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『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.28「レインツリーの国」

「メールの文面がやさしい人って、良いよね?」
言葉の使い方一つ一つに気遣いや思いやりを感じる文章を見ると、あぁこの人はぜったい優しい人なんだろうなって、実際に会ってもいないのみ勝手に想像してしまうことがある。全然関係ないけれど、そういえば字がきれいな女性もそれだけでポイント2倍になるな、などとブツブツ呟いていたら、この本を紹介された。

とある思い出の本を共通言語に、ネット上で始まった二人のやりとり。そこから徐々に接近する中で、実際に会おうと提案した彼に、彼女はある理由でそれを拒否する。途中、ページをめくるごとに胸を締め付けられるような思いがした。

※以下、引用。ネタバレ含みます。

どうせ伸は健聴者で、聴こえないという辛さは絶対に分かってもらえないのだから、少しくらい当たっても許される。無意識にそう思っていた自分に伸から同じささくれを返された。
返されて初めて、自分が伸に今まで何をしていたのかを知る。

ささくれを返されたときに、初めて自分のささくれを知る。健聴者と同じように接して欲しいと願いながら、同じように接してもらうと拗ねる。すごく面倒くさい、はっきり言って。でも、それはある意味人間らしさで、それこそが同じように接してくれている何よりの証拠なのではないだろうか。

僕は男四人兄弟の三番目で、長男は知的障害を持っている。生まれながらに車椅子で、コミュニケーションもままならない。声を出すことは出来るけれど、会話のキャッチボールは難しい。先日、2年振りくらいに彼の入所する施設に会いにいったけれど、最後まで僕の名前を呼ぶことはなかった。それでも、帰り際にハイタッチのしぐさをすると、ゆっくりとそこに手を合わせてくれた。心が通じた瞬間だった。

コミュニケーションの基本は、心と心を通わせることだと思う。五感は全て、それを心に信号として送るためのセンサーでしかない。仮にどこかのセンサーがうまく機能していなかったとしても、他のセンサーを研ぎ澄ませてコミュニケーションを取ろうとする。そうした努力を障害を持つ人は自然と行っているのだ。

どうすれば相手の心にアクセスできるのか。それを一つ一つ丁寧に、相手に届けることに死力を尽くす。それは健常者であっても、障害者であっても同じだ。その想いは、きっとメールであれば文字に宿るし、視覚が閉ざされていたら聴覚や触覚を通じて伝える。

僕もこの感想文を通じて、誰かの心にアクセスできたらいいなと、改めてそんなことを思った。

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