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夏の過ごし方

蝉が鳴いている。

夏の甲子園。試合の始まりと終わりにサイレンが大きく鳴る決まりのように、梅雨が終わり夏の到来を告げるサイレンとして蝉が大きく鳴いている。

7月を丸ごとずぶ濡れにしてしまった長い梅雨にやるせなさを感じていた布団のシーツやバスタオルは、今はリビングから見えるウッドデッキで風に吹かれ、踊っている。※盆踊りやチアダンスというよりはブレイクダンス。

なにかの偶然で洗濯バサミが外れたら、風に身を任せ遠く見える大楠山まで飛んで行ってやろう、そんなヤングマインドすら感じられる踊りっぷりだ。

リビングで息をつく私は考えていた。

今年の夏は例年のようには進まない。

社会人1年目の私には学生時代の時間的自由がないのである。新型コロナウイルスはその次の問題だ。

例年のようにバックパックを背負って旅に出ることは難しい。さて、何をするか。年末になり夏を振り返った時に何を代表とするか。

私は読書を選んだ。

本を読もう。

旅に出るきっかけの1つは沢木耕太郎さんの「深夜特急」(特に⑤のトルコ・ギリシャ・地中海編)であったし、私の人生には知識を持っている人に憧れる一瞬がいくつもあり、その努力をしないままここまで来てしまったという自覚がある。

この際、本読んで知識入れちゃおう。

現在は日々、読める+よく聞く言葉なのに意味があまり入ってこない熟語に悩まされながら読書生活をしている。(恒常的とか相対的とか分からなかったです、すいません)

いま、読んでいるのは 永田和宏さんの「知の体力」という本。

読書や学問することの<意味>は、端的に言って、自分がそれまで何も知らない存在であったことを初めて知る、そこに<意味>があるのだと思う。ある知識を得ることは、そんな知識も持っていなかった<私>を新たに発見することなのだ。

なにかを知るということは「それを知らなかった自分」を知るということ。

読書は旅と同じだ。

私は目を閉じ、気温、風、日光を肌で感じ初めての東南アジアを思い出した。

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