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公園というマーブル

(2024.4.13土)
わたしはぜんぜん公園に行くのが好きじゃない母親です。
なので、公園知見がまったく蓄積していない。

今日、友人たちに誘われて、公園で花見がてら1日中遊んでいたんだけど
はじめて、ツイッターでたまにめにする「放置子」のような子に出会った。
概念は知っていたけど実際に遭遇したのははじめて。
それほどわたしは地元の公園ではまったく遊ばない。
わたしが公園が好きではないから!!!!

うちのグループに自然に混ざっていつのまにかシートの上まであがって
あれ、だれかなこの子??って思っているうちに
シートにひろげたお菓子まで食べてて
あまりにも自然に入っていたので、誰かの友達?なのかな?と思いつつ
公園で遊ぶ子どもらのそばでわたしも草遊びなどをしていたら
(草遊びは好きです)
なんだか子どもらの遊びをその子がしきっているというか、わがままな感じというか、あまりよい空気ではない感じになっていたので
おやおやおやおや、でも、この子、だれかのお友達なのよね……?んんん????
とおろおろしているうちに

一人の友人母が、「この子、親いないね」とそっと近寄ってきてくれて
そこで、ようやく、もしかして、これ「放置子」って呼ばれるに近しい子なのかなと気づくわたし……。

友人「おうちの人はどこなの?」
その子「今はいないけどあとで迎えに来る」
友人「じゃあ、おうちの人と一緒の時に遊ぼう」
その子「なんで!!!なんで!!!(怒)」
友人「あのね。危ないこととか一緒にして、怪我しちゃったりしたら、わたしたちはおうちの人と連絡もとれないでしょ。だから、一緒に遊べない。おうちの人と一緒にきて」
というやりとりの末、その子は帰って行った。

すぐに対応してくれた友人のお礼を言いつつ
地域にはいろいろな子が暮らしている
ということを目の当たりにして
公園知見は大事だ……そうでないとわたしは、自分の世界のファンタジーの世界でのみ生きてしまうのではないか……と思うなどした。
もちろん、その子がどんな子なのか、いわゆる「放置子」なのかは、わからないまま、書いているのだけれど。

いろいろな人が分断せず混ざることは大事 と美しく思っていたけれど
「混ざる」現実とは、良くも悪くも、こういうことなのだ。
そういうことをちゃんと知って、地に足をつけて暮らしたいものです。


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