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M1輪講 第五回 化学反応とポテンシャル


1. はじめに

M1輪講も第五回となりました.
本日の担当はM1中尾です.   
最近の輪講は, 大学院入試も近づき学部4年生が忙しくなった影響で, 馬場先生とM1生で行うことが多くなっています. 
横国の学部3年生で, 研究室選びを考えている方は気軽に遊びに来てくれると嬉しいです!


2. 衝突としてみた化学反応

この章では, 衝突としてみた化学反応について考えていきます. 

具体的には, 以下の2点について考えます. 

  1. 化学反応の中でも基本的な反応の二種類の説明

  2. 始状態と終状態だけではなく, 反応途中の様子

2.1 直接様式反応

化学反応の一例として, 直接様式反応というものがあります. 
直接様式反応には2つの典型的な動力学機構, 剝ぎ取り機構, 跳ね返り機構が含まれます.  


2.1.1 剝ぎ取り機構

化学反応の例として$${K+I_2 \to KI + I}$$について考えます. 
入射した$${K}$$原子の初期速度ベクトルの方向を散乱角$${\chi = 0 ^\circ}$$と定義すると, この反応では, 生成物$${KI}$$が主に前方散乱することが実験的に知られています. この現象の説明として, 剝ぎ取り機構が挙げられます. 
剝ぎ取り機構とは,  $${K}$$原子が$${I_2}$$分子遠方を通過するだけで, $${I}$$原子の1つをもぎ取ること.
$${K+I_2}$$の場合に剥ぎ取り機構で反応が起こる理由は, 銛撃ち機構によって 次のように説明できます. 

  1.  $${K}$$原子が$${I_2}$$分子に数$${\AA}$$の距離まで接近すると電子移動が起こる. 

  2. $${K}$$と$${I_2}$$のイオン対が生成される. 

  3. $${K^+}$$が$${I_2}$$から$${I^-}$$を引き抜く. 

銛撃ち機構により, 衝突径数の大きな衝突でも$${K}$$原子は, ほとんど真っ直ぐ飛びながら$${I}$$原子を剥ぎ取るため, 前方散乱が支配的になることがわかります. 

2.1.2 跳ね返り機構 

次に, $${K+CH_3I \to KI+CH_3}$$の反応を考えます. 
この反応では, 入射した$${K}$$原子の初期速度ベクトルに対して, $${180^\circ}$$の方向に生成物$${KI}$$は散乱されます. すなわち, 後方散乱が主に起こります. これは, $${K}$$原子が$${CH_3I}$$分子の$${I}$$原子に正衝突し, 跳ね返されながら$${I}$$原子を引き連れて後方に飛び去る, 跳ね返り機構で説明できるとされています. 

2.1.3 銛撃ち機構 vs 跳ね返り機構

$${K+I_2 \to KI + I}$$と$${K+CH_3I \to KI+CH_3}$$の反応はどちらの方が起こりやすいのでしょうか?
私たちが輪講で使用している教科書$${^{[1]}}$$の図3.11に, 上の2つの反応の微分断面積の比較が掲載されていました. 

その結果において, 重要な点を3点述べます. 

  • $${K+CH_3I}$$の反応の微分断面積は, $${K+I_2}$$の微分断面積よりも常に小さい. 

  • 散乱角が小さい(前方散乱部分)では$${K+CH_3I}$$の反応の微分断面積はほぼ0になっている. 

  • 散乱角が大きい(後方散乱部分)でも$${K+CH_3I}$$の反応の微分断面積より$${K+I_2}$$の微分断面積の方が大きい. 

2点目は, $${K+CH_3I}$$の反応では銛撃ち機構が働かず, 衝突径数が小さい正面衝突でないと反応が起こらないことを示しています. 
3点目は, 立体因子による原因が考えられます. 
$${K+CH_3I}$$の反応では, 2.1.2節で説明したように, $${K}$$原子が$${CH_3I}$$分子の$${I}$$原子に正衝衝突した場合にのみ反応が起こります. 気相中で$${CH_3I}$$分子は回転しており, その回転軸の方向はランダムです. $${K}$$原子が正面衝突したとき, たまたま反応に都合がよい配向の$${CH_3I}$$分子とだけ反応を起こすことになります. これを立体因子と呼ばます. 

2.2 錯合体形成様式反応

最後に, $${O(^{1}D)+D_2 \to OD+D}$$という反応を考えます. 
この反応では, 中間生成物として衝突錯合体$${D_2O}$$が形成されていると考えられます. 衝突錯合体$${D_2O}$$が分子回転しながら, $${D}$$原子を四方八方に発射します. 衝突錯合体の寿命が分子回転の周期よりも長いと, 分子回転により, 最初にどの方向から衝突したかに関する記憶が完全に消え, 前後の方向に対称的な角度分布になります. 
従って, 前方後方対称の分布だと, 錯合体形成様式であることがわかります. 

2.3 リアルタイム化学反応ダイナミクス

極短光パルスによって, 反応途中の原子・分子に光をあてることができるようになりました.
パルスの時間幅を$${\Delta t}$$とすると, 不確定性関係$${\Delta E \Delta t < h}$$から決まるエネルギーの不確定さ$${\Delta E}$$が生じます. フェムト秒パルスでは$${\Delta E}$$が振動準位の間隔より広くなります. このような短パルスで分子を電子励起した場合, 電子励起状態の振動固有状態が生成するのではなく, 電子基底状態の振動固有関数が生成電子励起状態のポテンシャル上に飛び乗った非定常状態が生成します. 非定常の波動関数, すなわち波束, でダイナミクスを考えることになります. つまり, ”どの振動状態が生成したか”ではなく"核間距離は何nmであるか"のように考えます. 第2の極短パルスレーザーを用いて波束の動きを刻一刻追跡できる可能性があります. これをフェムト秒化学と呼びます. 


3. 化学反応のポテンシャル曲面と古典軌跡

3.1 ポテンシャル曲面の地形学

M.Polanyiらは, 原子価結合法の理論を用いて, $${A+BC}$$型の反応が起こるときの3個の原子間に働くポテンシャルを求めました. これを化学反応のポテンシャル曲面とよびます. 
ここでは, 例として$${H}$$原子の交換反応$${H + H_2 \to H_2 +H}$$を考えます. 簡単のために, 3個の$${H}$$原子が一直線に並んでいる場合を考えます. このような原子配置を共線型配置と呼びます.
3個の$${H}$$原子を区別するために, 左から$${H_a, H_b, H_c}$$とします. 
文献1の図3.18に$${H + H_2 \to H_2 +H}$$のポテンシャル曲面が描かれている. この図の重要な点としては, 反応物の谷から鞍点を経由して, 生成物の谷に至るルート(図3.18の破線)が存在することです. このような経路を数学的には最急降下曲線と呼びます. また, そのように定義した曲線を, 反応座標, 最小エネルギー経路, IRCなどと呼びます. 
$${H + H_2 \to H_2 +H}$$の反応における最小エネルギー経路に沿ったエネルギー地形の中で, 最も鞍点のエネルギーが低いのは共線型配置の場合だということが知られています$${^{[2]}}$$.  このエネルギーが, 反応を起こすために越えなければならない最小のエネルギー, すなわち, 反応のエネルギー障壁に相当します. つまり, Arrheniusの活性化エネルギーに鞍点の高さが対応すると言うことができます。
しかし, 注意すべき点として, すべての化学反応で鞍点や最小エネルギー経路を用いて記述することができるわけではないことが挙げられます。
例えば, $${H_2O}$$分子のポテンシャル曲面はくぼみを持つこと$${^{[3]}}$$が知られています.

3.2 化学反応の古典軌跡

ポテンシャル曲面がわかれば, 原子の運動はシュレディンガー方程式を解いて求められます. 実は, 原子の運動が古典運動方程式に従うとしても, 現実の運動を再現することが知られています. 古典力学に従った運動軌跡を古典軌跡と呼びます. 

3.3 質量加重座標

ポテンシャル曲面上での古典軌跡を考えるときに注意すべきこととして, 自由度の間の運動学的相互作用があります. 共線型反応$${A+BC \to AB+C}$$を考えます. 3個の原子$${A,B,Cがx}$$軸上に並んでいるとし, それらの座標を$${x_A, x_B, x_C}$$, 質量をそれぞれ$${m_A, m_B, m_C}$$とすると, 運動エネルギーは
$${T = {1 \over 2} m_A \dot{x_A}^2 + {1 \over 2} m_B \dot{x_B}^2 + {1 \over 2} m_C \dot{x_C}^2}$$
で与えられます. 
核間距離
$${R_{AB}=x_B - x_A,~R_{BC}=x_C - x_B}$$
重心位置
$${x_G = {m_A x_A + m_B x_B + m_C x_C \over m_A + m_B + m_C}}$$
に座標変換すると, 
$${T = {1 \over 2} M \dot{x_G}^2 +{1 \over 2} {m_A(m_B +m_C) \over M} \dot{R_{AB}}^2 + {1 \over 2} {m_C(m_A +m_B) \over M} \dot{R_{BC}}^2 + {m_A m_C \over M} \dot{R_{AB}} \dot{R_{BC}} }$$
を得ます. 上式の第4項の交差項によって, 加速度ベクトルは力のベクトルに比例しないことがわかります. これが運動学的相互作用です. 
交差項を消すために以下の座標変換を行います. 
$${R =R_{AB} + {m_C \over m_B +m_C} R_{BC}}$$
$${r=R_{BC}}$$
この座標$${(R,r)}$$をヤコビ座標と呼びます. $${R}$$は原子$${A}$$と分子$${BC}$$の重心間距離です. この座標での運動エネルギーの表式は, 
$${T={1 \over 2} M \dot{x_G}^2 +{1 \over 2} {m_A(m_B +m_C) \over M} \dot{R}^2 + {1 \over 2} {m_B m_C \over m_B +m_C} \dot{r}^2}$$
となり, 交差項は消えました. ここで, $${T}$$の表式をさらに簡単にするために座標の尺度変換を行います. 
$${Q_1 = \sqrt{{m_A(m_B +m_C) \over M}} R}$$
$${ Q_2 = \sqrt{{m_B m_C \over m_B +m_C}} r}$$
この座標での運動エネルギーの表式は, 
$${T={1 \over 2} M \dot{x_G}^2 +{1 \over 2} \dot{Q_1}^2 +{1 \over 2} \dot{Q_2}^2}$$
となり, 第1項は3原子全体の重心運動を表し, 第2,3項は相対運動, すなわち化学反応のポテンシャル曲面上の運動を表します. 座標系$${(Q_1, Q_2)}$$では相対運動は質量1の質点の運動で表されます. この座標系を質点加重座標系と呼びます. 
質点加重座標系では, 運動エネルギーに交差項がないため, 力のベクトルと加速度ベクトルが一致します. 従って, 古典軌跡が直感的に正しく運動します. 
力のベクトルと加速度ベクトルが一致する座標系$${Q_1, Q_2}$$の方が直交座標系であると考えられます. 従って, 座標系$${R_{AB}, R_{BC}}$$は斜向座標ということになります. 座標軸$${R_{AB}とR_{BC}}$$のなす角を$${\beta}$$とすると, 
$${\cos \beta = \sqrt{ {m_A m_C \over (m_A +m_B)(m_B + m_C)} } }$$
と表されます. この角$${\beta}$$を斜向角とよび, 質量の組み合わせで決まることがわかります. 斜向角はポテンシャルの地形学の重要な因子であり, 極端な質量比がある原子を含む反応では, 極端に小さな斜向角が古典軌跡の動きを支配してしまうからです. 


4. 最後に

今回は, 化学反応をポテンシャル曲面から考えることを中心に行いました. 化学反応を衝突問題として捉えることで, ポテンシャル曲面における波束や古典軌跡から化学反応を追跡することができました. 
次回以降はより物理的に化学反応を記述することができそうなので頑張って取り組んでいきたいです!


5. 参考文献

[1] : 幸田清一郎, 小谷正博信, 染田清彦, 阿波賀邦夫(2011) : 大学院講義物理化学 第2版
[2] : R. N. Porter, M. Karplus, J. Chem. Phys., 40, 1112 (1964)
[3] : J.S.Wright, D. J. Donaldson, R. J. Willians, J. Chem. Phys., 81, 401(1984)

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