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「お金に解決できる問題はない」という教育のススメ

”バカとブスこそ東大に行け”

ドラマ「ドラゴン桜」より

ドラマ「ドラゴン桜」で、阿部寛さん演じる桜木先生が全校生徒たちに言い放つセリフだ。ルッキズムやなんやらで、今なら即炎上しそうだ。
このドラマの原作となっているマンガの舞台、龍山高校にはモデルになっている学校がある。

ドラゴン桜の高校に潜入

それは、横浜にある聖光学院高校だ。
といっても、校舎がモデルになっているだけで、ブスもバカも存在しない。卒業生の3割以上が現役で東大に行くバリバリの進学校だ。そして男子校である。
先週、訪れたときも、昼休みに食堂で多くの子がノートや教科書を広げて熱心に勉強する姿を目にした。

街路樹が育って分かりにくいが右が聖光学院高校

「公共」の授業の一環として、お金についての講演をするために訪れていた。「公共」という科目は昔でいうところの「公民」で、今年から必修科目として新たに加わった。法律や、政治や経済や国際問題など、公共空間がどのようにデザインされているかを学ぶ。
大学受験で社会科というと、歴史や地理の方が馴染みがあるかもしれないが、社会、つまり自分が暮らす公共空間を設計するために、時間軸を過去に広げて学ぶのが「歴史」で、空間軸に広げて学ぶのが「地理」だ。「公共」を学ぶために、「歴史」や「地理」を学ぶべきなんだろうと、勝手に解釈している。

公共で扱うテーマは多岐にわたるが、今回のテーマはお金だ。
聖光学院の先生が僕を紹介するときにも「今日のテーマはみんなが大好きなお金です」とおっしゃっていたが、たしかにお金の増やし方について知りたい人は多いだろう。
元々、僕は投資銀行で働いていた。投資でお金を増やす方法を聞かれれば、分散投資の話をすることもできるし、国家戦略で力を入れている産業に投資して税制や補助金的な優遇も受けとるといったマニアックな話も嫌いじゃない。「現状の市況を考えたら、日本とアメリカの金利差を利用して、、」とか嬉々として話すだろう。
しかし、今回はそんな話じゃない。お金が社会において果たす役割について講演しに来ている。とはいえ、「お金の3つの機能を考える」とか「税が社会に果たす役割について」なんてタイトルにしたら、誰も興味が湧かない。
僕が学生なら間違いなく、開始1秒で寝てしまうだろう。
講演するからには、惹きつけるタイトルを考えないといけない。

お金に解決できる問題はない

少し話をさかのぼるが、2年ほど前、この社会科「公共」の教科書を共同執筆した。
(最後のページには、大学教授や名誉教授の肩書が並ぶ中、”元ゴールドマンサックストレーダー”という謎の肩書きが登場している。無職という肩書きは許されなかった)
この教科書作りの旗を振っていた佐渡島庸平さんは「子どもに考えたいと思わせる」ことが大事だとよく言っていた。知識を詰め込む教育をしても、子どもが吸収しなければ意味がない。まず、子供に「なぜ?どうして?」と疑問を抱かせることが必要だというのだ。
その話を思い出して、講演のタイトルは、「お金に解決できる問題はない」にした。
これは、お金にも解決できない問題があるよって話じゃない。本当に、お金で解決できる問題なんて一つとして存在していないのだ。
「いやいや、ちょっと待てよ」と思われる人も多いだろう。お金があれば、空腹は満たされるし、好きな服も着られるし、子どもにいい教育を与えられる。お金を払えば、いろんな問題が解決できる。それはその通りだ。
しかし、そこには大きな落とし穴がある

現在の日本の生活が苦しい理由

お金が問題を解決するのではない。その裏には、お金を受け取って解決する人が存在する。
農業をする人、料理をする人、繊維工場で働く人、服をデザインする人、わかりやすい教材を作る人、教え方を研究する人たちが存在する。
だから、空腹は満たされるし、好きな服も着られるし、子どもにいい教育を与えられる。いろんな問題が解決できるのだ。
お金ではなく働く人々が社会を支えているという当たり前の話なのだ。
ところが、現在の僕たちは、お金を支払えば問題が解決すると考える。お金自体に万能の力があるかのように感じている。これは、個人だけの話ではない。国レベルでも同じだ。

たとえば、日本の財政問題。政府の借金は1000兆円を超えたが日本は破綻していない。これまでも日本は破綻していないから借金を増やしても大丈夫だとか、これ以上はまずいという議論がいまだに行われている。これは馬鹿げた議論だ。
これまで日本が借金しても大丈夫だったのは、問題を解決してくれる人々が日本の中にいたからだ。使ったお金が海外に流れずに国内に残ってきた。しかし、日本の中で解決できる人が少なくなると、国は立ちゆかなくなる。お金を払って外国の人たちに助けを求めるようになり、お金は外に流れていく。円安になって、海外から必要なものを買えなくなり、生活が苦しくなる。まさに今の日本の状況だ。
高校で金融教育も始まり、学校によっては、どうやって資産運用でお金を増やすかを熱心に教えている学校もあるらしい。そういう知識を教えることも大事だろう。しかし、それより前に、問題を解決するのはお金ではなく、お金を受け取って働く人だと認識させる必要がある。

あなたは社会の一員だ

聖光学院での講演「お金で解決できる問題はない」では、お金や経済の仕組みについていろいろ話したが、最後にみんなに問いかけた。

あなたは、社会に出て、どんな問題を解決できるのか?

これまで話したように、社会を支えるのはお金ではなく人だ。自分は社会の一員として、どんな問題を解決できるのか、どんな価値を社会に提供できるのかを考えてほしいと伝えた。
そして、何よりも僕が講演で伝えたかったことはこの一言につきる。

一人ひとりが社会の一員だ

社会は与えられるものではないし、自分とは関係ないところで作られるものではない。自分もまた社会の一員であり、自分が社会を形作っている。
テレビでもSNSでも社会への不平不満をいう声は多い。しかし、不平や不満だけをいうのは簡単だ。自分がどうやって社会を改善できるのかを考えてほしいと伝えた。

「それは極論ですよね」

講演のあとの質疑応答で、ある学生に言われた。その言葉は講演の中の脱炭素の話に対するものだ。
僕はこんな話をした。脱炭素のためにはこれから30年間の間に1京円の投資が必要だと言われている。よく話題になるのはそれだけの金額をどうやって金融機関が調達するかという話だ。しかし、問題の本質はそこにはないと思っている。計算すると、年間のGDPの3−4%の経済活動を脱炭素への投資に向けられる必要がある。それだけの労働力をどうやって確保するのかという問題だ。ここでいう労働は単純労働だけではなく、研究や開発などももちろん含まれる。
日本で考えるなら、3−4%の人口は四国一島に匹敵する。それだけの人数が今の仕事をやめて、脱酸素に関する仕事に従事しないといけない。お金だけを考えていても無理なのだという話だ。
その僕の話に対して彼は極論だと言う。3%の人口がその仕事に従事するのではなく、全員が3%ずつ負担すればいいじゃないかという主張だった。
僕が言いたかったことと論点とは違うのだが、彼の主張はもっともだ。
ただし、彼の主張が実現するには、地球上の全員が、脱炭素の問題を理解して、自分の仕事の3%を脱炭素に関する仕事に回さないといけない。つまり、全員が協力する必要がある。僕はそんなの無理だと思っている。初めから無理だと思っていては実現することはできない。
しかし、彼は可能だと信じている。信じているのなら、彼の世代は実現できるのかもしれない。
「僕の話は極論でした」とあやまるしかなかった。

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ゴールドマンサックスのトレーダーを退職して、教育の分野に進むことになった経緯はこちらから。



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