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宮台真司はなぜ性愛教育が凋落日本を救うというのか?

疑問は残り、シャーベットだけ消えた


”一番大事なの性愛の教育ですよ”

7月。
額にうっすら汗を浮かべた宮台真司さんが、僕の目をじっとみながら真顔で話してくれた。ビストロの個室は冷房が効いていたが、彼の背中には窓越しに昼の太陽が照りつけていた。

正直、話についていけなかった。

なぜ、急に性愛の話になるのか?

宮台さんが僕の隣に座り、向かいにはジャーナリストの神保哲生さんが座っている。3週間前、お二人のニュース番組「マル激トーク・オン・ディマンド(通称マル激)」にゲストとして呼ばれて、日本の経済面での凋落について議論した。さっきまで、そのときの話の続きをしていたはずだ。

現代の日本社会は底が抜けている。
保守政党は何を保守しているのか。
財政破綻しなくても経済破綻する。
このままでは日本は沈没していく。

我々の世代ではどうしようもないから、中高生への教育に力を入れないといけないと宮台さんは言う。

そういう流れだった。
政治や経済に関する教育の話だから社会科教育の話になると思っていた。折しもこの4月に、何十年かぶりに高校の社会科に新しく必修科目が加わったばかりだった。「公共」という政治や経済によって公共空間をどうデザインするかを学ぶ科目だ。

ところが、宮台さんは、中高生に大事な教育は性愛だという。

さらに続けて、感情が劣化しているという話をしてくれた。
しかし、なぜそれが政治や経済の話につながるのか?

いつのまにか目の前にはデザートがサーブされていた。
皿から口にスプーンを運びながら、頭をフル回転させる。
なぜ性愛の教育が必要なのか。宮台さんの話を理解しようとする。
気付くとデザートの入っていた皿はカラになっていた。
いったい僕は何を食べていたのか?
皿には少しだけ液体が残っていた。シャーベットを食べていた気もする。
夢中になって考えていて、何を食べたのかがわからない。

それより、どうして性愛なのか?
デザートは消えたが、疑問はそっくりそのまま残っていた。

写真を確認すると食べていたのはアイスクリームだった


宮台真司の前で、僕はアリになる

その一月ほど前まで、恥ずかしながら宮台真司をよく知らなかった。
「マル激」の出演依頼のメールをもらったとき、脳内で「宮台真司」という単語を探した。古い引き出しにその名前を見つけたが、「ブルセラ」や「社会学」という単語くらいしかその引き出しには入っていなかった。
すぐに、ウェブ検索をしてみる。
そして、ある動画を見て衝撃を受けた。

30年近く前の「朝まで生テレビ」の1シーンだった。

1994年、朝まで生テレビで鮮烈なデビューな果たすムスカ大佐のような宮台真司氏

黄色いセーターに色眼鏡をかけた宮台真司が、背広のおじさんたちの前で言い淀むことなく話し続けている。その論理だった説明にはつけいる隙がない。
立て板に水。
理路整然。
時おりおじさんたちが論戦を挑むのだが、その全てが飛んで火に入る夏の虫。宮台真司という業火に次々に焼かれていく様は爽快でしかない。

宮台氏の話に聴き入る論客たち

とはいえ、短い動画だけではわからない。弁論術に長けているだけかもしれない。僕は、原稿の締め切りや講演の準備に追われていたが、すぐに彼の著作「日本の難点」「14歳からの社会学」などをkindleで購入して読んだ。

再び衝撃が走った。こんな天才的な人が日本にいるのかと。

早逝した数学者の長尾健太郎君を思い出した。彼と話しているとき、僕はいつもアリだった。2次元の平面世界で這いつくばって生きているアリの疑問を、一つ上の3次元に生活するタカである長尾くんが答えてくれる。
もっとも4次元、5次元の世界から、3次元にまで降りてきてくれた気さえする。

宮台さんの本を読みながら、僕はアリになっていた。宮台さんは僕らの生きる社会をタカの目線で説明してくれる。社会学のはずなのに、彼の説明は非常に論理的で数学のように映る。さらに膨大な知識量が彼の論理的な説明を補強していた。

数学者vsポエマー

数学的だというのは何も数字を使うことではない。数字のデータを使っているのにポエムでしかない人はたくさんいる(ポエマーを自称している経済学者の成田悠輔さんは逆に数学的だ。おそらく彼は、あえてポエマーと名乗ることで、ポエマーの多い同業者を冷笑しているのだと思う)。

宮台さんが数学的だと感じるのは、まず言葉の定義が明確な点だ。説明するときの因果関係もはっきり示してくれる。そして全体を把握して説明するから局所解にも陥らないし、解が他にないことも明らかにしてくれる。

宮台さんに、経済の専門家という印象を持たれる方は少ないと思う。しかし、経済もまた社会システムの一部だ。宮台さんの語る経済は数学的で本質的だ。本質的なことは、時代が変わっても色褪せない。

「日本の難点」を読みながら、僕は何度も発行日を確認した。発行されたのは13年前の2009年だった。

そんな昔から、2022年現在の日本社会が直面する問題を予見していたのだ。現在の我々が苦しんでいる物価高。資源や食料の物価は世界で高騰しているが、通貨が日本ほど弱くなっている国は他にない。理由は簡単だ。2009年から宮台さんが指摘しているように、資源や食料の自給率がこんなに低い国は日本ぐらいだからだ。外から輸入する金額が増えれば、円安になるのは当然だ。

一方で、経済の専門家たちの多くは、言うことをコロコロ変える。本質的でない話はすぐに色褪せる。現在では「金利が上がらないから円安になる」と叫ぶ専門家たちは、2009年当時、「日本は数年以内で財政破綻する、金利が暴騰する」と吠えていた。

物価にしても同じだ。物価高を目指していたはずなのに、物価高に苦しんでいる。どんなに難しい数式を使っていても、定義や制約条件、境界条件があいまいだと、数学的にはならないし、全体を見なければ本質的な話はできない。

本質的な話をしてこなかったから、失われた10年が20年になり、30年になったのだ。

われわれ意識の欠落

9月。
神保さんから打診されていた経済の新番組について準備を進めていた。本質的な経済の話をするために初回のゲストは宮台さんに決まったのだが、天才宮台真司とどんな話をすればいいか。頭を悩ませる。

ヒントを探すために彼の著書「経営リーダーのための社会システム論」(野田智義さんの共著)を手にした。

「経営リーダーのための社会システム論」(宮台真司氏と野田智義氏の共著)

その本に答えが書かれていた。
宮台さんと話すべきこと。
そして、性愛の教育が必要な理由。

共通する答えは“われわれ意識”だ。

“われわれ”を明確にしないと、経済の話は不明瞭になる。

たとえば、賃金を上げろという“われわれ”は労働者で、経営者や株主は含まれない。一方で資産所得倍増を望む“われわれ”は、株主で、労働者の賃金を削りたいと願う。
預金者としての“われわれ”は金利が上がって欲しいと思い、住宅ローンを抱える“われわれ”は、金利が上がらないことを祈る。

物価にしても同じだ。上がって喜ぶのは生産者で、下がって喜ぶのは消費者だ。お金は誰かから誰かの移動であって、全体で考えると打ち消し合っている。本質的な話ではない。

では、なぜ全体を見られなくなったのか。

それが、この本に書かれている“われわれ意識”の欠落だと僕は解釈した。

顔見知りのいる地域社会には“われわれ意識”があり、損得勘定のない人間関係が存在している。店主が1000円のラーメンを800円にまけることもある。損得勘定なければ、相手の立場に立って考えることができる。相手が200円払わなくてすむなら、200円利益が減ってもまあいいかと思える。

経済にしても政治にしても、全体について考えるには、自分ではない他人の立場にたって考える想像力が必要だ。しかし、“われわれ意識”を育んできた地域社会が機能しなくなった現在、それは難しい。

では、どうすれば損得勘定のない人間関係を構築することができるか。それが性愛の教育だと宮台さんは言う。現代ではマッチングアプリが蔓延して、属性主義的になっている。「年収だ」「美人だ」というスペックでしか相手を選ばなくなっている。これでは相手の立場になって考えることはできない。

ざっくり説明するとそんな感じだ。もっと詳しい話を知りたい方は、ぜひ、「経営リーダーのための社会システム論」を読んでみて頂きたい。“われわれ意識”とは何か、なぜ性愛の教育が必要なのかがわかるはずだ。

天才宮台真司氏(右)と番組を作れて満足する筆者(左)


そして、この“われわれ”を明確にすると経済はどう見えてくるのか。宮台さんをゲストに呼んだ経済番組の内容については、次回話したいと思う。

その次回がこちら


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この考え方をベースに、1年かけて書いた小説が、『きみのお金は誰のため』という作品です。

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