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月曜モカ子の私的モチーフvol.228「人心の荒廃、湯楽の里」

昨日は10代の頃から知っている古い友人の「夜逃げ」ならぬ「昼逃げ」を手伝うべく朝から遠出をしており、それが無事に終わったので、
当直終わりの(&病院で仮眠していた)りさこと珍しく千葉で合流して、
市原にある温泉施設「湯楽の里」で久しぶりにゆっくり午後を過ごした。
本当は幕張の方へ行く予定だったけどタクシーの運転手さんが強くこちらを勧めてくれたので流れに任せて市原の方へ。なんだかとても「さやの湯」に似ていた。手がけた人が同じなのではないだろうか。

うん。いつだってわたしの人生は、書いた小説を人生が追いかけてゆく。

デビュー作「蝶番」において長女の艶子はおそらくすぐ下の妹の菓子が会社に行ったのを見計らって、赤羽橋の劇場へ「昼逃げ」するわけであるけれど、そのモデルとなったわたしは、当然そんな度胸もなく、鬱屈した気持ちを抱えながらものんべんたらりと家にいて、あの小説を書いたわけです。

そう、いつでも現実は、すこし陳腐で、少しドラマに欠けている。

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だけどなぜかな、不思議とわたしが書く物語が、ほんの少し先の座標に、予想もしない形で置かれているという経験を、わたしは繰り返している。

「湖とアンニュイな月」はロンドンに住む妹のヒナをたずねて主人公のトウコが旅をする話だけど、書いた時はそんな予定はまるでなかった。なのに半年後、2004年の春、わたしは物語をなぞるようにロンドンにいた。
(脚本の聖地巡礼では決してないんだわ)

「魔女と金魚」における物語のラスト。
大きな地震が起きてしまい、汚水にまみれたある地区が「廃都」となる展開を、書いたのは2009年の夏だったのに。

こういうことって、何なんだろうなぁ。

まさかこんな形で「昼逃げ」が訪れるとは、思ってなかったんだけど。
そんなことを考えながらわたしは初めて降り立った辺境の町で、
わたしはデキルくんの手配したトラックに荷物を積み入れた「蝶番」の行間を、思い出していた。
つまりは小説には書かれなかった、そのシーン。
「蝶番」で「東京に珍しく雪が降った日」だったそのシーンだけど、
昨日、空はやさしくうすい水色、美しい日曜の昼下がりで、
風はおだやかにわたしたちを包んでいた。

わたしが神楽坂から根津に引っ越す際に使った「船パリ一式」を入れた段ボールに、まさか半年後、誰かの人生を、心して運ぶセカンドライフがあっただなんて。君はとっても大切なものを、その体に仕舞う星回りなんだね。
未完の大作「船パリ」と、友人の「未来」。

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(↑本当はスカイツリーと隅田川が綺麗に見えていたんだが、シャッターチャンスを逃して、何でもない写真を撮ってしまった、でもこういう写真は誰June的で好き)

帰宅して泥のように眠って。
うまく深夜に目が覚めたから、さっと起きて「宵巴里」の改稿をした。
今回とにかく「誰かの顔を踏んでないか」それだけに心を配って改稿をしている。正直本作は、壮絶な執筆だった。
それがようやくここまで来たんだから、
昔のように「文学ファースト」で(これくらいは許される範疇では)と人の顔を踏むのを徹底的に避けることに全神経を注入する。

かつては限りなく青寄りの黄色の所が、小説としての魅力点である場合、
そこを消していくとどんどん物語が褪せていくから、
物語が色を失うくらいなら線のギリギリまで行こう、という感じだった。
わたしそのものの考えではなく、出版社もそんな感じだったと思う。
モデル問題を気に病んでも「でもまあ、フィクションですからねえ」って、編集者からも一言で片付けられた時代でもある。

でも今はもう多分そうじゃないし、
誰も傷つかない小説なんて、ないっっちゃないんだけど、
自分で黄色とわかっているところは、予想できる「傷つけポイント」なのだから、回避しようという気持ち。できるだけ多くの人を心を掬い、できるだけ多くの人の感情が救われるためにも。

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(どうしても観たくて当日券とったのに、前日の営業でまたも痺れる事件があって、開演までに起きれませんでした、悔やまれるし、行きたかった人に申し訳ない)

そんなことについても少し話をしている、昨日の「#レディオイーディNezuU🌈」は前週の【ON AIR】を振り返りながら話す映像コンテンツです。映像で放送していますが観ても聴かなくても損はありませんし(ナイロンのチラシのコピーのパクリ)、なにせ概要欄さえ読めば全部を掌握できるという安心設計です。もう、なんていうか「絶対見てね」「絶対読んでね」「絶対来てね」とかっていう時代じゃないんだよなあ。
みんな人生がそれどころじゃないんだもん。

そういうことを誰かに強く言っている人がもう、時代錯誤に感じて、
知り合いからの舞台のお知らせとかも「ご無理なさらず」案件じゃないのは、返事もしない気分になっている、やさぐれた場末の酒場の女主人です。

本当に人心がね、荒廃しているよ。

井上ひさし「花よりタンゴ」の金太郎のセリフをさ、
こんなに実感もって口にする時代が来るとは思わなかったよ。
つまりはいま、時代は昭和22年と変わらないってことなのね。

そんなわけで今日の月モカは短めに。
(長いのをさ、読む時間も余力も、なんかもう、今はないよねって、思うのです)

<モチーフvol.228「人心の荒廃、湯楽の里、」2021.12.13>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!