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行き着くところ

お客さんの前ではないにしろ、大勢の前で何度も注意されるのはやはりきつい。昨日何度もバイト先で怒られてしまった。正直中には理不尽なもの、そこまで厳しくする必要があるのかと、疑問に思うものもあった。私が悪いのももちろんあったのだが...。悪気がないから許されるというのは違うが、自分なりに頑張っているつもりだし、言われたことを誠実にやろうという気持ちなのにそこまで注意されてばかりだとさすがに傷つく。個人的に注意されるのであればまだしも、幾度も全員の聞こえるところで注意されるのはまじできつい。もう注意されたくないからと、頑張るという気持ちに持っていけるならいい。しかし、そこに再びみんなの前で怒られる恐怖や周囲から見下されているのではという恐怖が生まれることだってあり得る。その人の言っていることは間違っているとは言えない。しかし、注意するにも手段があり、タイミングがあるのではないか。私のためだけに時間を作って、店内の無線を通じてではなく口頭で注意することはそれほど手間のかかることだろうか。確かに無線を使うことの方が少しばかり労力がいらないのかもしれない。とはいっても少しばかり、だ。それほど手間どるとは思えない。

注意された私が何を言おうときっとそれは言い訳でしかないのかもしれない。注意されたことが恥ずかしかった、悔しかったという文句なのかもしれない。そして結局注意されるようなことをした私が悪いのかもしれない。つまり”逆ギレ”なのだろう。

私がこうして言ったところでバイト先の人には話せないし、共感を仰ぐことはできない。私がバイトに不信感を抱いたとしても、一人で辞めていくしかないのだろう。注意されて嫌になって辞める、ってすごくみじめだと思ってしまう。何度も考えろ考えろと言われてたしかに私は今までのブログでも言っているようにあまり考える癖がない。優柔不断なくせに、肝心なところで何も考えずにものごとを実行してしまう。そして意表を突かれるように怒られる。自己嫌悪しかない。わざわざ自分を過度に罵ってまでバイトを続ける意味があるのだろうか、やめてしまっていいのではないかと思う。しかし、ここをやめたからといって他でうまくいくのか、またみじめな想いをして逃げる羽目になるのだはないかと不安だ。それならここで頑張った方がいい。かといってここでは反省をなかなか活かすことができないし、自己嫌悪の波に襲われるだけだ。

自分を過度に罵ることはやめた。そこに自分を責めたり不快な想いをする必要はなくて、ただ反省し次同じことを繰り返さないようにすればいい。しかし、それもそろそろ限界だ。周りはできているのに自分だけいつもいつも、と押し込めている劣等感があふれ出てくる。人並にできるようになるには自分に何ができるか、きっとそういうことをもっと考えていかなければいかないのだろう。「考えろ!考えろ!」

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