『感情』を押し込めた|INTJになりたかったINFJ①
INFJは擬態する。
とは言いきれないけれど……😂
もしかしたら、同じような人もきっといるのかな?きっといる!
これは、生きづらさから
自分の性質をねじ曲げ回避した、
私の四半世紀の記録です。
自分語りするみたいで嫌だなあー!
長文キモイなあ〜!
実際自分語りじゃん
どうでもいいけど大袈裟すぎん?
既にもうちょっと消したい
って私の一部が言ってます……
■なぜINTJに擬態していたか?:
擬態する前の私
就職をする前の大学生までの私は、MBTIを知らなかった。
高校生まで
男性アイドルを推して何度もライブ参加した。しかしライブでは、ペンライトなんか振れば大好きな推しの様子を見ることができなくなるから、動きが停止する。しかし皆が空気に合わせて飛び跳ねているから、空気に合わせると「なんか集中できない!でも合わせなきゃ!?」
生で推しが見たいのに、集中して見られない葛藤!
Se(外向的感覚)の劣り具合を感じますね※最近では、そういう場合はもう人の行動に合わせないようにしてます。腕組後方彼女面をして推しを見る……
大学では
心理学を真剣に学び、小説や絵の創作に打ち込み、少ない2~3人の友達がいればそれで満足するタイプだった。
大人数の中では自己発信するのが苦手で、新しい場所に適合するのが苦手。大学の構内、周囲の街においても、たった一人では新しいお店に入れないほど弱々しい人間だった。
どこか人と関わるのを怖がり、自己認識として「親友!」と思った相手しか心を開かない。
外向的な雰囲気の大人数が集まる場では、空気に圧倒されていつものように喋れない。
内向的な雰囲気の友達ですら、何故かみな推しアイドルのライブだと、自然体で空気に合った行動をしている。
私だけなんか違う……?なぜ?
感覚タイプの違いは、ずっと感じていました。
心を閉じてずっと創作をしていた。
でも、人間に興味がある。
絵や漫画を描くときも、小説を書くときも、趣味のゲーム実況を見るときも、アイドルを推すときも、小説やドラマやアニメを見るときも、ボランティア活動をするときも、好きになるものは、いつも「人間」だった。矛盾した自分について、気づいてはいませんでした。
卒論を書くゼミで、壮大な計画と熱い想いを語った。
ゼミのメンバーが、
「おお……?(壮大だけど現実的じゃ無さすぎない……)(全然喋らんのに急に語り出したなこの子……)」※主観です
と、少々引いた空気を出したのを覚えている。(ワーッINFJっぽいキモイ!?)
就職活動にて
大学までは周囲の人の意見に合わせ、レールに乗っかって人生を決めていた。それで満足していた私は、就職活動で「貴方は何を志望する?」と問われて、大いに苦戦する。人生はじめての大きな挫折だった。
志望したいものはない、やりたいこともない、そもそも仕事はしたくない、でも社会的に就職することが「普通」のこと。
だから、家族が多く就職している業界を志望しました。誰かに頼ればよかったのですが、就職活動は誰にも頼りませんでした。
抽象的な概念と、平和的な世界を愛した私は、
「なんとなく、優しい人でありたい!この業界で働いて、世の中の人を幸せにしたい!」と思いました。
………Ni(内向的直観)+Fe(外向的感情)を猛烈に感じる気がする!!!!
志望していたのは証券会社でした。
多いに性質に合わない業界と
方法を知らない就職活動で、
私は人生で初めて否定され続け、挫折感を味わいます。
勿論、今人事の仕事をしているので、「私の存在全てが否定された」訳ではないことは、今はわかる。
しかし、当時の私にとって、不採用の通知は「お前はダメな人間だ」というものにしか聞こえなかった。
至極真面目に。自分らしく偏った状態で面接を受け、「なんとなく、優しい人でありたい!この業界で働いて、世の中の人を幸せにしたい!」という謎価値観を否定され続け(ていたと思いこみながら、)苦しく憂鬱な日々を送っていたのです。
就職活動の終了までは、大学3年生の冬から、大学4年生の11月まで掛かりました。
業界へのこだわりをやめ、「仕事なんてなんでもええわ!就職するのが大事だ!」
と開き直り、面接で溌剌適当元気にしゃべりだしたのは大学4年生の10月。
元気にしゃべりだした途端、現職企業に拾われました。
■なぜINTJに擬態していたか?:
就職して、擬態した
自分はこのままじゃダメだ。
私は普通になりたい。
社会に適応できるよう、誰より努力をしなければ!
最初の配属は、契約販売系の業務でした。
ここから1年間。
圧倒的に自身と真逆の、
外向>内向
感覚>直観
論理>道理
知覚>判断
私にとっては大いに刺激的な職場にて、私は揉まれます。
私はおそらくTi(内向的思考)によって、
「普通」をトレースし始めました。
↑いつも役に立ってくださるサイトありがとう
「売れる」周囲の人を観察し、行動をトレースして、「売れる」論理を使って売った。
「仕事ができる」周囲の人を観察し、行動をトレースして、「仕事ができる」人になろうとした。
「今まで関わらなかったタイプの人」と仲良くして、「今まで関わらなかった人」の言動や思考をトレースした。
できない時は、仮説を立てて実行し、振り返ればできるようになった。いわゆるPDCAですか?これ
全てトレースした結果。
私は仕事では、(まあ…それなりに)評価される人間になりました。
今まで使えなかった劣等機能を、無心で使いまくった1年間でした。
(この時期に、人生初めて彼氏もできました。せっかく好きになってもらったし良いかと付き合ったら、ひとめぼれされたのに「思ってたのと違う」って振られました。彼氏は今思えばESFPよりの人で、2年間弱くらいお付き合いしました。振られてすごい悲しみましたけど、私から会わなくなって行ったなあ。ウケる……
しかし、この出来事が私をさらに論理寄りにさせました。ウケるね!
恋愛系の話はまとめて、長くなるのでまたいつか!!)
反面、大きく違和感をおぼえます。
今思えば突発性難聴になり、職場に似た環境に行くと片耳が聞こえづらくなる症状も起きて、
どうにかここから抜け出さねばと努力をしました。
繁忙する日には怒号が飛び交う環境。お客様は老若男女問わず、多様な性質の方がひっきりなしにやってくる。理屈もなく上下関係がはっきりしており、偉い人がくれば皆が理由なくペコペコ謝りだす。数字だけがすべて、獲得の方法は問わない。休日は皆で飲んで騒いで、感覚的に遊ぶ。泊まりで深夜まで遊び、歌って騒ぐ。喜怒哀楽がハッキリとしている。「なんとなく楽しい」誰もが簡単に職場内で恋愛関係になり、場合により不貞も垣間見える。
…と、こんな風に書きましたが笑
とても「まぶしく人間らしい」環境であると思います。
しかし!!!!!
私にとっては、プライベートが欠如した、一切の思考できない違和感とストレスだらけの毎日でした。
好きだった趣味も、できなくなっていた時期でした。もはや、なりふり等構っていられない。
そこで人事異動に際し、まさしく死ぬ気でアピールをし、人事になりました。
人事としてより仕事に打ち込みながらはたらく中、元彼ともぶつかり疎遠になりました。元々外向的で感覚的で感情的で拡散的な人でしたから、長文で概念的な事ばかりをしゃべり続ける私は大層気持ち悪く不思議なものだったと思います。
「俺には幸せにできない、友達になろう」(トラウマ決め台詞!!!)
(うるせえ、なんで他人に幸せにされないといけないの!?私は自分の力で幸せになるんだが?!!!)
と言われ、話し合い熟考の末に、貰ったプレゼントもすべて返し、もしくは捨て、連絡先も削除し、一緒にやりたいって言うからめちゃくちゃ課金したゲームアカウントをあげて、貸したものすら返してもらわずにお別れしました。
※ごめんなさい、いわゆるドア・スラムかもしれません……笑
人事として、社員一人一人と向き合う中で、(今も昔も)非情な判断を求められることがあります。しかし、心は揺らぐ。そのことを忘れるように、Tiだけをフル回転させる。論理に没頭しました。痛む良心Feは無視をして。
そして、MBTIをこの辺りで知る。
自分は何者なのか、ずっと考えていた。
■つまるところ
①仕事における成功体験
②人間としての挫折体験
この2点から、私は感情・道理を殺しました。
診断をしはじめた最初から、記憶が無くなった頃に診断を繰り返す。何度も何度も何度も何度も何度もINTJ!!!!
ここ最近までずっと変わらなかった結果により、自分をINTJだと認識していたのです。
1〜2年くらい前まで、よく口癖のように言っていたのは、
「計算機になりたい」
「私には心がないから」厨二病……!??
でも、「なりたい」「私は無い」と何度も何度も口にする時点で「私は論理型になれていない」ということに気づかなかったのでした。
無いものを「私は無い」なんて、わざわざ言わないでしょう……。だって無いんだから。無いものは「私は無い」という認識さえ生まれないものでは無いですか?だって存在しないのだから。
少なくとも、INTJだと自己認識していた3〜4年程度は、気づかなかったんじゃないかと思います。
どうしてINFJと思えたか?
それで、どれだけ救われたのか?
長くなったので2につづく↓
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