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”ぼよよん行進曲”がONにしてくれた「潜在意識のスイッチ」〜涙がとうとうと流れてきた〜

実はちょっと手元がくるったことで、流れてきた曲「ぼよよん行進曲」。
中西圭三さんが作って、NHK教育のおかあさんといっしょで歴代の歌のおにいさんとお姉さんが踊りながら歌う定番の曲。
子供たちは跳び上がって歌い踊る曲。私が毎日見ていた頃は、ゆうぞうお兄さんとしょーこお姉さんだった。

ともあれ、音楽にはいろんな力があるのだけれど。
この曲を聞くとあの頃思い出す!ってよくあることですよね。
場面だけでなくて、声や匂いまで再現されるような空間にすっぽり入る、なんてことがきっと私だけでなくあるんじゃないかなって。
今朝はまさにそれで。
涙がとうとうと流れました。懐かしく、甘酸っぱい記憶で涙になって溢れました。

13年まえのこと


ある日、私が通うカトリック教会で、一度訪問されてみない?と声をかけてもらって見に行ったモンテッソーリ園があまりにも衝撃的で・・・家から15キロもあるのに・・・バスもないのに・・・お弁当なのに・・・まだ子供は1歳4ヶ月なのに・・・どうしても連れていきたい、通わせたい、と思った私は親族の全反対を押し切って毎日往復30キロの道のりを・・・・。
1歳半から出入りしたことを含めれば5年間、通いました。

決して高くはないお月謝を払うのすら大変などん底・・・そのほとんどが我が子の幼少期でした。
毎朝、車のチャイルドシートの中で、短い腕を伸ばし足を持って歌って喋って眠ってご機嫌なこの子、一方で大変な思いをしながらも身なりだけはしっかり整えて一所懸命連れて行く私。
・・・1日に2往復する片道15キロの道のりは安心していればあっという間だけれど。

ドラマのようなひとコマ


お教室の前まで行くと離れられずに毎朝大泣き、そして置き去ったあとにも2時間泣き続け、お弁当の時間は「無理です」と帰される日々・・・少しずつ少しずつお弁当を食べる楽しさを知り保育の時間は延長されるものの、やはりママを恋しがって泣く時間の方が多く先生もご苦労され・・・周りに励まされるけれど浮かばれない自分の心。私の子育てがわるいのかな、他のママたちは自分の時間を楽しんでいるのに。長くてつらい毎日。
なにより忘れてはならないのが、生活そのものも苦しかったその頃。

半年以上がたったある日・・・いつものようにお教室まで行こうと門をくぐったら。
いってきまーす!一言のあとクルッと背を向けて走って教室へ向かっていきました。
私はびっくりしているだけだけど、周りのママたちはみんな感動の涙を浮かべていて。。

五感・記憶

この瞬間こそが、先生がいつもおっしゃっていたこと。。
とじんわりじんわりと何年もかけてその瞬間を思い出しては味わうことに。
そのあとからは、少しずつ少しずつ・・・私も生活のどん底の状況から階段も上れていて、やがて小学校は私学へ進ませました。

私はこの「ぼよよん行進曲」を聴くと必ずそのころのことを思い出します。
夏のプールを見守った暑さの匂い、
秋のあの曲がり角にあったキンモクセイの香り、
冬の寒さの中ピンク色に塗られたタイヤの上に座って嗅いだ感謝祭のカレーの甘い匂い。
こっそりカップにほんの少し・・・子供たちの作った甘いカレーを先生が持ってきてくださったこと。あたたかいカップの感触。
クリスマス前にクルリと向けた、ちっちゃな背中。
往復のからっぽの車の中で何度もひとり声を出して泣いたこと。涙の温度。

私というひと

私はある意味「イイカッコしい」なのかもしれません。
だから誰にも愚痴ることなく、ただひたすら自分の中で悔しさも悲しさも情けなさも処理してきました。
努力も同じです。孤独感とかさびしさとかも全部閉じ込めてきました。
会社の代表に就くことになってからもずっと。

だから、今も少し・・・そんなところは残っていて、
「もかちゃんに会うと元気になれる!」とか、「もか姉さんに会うと朝から頑張ろうって思えます、感謝」とか「オマエほんとに元気だなー」と学生時代の先輩にいわれたりとか、息子にも「うちのママは最強」なんて言われても、私そんなんじゃないんだけどな。。違うんだけどな。。と思ってしまいます。


誰かに頼ったり甘えたり、支えてもらったり・・・もっと可愛げのある人になりたかったな、と思うことがいっぱいあります。
でもなぜかできなかった。
努力は辛くて、何度も投げ出したくなったし・・・我慢も辛くていっぱい泣きました。
どんなに克服してもまた私はアクシデントを引き寄せてしまう。普通の人が体験しないようなこともいっぱいしてしまう。
どうして自分ばかり、どうして自分だけ、と何度思ったことか。
子供の前でしか、笑わない人になっていたと思います。。

自分にとってミラクルなことが起きても、そんな自分をすぐに変化させることはできなかったのです。
だから心底なんとかしたくて、51から52歳になろうというとき・・・顕在意識と潜在意識のことを学んだり、量子学のことを知ろうとしたり、マヤ暦を学んで活用することを選びました。
学んで、それを極めて行こうと進んでいるけれど、だから何がしたいのか、なぜそれを誰かに伝えたいのか、それからもわからずに悶々とする日々が続きました。


私はたくさんのことを体験し、辛い思いもしたけれど、でも人一倍感動できたこともいっぱいあったんです。
それは、いつも一人で向き合ったからこそみつけられたこと。誰にも言わなかったからこそ自分のなかで噛み締められた幸せもあったのです。
それに気づいてから、ほんの少しわかったことがあります。
本気で向き合った時に得られる感動は、なんとなく向き合った時の感動とは比べ物にならないほど自分のココロをぶち抜きます。
誰にでもできることではないかもしれない、でも、子供のどこを見ればいいのか、寄り添えばいいのか、向き合えばいいのか。
あの感動を得る瞬間を、一人でも多くの方に体験してほしい、そのために自分を整える方法はあるんだということ、それを伝えたいから、伝えるために、今までの私の経験があったのだと思います。

母とて ひとりの子

あのころいつも目の横に。。涙のしずくをくっつけていた息子は今、私のことをベストフレンドだと言います。
私はほとんど二人三脚で伴走してきた彼をリスペクトし、私がずっと積み上げてきたことを伝え続け、彼は彼が学んだことのなかから自分の考えを伝えてくれます。聞いているようで聞いていない、見ていないようで見ている、そんなどこにでもある親子であり、それにちょっとプラス、イイ距離感です。あどけなさも残る彼の1番の応援団であることはずっと変わりません。

親子である時間からこうして同じラインに立つ日がわりとすぐにやってくることを、子供が小さな頃には知らないものですね。自分も子として生きてきているのに。

今も私にはとても孤独に感じる時間がたくさんあります。
でもそれは・・・それを必要としている人に伝えるべきことを私が宇宙から受け取る時間なのだと、思うことにしています。

今朝の「ぼよよん行進曲」が流れたときの、場面と匂い、その瞬間の・・・誰かからのメッセージ、そして涙の感触もまた、私の記憶に閉じ込められました。
なにより、曲を聴いて涙がとうとうと流れてきて止まらなくて。

マザーテレサのことば

同じカトリックの姉妹であるマザーテレサのことばです。

主よ 今日1日 貧しい人や病んでいる人々を助けるために  
私の手をお望みでしたら今日 私のこの手をお使い下さい

主よ 今日1日 友を求める小さな人々を訪れるために
私の足をお望みでしたら今日 私のこの足をお使い下さい

主よ 今日1日 優しい言葉に飢えている人々と語り合うために
私の声をお望みでしたら今日 私のこの声をお使い下さい

主よ 今日1日 人というだけで どんな人々も 愛するために
私の心をお望みでしたら今日 私のこの心をお使い下さい

私も自分の経験から、誰かのためになるのなら・・・何をしたらいいかな、それはまだちゃんとは見つけられていません。
潜在意識の書き換えワークやマヤ暦は本当に自分がラクになり私には有り難かった。
でも本当にしたいことはそれではない気がしています。。

自分を知ることって、当てのない旅に似てますね。

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