現在のわたしのスケジュールは大体こんな感じ。

月曜/ 石川シンとレディオの収録&打ち合わせ(大体夕方〜夜中)
火曜/ イーディ。千賀子さんと。(19じ〜夜中2時まで)
水曜/ オフ
木曜/ イーディワンオペ(21じ〜2じまで)
金曜/ イーディ(21じ〜2じ/片付け終わると4時)
土曜/イーディ(21じ〜2じ/片付け終わると4時)
日曜/ レディオの配信確認&SNS投稿後、ひたすら寝ている

11月までも火曜と木曜は時短でお店に出て、ここぞとばかりに掃除などなど店のことをしていたので火&木の予定は同じ感じ。
他の曜日はこの合間に全て「新作の執筆」が入ってきていた。
今回壷井さん(編集)がいてくれる執筆だったので夏に1000枚の元原稿がボツになり、これまでわたしが頑なに拒否してきた「プロット」作業を8月の末2週間に渡って提出して方向が決まった後は「連載方式で行こう」となり、どこにも掲載しませんが毎週おおよそ木曜には1篇を壷井さんに送るという、非常に過酷な9月10月があったわけなの。

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9月10月の執筆がこれで最も苦しかった理由は「わたしはなぜ『わたしと音楽、恋と世界』をボツにしてこの新しい作品を今書くのか」ということへの明確な答えが時々見えなくなるからであった。

その苦しい最中にこんな記事を書いたりしています。(月モカ番外)

昨日オンエアのレディオでも語りましたが「こうするべき」という「べき」では絶対に過去作を超え、皆に「新刊を出しました!読んでください!!!!」って大手を振って叫べる本は書けない。
ほんのすこしでも「わたしは元原稿の『わたしと音楽…』を出したかったのにな」って気持ちがあったら、心のそこから誰かに自分の本を薦められない。特に「月モカ」の読者さんなんてこの9年間、本を出していない小説家のエッセイを根気よく読んでくださっているのであるから、小説家FBのフォロワーさんに「デデデン!」と大威張りで告知できるような本にならないと意味ないのである。

これまでも「やりたいこと」と「求められていること」の溝の中での葛藤はプロ生活の中であったんだけど、そこでいつでも着地点になるのは向こうに「依頼され」「お金をいただいている」ということだった。
でも今回は逆、わたしが「依頼し」「お金を出して」作る。
通常このパターンは「とことん好きにやる時」である。
でもわたしに訪れている試練は、とことん好きにできるときであるからこそ、これまでメジャーでやってこなかった「読者への寄り添い」にトライすること、であった。編集者。編集者の存在はとても大きい。けれどみんな編集者を原稿を取りに行く人くらいに思っていたり「なぜ編集者は書くことができないのにそんなに物申すのか」と思う人がいる。
けれど編集者というのは読者代表、なのである。
そして、ともすればすぐ自身のコアに篭ってしまう小説家と読者を繋げる「橋渡し」の人なのである。

これまでおざなりにしてきたことに全力で取り組まねば新しい扉は開かないだろう。そう思ってとにかく壷井さんの指摘を全部反映し、書き直そうと言われたら丸っと書き直して、10月の半ばまで来た。そしてまだ2篇を残したところで力尽きて休みをもらった。

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今日のカバー写真にしたこれは、10日ほどの「執筆からの離脱」を壷井さんに許可してもらい、志村坂上の「さやの湯」に行ったときのもの。

うまく言えないけれど「頑張ることをやめよう」と思った。
(その時は月モカを再開するときは「モカコのぐうたら記」にしようかと思っていた。笑)

お休みをもらってすぐにスピリM(ここではおなじみ?友人の視える系整体師)に整体をしてもらった。15年間整体をしてもらってるが「ちゃんとしなさい」と怒られないことはない。そのスピリMがこう言った。

「あんた遊びが足りてないよ。早寝早起きなんてすぐにやめて、もっとぐうたらして夜起きて、美味しいもの食べて、遊びなさい」

こんなことスピリMに言われるの初めてでびっくりした。

「ちゃんとしてるモカなんて似合わないよ。それにあんたのその、遊び半分にでたらめにやってる感じがみんな面白くて店に来るんだし、そういう雰囲気がモカからなくなったら、店もダメになるよ」

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なるほど。わたしはいま、全てが窮屈なんだ。
そしてわかった。
「わたしと音楽、恋と世界」が評価されなくて本にもならないということはわたしに、自由に生きる資格もない、という感じに響いていたのだと。

タイムリーな話題で言うとわたしは日ハムの監督に就任したビッグボス新庄みたいな人が好きです。ああいう方向に生きる方が向いている。なんていうか、自分らしく生きるために誰にも何も言われないように頑張る、みたいな方向が。

これまでも悪気なく「ぶっ飛んでる」わたしは、新潮エンタメの2次会で江國さんと乾杯するための飲みものを「シャンパン」と言って(もちろんグラスよ!?)編集者をびっくりさせたり、一番最初に壷井さんと仕事をした際は壷井さんの赤に対して「わたしはそうはしたくないので、そう思うなら壷井さんがお書きになったらいい」と言ってのけたり「誰June」のタイトル会議の前日がalways(芋洗坂スナック)の周年だったため、しこたま飲んで、起きたらもうタイトルが決まっていたり(会議への出席は求められてなかった、ただ会議中に来たメールに返信できなかった)「ふざけてるんですか」と思われる出来事はたくさんあった。
でもわたしはそのどれもを狙ってやったりしたんではなくて、全部本気、
そういう性質なのだ。でもだからこそ「作品」こそがわたしという人間の質量を伝える唯一のものだと考え、そこへの注力は、今世の中で活躍している全ての作家に一ミリだって引けを取らなかった自負がある。

だからこそ「わたしと音楽...」が評価されないということはわたしの42年間、全生き様を否定されたような出来事で、ただ「もう諦めない」ということを2020年の1月に決めたわたしはとにかく前進あるのみで、
究極なことをその時やっていた。

早寝早起きをして、人として真っ当に、締め切りを絶対飛ばさない、色を慎む、丁寧な暮らしを、酒を控える、3キロ減量しましょう!ファスティングして、、、ストイックに、、早寝早起きをして、、、執筆、執筆、執筆、
読者が喜ぶ原稿を書いて・・・・。

→もう無理!😵😵😵💦ってなりますよね。笑。
なんでわからなかったんだろう。笑。

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コロナ渦って、特にものを言いにくい世の中になったと思う。
例えば誰かが「イーディって緊急事態宣言の間もやっていたの?」って訊くとする。その言葉が「もしやっていたんだったら来たかった」なのか「まさかそんな非常識なことしてないよね」なのか、意図がわからず、結果基本的には「ずっと閉めていましたね」と答えることになる。
例えばずっと閉めてはいたけど、お客さんのお誕生日とかに、営業ではなく任意で集まって少人数でささやかな宴をすることはあった、とか、
どう捉えられるかわからないことを誰もが今外には言えない。

昨日ツイッターに書いたけど飲食の同業の人たちは一様に「暇だったから」体が休まった、とか、シングルマザーのママさんなら「こんなの何年ぶりかな」って娘とゆっくり過ごせたとかあったんだけど、この「暇だったから」という言葉も飲食店以外の人が聞いたり職を失って打ちひしがれている人が聞いたら「協力金もらってのうのうと」と思ったりするかもしれないよね。

実際そのママちゃんは「長年の疲れが出たのかな、店閉めている間ずっと体調はよくなかったの」とかってあったり、実際店をやってるわたしからすると、時短営業って普段の10倍神経使うから、やってて楽なことは一つもない。例えば18時に撮影したお通しを22じにupしたらその投稿で勝手に遅くまでやってるって思われて協力金降りなかったらどうしようとか、不安なことがいっぱいで、何も言えない。

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そんなわけで「でたらめ」や「ふざけたこと」と思われるかもしれないこと、がしにくい時間が続いて、それはわたしには大きなダメージになっていたんだなってこと。

そうだよな別に夕方起きて、昼前に寝る暮らしだっていいじゃない。
ちゃんと選挙も行って自分で稼いで、税金も納めて、人にも優しくしてるんだし。笑。

そうだよな1日2日締め切り遅れてもいいじゃない、だって、週に1本原稿30枚〜50枚書くって結構よ?終わったその日から次のネーム(的なもの)に入るわけだし。人気漫画家はそうやってます。でもわたしはそうはできないんだわ。

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そんなことを思い、デタラメでどうしようもない、酒好きで宵っ張りのわたしを肯定し「おいしいものを食べ、酒を飲み、銭湯に通ってベスフレと遊ぶ」ということをやった執筆離脱の最終日にわたしを救ったのは「すみっこぐらし」でした。

この作品が子どものみならず大人や様々な世界の「すみっコ」にいる人たちを照らし救っている理由が、心の底からわかりました。

この本をベスフレの登場人物解説付きーー作者のキャラクターに対する設定が本当に綿密で愛に溢れてるーーで丸っと読んで、わたしは自分の作品への明確な答えを見つけることができた。

ーーわたし、こういう作品を書きたい。
今の新作は、こういうものにしたい。

最後の2編は10月最終週の月曜から木曜のたった4日で一気に書きました。
「これだ」と思いました。

わたしはいまなぜ「わたしと音楽、恋と世界」を引き出しにしまって、
この作品を書いたのか。

それは「わたしと音楽」は自分のためだけの作品だからです。
でもこの作品は全ての「すみっこ」世界の片隅を照らすための作品だからです。自分のための作品より誰かのための作品を優先する。
それ以上の答えはないし、今わたしは、それがしたい。

かつてパンの端くれ女優だったわたしが、なかなかイキのいい新人小説家としてそれなりに活躍した時代があり、
けれど今また「今後のびしろはない終わった小説家」として、出版業の隅っこで小さく(はない、ふてぶてしく)息をしている。

そんな「すみっこぐらし」のわたしから放たれる新作は、今この日本で息がしにくい「隅にいる」と感じている全ての人に届くのではないでしょうか。

もちろん第一線や真ん中にいる人たちにも苦しみはあります。
光の真ん中はとても昏い。その場所はそれはそれで隅っこなんです。
そういう人たちの苦しみにも、どうか届きますように。

月モカ、再開です。
また来週、月曜日に会いましょう。

⤴︎毎週日曜に配信しているラジヲ型Youtube番組「レディオイーディNezuU🌈」も合わせてよろしくお願いします♫どんな番組なのかは動画の概要欄をご覧ください。一目でわかるように書いてあります。

      <モチーフvol.223「脱稿/世界の隅っこで」2021.11.08>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!