海好きで嫌いな人いないよね?ディズニー映画「モアナと伝説の海」が「悟り」をテーマとしてる件について
こんにちは。
Mikalohaです^^
GW真っ最中ですが、今年はどうやら人出がだいぶ増えているようで、皆さんの大切なお休みに楽しい思い出ができるようになって嬉しい限りです。
今回は私も大好き!海だ!南国だ!ハワイだ!自然だ!大好きっ子にはたまらないディズニー映画、「モアナと伝説の海」のびっくり考察をしていきます。
実は1年ほど前からハワイアンのクム(先生)から直々にフラを教わっている私、恥ずかしながら「ハワイとか海好き〜〜♡」なんて20代前半そこらから言ってたわりに、その歴史や実態などほとんど知らなかったこれまでの人生・・。
ハワイの歴史やスピリチュアリズムなどを最近学ぶ中、古代ヨガとの繋がりも発見した中で1つ気づいてしまったのが、今回のモアナと伝説の海のことなのでございます・・。
そう、あの映画・・ただ主人公の女の子が島のみんなを救うために冒険に出て、マウイと協力して無事ティフィティの心を返せて村のみんなを救えてやったね!!というだけの映画ではないのです。
この映画、なんとヨガ、仏教、ハワイアンスピリチュアル、などなど多くの宗教やスピリチュアルな世界?(そこまで詳しくなくすみません)の中で、多くの人間が目指す姿である「悟り」について強いメッセージを伝えている作品なのです・・!
ディズニー監督に直接エビデンスを取ったわけではありませんが、私はそう確信しております。今からその理由をお伝えしていきますね。
その前に、ヨガの小話をちょっと・・
ヨガや仏教などにそんな詳しくもなく、「悟りってなんすか?お坊さん的な?」と思われる方もいらっしゃるかと思いますので、まずは前提のお話をしてから進めますね。
すでに「悟り」について詳しい方、目指している方などはすっ飛ばしていただいて構いません。超かいつまんでご説明だけします。
私はインドでヨガをきちんと勉強しに行った時、先生から「ヨガ本来の意味は【繋ぐ】ことだ」と言われました。「【繋ぐ】ために心の動きを止めて、自分の中に意識を向ける過程全てがヨガなんだ」と。
果たして何のことやらと当時は思いましたが、繋ぐとはなんぞや?という部分を掘り下げていくと、どうやら私たちの姿とは大きく3段階あり、「体・心・魂」この3つはもともと全て繋がっているとのこと。
みんな普段のムカついた!とか、悲しいとか、わあ〜い楽しい!もっとほしい!みたいな感情や必要以上の欲によって、本来の自分の姿である「魂そのものである自分」の姿を忘れがちになってしまう。さらに、心の動き(感情)がそれを助長し、「怒っている自分の姿や悲しんでいる自分の姿が自分そのものなのだ!」とみんな思っているから、何も意識しないと心の奴隷になってしまって苦しむんだと。
なるほど・・それが私たちが一喜一憂して感情に振り回されてたり、あの人の行動や言動をいちいち気にしたり、そもそも自分の人生とは・・生きている意味とは・・なぜこんなに苦しいの・・と思ってしまう理由なのかと。
何と無く分かってもらえますかね?生きるがゆえの楽しさも悲しさもあるよね、だって私たち人間だもの、って当たり前のこの感覚。
ヨガではあの難しいポーズをしたり瞑想を何時間もしたり、ベジタリアンな食事や呼吸を通してできるだけ自分の感情の動きを制御し、コントロールするという様々な過程を経て、静かな心の状態から本来の自分の姿である魂の存在を認識していこう・・!というものなのです。
そんな自分の「体・心・魂」の繋がりをきちんと感じられた時、さらにその魂とは本来は私も、今この記事を読んでいるあなたも、あの嫌いな上司も、大好きな恋人とも!この地球上に生きる全ての生き物、動物、植物、全員と繋がっていると言うのです。(だいぶ話がぶっ飛んできました)
「悟り」とは、その万物と繋がり、個人と集団との境目が本当の意味で感覚的に理解し、それが当たり前として日々生きている人の状態のこと・・だと、個人的には理解しています。理解するのと、その段階まで至れることはまた別物ですが。
かいつまんでと言いながら結構しっかり書いてしまいましたが、モアナではそんなヨガ(仏教も似てる)の目指す最終ゴール「悟り」のために奮闘し、大切なことを伝えている映画なんだよと私は言いたいわけです。
やっと本題に戻れます・・それでは、ポイントとなる場面の紹介をしていきます。
実は映画の冒頭でこの物語の目的ははっきりこれだと言っている
モアナは海に浮かぶ1つの島に家族や島民と共に仲良く暮らす村長の娘として物語は始まります。
生まれた時から、この娘は村長になるのだという宿命を受けてモアナは育てられます。先祖代々から伝統は続き、この島からは出ず海の向こう側・・遠くには行っていけないという掟と共に。
そんな宿命を背負う中、モアナは誰に言われたわけでもなく海に呼ばれている気がするのです。これはモアナがまだ幼い時から描写が書かれており、海はモアナにこちらにくるように誘っている様子がよく分かります。
私たちも、少なからずこういった経験はありますよね。例えばこの日本で生まれ、ある程度みんなと同じように学校に通い、立派な大人になるように両親や大人たちから言われて成長していくわけです。
「危ないことはしてはいけないと、あなたには幸せになってほしいから」という言葉と共に。その反面、私には本当は気になること、こっちを進みたいこともあるんだけどなあ・・という幼い思いを胸に、いつしか大人になるにつれ忘れ去られていく方が多い世の中ですが・・。
話を元に戻しましてこの動画の映像にある挿入歌ですが、日本語にすると「無垢な勇者」がタイトルとして出ております。
実はこの曲の大元の正式なタイトルと謳っているアーティスト名はこちらです。
アーティスト名:Te Vaka (テ・ヴァカ)
タイトル:"An Innocent Warrior/Know Who You Are"(無垢な勇者/あなたが誰であるかを知る)
なぜ大切な無垢の勇者、の後に続く後のタイトルがはしょられて日本でも広まっているのか・・。(その次が超大切なのに!!)
こちらのアーティストバンド、日本語で情報が少なかったのですが見た所タヒチアンな曲やタヒチダンスの音楽をメインに活動されているようですね。
ここでは詳しい説明を省きますが、ハワイのフラもタヒチダンスも場所は違いますがお互いが姉妹関係のような、親戚に当たる存在です。同じ海と自然と愛するハワイ地方の歴史を共にしていると思ってください。
タイトルに戻ると、日本語で「無垢な勇者/あなたが誰であるかを知る」とありますね。ということは、もうこの曲が映画の中で流れる冒頭の方(モアナがまだ幼い時)から、この映画は「主人公が自分が何者であるかを知る」ための作品であることが明確に示されているわけです。
「自分が何者であるか?」先ほどヨガの時にご説明した通り、この映画は村の家族や自分地震でも「モアナはこうするべきだ!」と色々言われるけれど、自分の魂の存在に気づいてその声のままに進んだり、冒険を経て役割を全うするという物語なのです。
ちなみにこの曲、「"An Innocent Warrior/Know Who You Are"(無垢な勇者/あなたが誰であるかを知る)」は私も大好きな曲でして、本当に自分の本質と言いますが、言語は分からずとも魂レベルで心に響くので不思議です。
一応、こちらに曲のライブ映像を貼っておきますね。
冒険の中で起きる出来事も出会いも、全てはモアナが自分が何者であるのかを知るために必要なステップ
そんな不思議な幼少期から感じていた導きを受けつつ、さらにおばあさんにヒントをもらい村のみんなを救うため、モアナは旅に出ます。
どうやら「マウイ」と呼ばれる男を探し、共に失われた「心」を大地の女神である「テフィティ」に返す必要があるということ。
マウイはハワイの歴史の中でも度々登場する(正確に言うと、ポリネシアン神話)半分人間、半分神様でありながら人間たちにとってはヒーロー?のような、時にお調子者でユーモアある男なのですが、これまで人間のために様々な活躍をします。
空を高く押し上げたり・・
寒い夜に火を盗んでみたり・・
太陽を捕まえて昼を長くしたり・・
風を飼いならして追い風を吹かせたり・・
島を引き上げてみたり、ウナギを殺したらココナッツが生えてきたり・・
人々が豊かに、文明が栄えるための手助けをしてきたのがこのマウイです。
ですが、ある時もっと人間たちを喜ばせようとして、大地の女神テフィティの心を盗むことに手を出したマウイ。
誰からも愛され、必要とされるテフィティの心を手に入れれば、もっとたくさん人間たちの「心」をもらえるのかもしれない・・そんな期待があったのでしょう。
これがきっかけで村の作物が病気になり始めてしまったり、漁に出ても魚が取れなくなってしまうなど問題が起きてくるのですが、私はこの「テフィティの心」を盗むという行為は、おそらく「人間の過度な文明社会」のために自然や地球から資源やエネルギーを奪い続けるという行為を表しているのではないか?と思っています。
マウイはもっともっと人間たちから愛されたくて、称賛されたくて行き過ぎた行為に及びます。
人間たちがもっともっと豊かになりたい、必要以上に欲しがることを際限なく求めた結果の表れなのではないかと。
もっというと、人々が自分自身と周りの人、また自然や海に対する配慮や思いやりを欠いてしまったこと、そんな優しい「心」を忘れていませんか?本当に必要なものはなんですか?と。
モアナと伝説の海の映画の中での「心」の描写はそんな風にも取れるのではないかと個人的には解釈しています。
その後に出てくるキラキラのカニモンスター(名前はタマトアだそうです)が、「昔は冴えないカニだったが、今ではこんなにゴージャスさ☆」と手に入れた地位?ありのままの姿から着飾った装飾品を纏って酔いしれていたり、
ココナッツの海賊団と出くわして大往生したり、
冒険の中で自分の不甲斐なさを感じたり失敗を通して自分自身と向き合っていくわけですが、時に何もかもを投げ出してしまいたくなったり、この旅に出た意味や目的さえも見失いかけてしまうシーンも出てきますね。
それらは全部、当人にとっては災難で大変な出来事だとしても、「自分が何者であるのか」を知るための出会いであり、ステップだとこの映画では伝えたいのではないでしょうか。
仮説が決定的な確信に変わるシーンが最後に
私自身もここまでのストーリーだけではこの映画が「悟り」をテーマにしたものであると気づけなかったと思うのですが、ラストのテカーとの戦い〜テフィティの心を返すまでの流れでもうはっきりと言っているのがわかります。
ポイントとなるのは、"An Innocent Warrior/Know Who You Are"(無垢な勇者/あなたが誰であるかを知る)の曲に合わせた「Tomona Yabiku - 自分をみつめて」の曲が流れるこのシーンと、そこで歌われている歌詞です。
まずは、日本語盤の歌詞がこちら
心をなくしたあなた
今こそ
見つめ直してほしいの
本当の自分を
決められるのは
あなただけよ・・
結構英語版だと意味が違うので、英語版も和訳と共に載せますね。
I have crossed the horizon to find you
(あなたを探しに水平線を越えて会いにきたわ)
I know your name
(私はあなたを知ってる)
They have stolen the heart from inside you
(あなたの心を盗まれたのね)
But this does not define you
(自分の姿に惑わされないで )
This is not who you are
(こんなのあなたじゃない )
You know who you are
(自分を見つめて/本当は自分が何者か分かるはずよ)
結構言ってることが違いますよね〜!
ただ、日本語も英語もどちらも本質をよくついております。
私はよく鼻歌を歌うのですが、こうして好きなモアナの曲も口ずさんだりするんですよね。この曲を歌っていた時に、ふと「エンディングの方でなんか喋ってたよね・・?」ということを思い出し、その言葉を改めて書き出してみたことが今回の考察に至るまでのきっかけです。
映画の冒頭に
"An Innocent Warrior/Know Who You Are"(無垢な勇者/あなたが誰であるかを知る)
が流れ、最後にその曲と映像をクローズアップして、さらに重要そうな言葉を被せるという・・。
これだけ強調して大切なメッセージをディズニー側は伝えているのに、なぜ今まで気づかなかったんだーー!!と衝撃を受けました(笑)
いやまあでもそうですよね、「悟り」について学んでいなかったりその言葉すら知らなかったら、気づかないのも当然です。
テフィティは心を奪われて、我を失ってテカーという恐ろしい火山の化身になっていました。
我を失い、悲しみと憎しみでいっぱいになった恐ろしいその姿は、まるで私たちが我を忘れて人を憎んだり、怒りに心が支配されている状態と同じように思いませんか?
もう何も過不足はないはずなのに、もっと人から賞賛されたい、誰かより偉くありたい、欲しいものをどれだけ手に入れても満たされない、余るほど持っているのに誰にも渡したくない・・そんな自分のエゴばかりが膨れ上がり、本当の自分の姿を忘れ苦しんでいませんか?
側から見れば綺麗な海と自然の中で少女が冒険して村を救う物語。
本質を見ていくと、モアナと伝説の海の映画は、そんな現代を生きる私たちへ強いメッセージと気づきを与えるきっかけをくれる映画だったのですね。
最後に
ちなみに、マトリックスあたりも悟り系映画のジャンル(ってなんだw)に該当するようですね。確かに見てみましたが、私もそう思います!
他にも皆さんが思う悟り系映画がありましたら、コメントなどで教えてくださると嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました^^
Maha-lo!
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