神がそう望むのなら

今週新しい言葉を学んだ。إِنْ شَاءَ ٱللَّٰهُ‎という表記でこれはアラビア語で”インシャアッラー”と発音するらしい。まぁアラビア語が読める人からすれば読んで字のごとく、神が望むならという言葉だが、個人的に驚いたのは会話の端々で使うという事でまぁ日本語で言うところのやれたらやるとか行けたら行くとか言う非常に可能性の低い言葉らしい。

この言葉を自分に教えたあの人はいったいどんな気持ちでこの言葉を教えようと思ったのか。お前との話はつまらんしあっても楽しくない、だから次に会うみたいな話が出た時にはこの言葉を付け加えて遠回しに断ろうという魂胆なのかもしれない。あるいは僕自身の精神状態を見たうえで、もっと楽に生きろという思いで言ったのかもしれない。

本当のところは人の心の内を覗くことができない限り連綿と拭い去れないのだけど、神がそう望むならまた会話をすることもあるのかもしれない。知らんけど。

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