手塚治虫『火の鳥(黎明編)』

はじめに

手塚治虫が人間の生き方・死生観についてテーマしている作品を製作していているので、
『火の鳥』という漫画を読むことにした。

現在に生きている人間宛にこれから生きるための教訓としてメッセージを伝えているのだ。

ところどころ、赤塚不二夫ネタや手塚治虫らしいギャグを入れたりしているところが面白かった。

『火の鳥(黎明編)』を読んで

今回は、1巻である「黎明編」を読んだ。

舞台で言えば、日本の弥生時代である。

当時は国盗り合戦で、戦争を起こし、征伐する時代だった。

火の鳥を巡って、国盗り合戦をしているような感じだった。

神なのかと思うぐらいの神話に出てくる人物も登場します。

猿田彦やスサノオやニニギ等の人物が登場します。

クマソの国(ヤマタイ国によって滅ぼされた)のナギとヤマタイ国の猿田彦は最初は仲が悪かった(敵同士)けれども、猿田彦は卑弥呼の言いなりになっていて、ナギが卑弥呼を殺そうとしたが、猿田彦がハチの刑で腫れて鼻が大きくなったため、親友になった。

猿田彦の鼻、茶飲み博士のような...。

猿田彦とナギと共に火の鳥の為に冒険するが、高平原国の奴隷になってしまった。

卑弥呼はまあ、本書の悪役となっているが、火の鳥のためとヤマタイ国の為に戦っていたのではないか。

何故、当時の皆は生きるために火の鳥を巡って、国盗り合戦をしていたのでしょうか。

当時は、人間は生きるために戦争していた。
国を征伐していき、たくさんの奴隷を生み出してきた。

弥生時代では、縄文時代と比べて、集落による農作(稲作)するようになり、生きるために食糧を巡って、国盗り合戦していた。

人間の文明を基づくには、個人個人が生きるために必死で、火の鳥を求めていたのではないか。

人間は生きるために争うには生きるための欲望と誰かを犠牲にして殺し合うことで快楽感を得られることで、個人の自業自得さのこそが人間である。

人間は動物や植物のように自然に生きていくことはなく、ただ単にいずれか滅びてしまう方の道に進んでいるのである。

新しい時代のためにそこまで生きたいのかが人間の願望である。

やはり、人間っていうのは愚かである。

この本書では、面白みのある漫画だけれども、歴史的な内容も含まれており、人間の生き方についてテーマにしている。

おわりに


手塚治虫の作品は素晴らしいと思った。人間の生き方・死生観についてそこまでの発想は思いつかなかった。
漫画はためになると思う。
言葉に表せないほど、色んな教訓として参考になる作品だと思う。
手塚ワールドはいったいどうなっているのかは知らないけれども、部分的に他の作品と伏線に繋がっている(手塚治虫がよく使われている登場キャラの使い回し)こともある。

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