manabufujisawa

松本出身 前頭十七枚目 猫部屋 下北沢近辺在住 アマ野球、独立系映画、黒人系とか音楽愛…

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松本出身 前頭十七枚目 猫部屋 下北沢近辺在住 アマ野球、独立系映画、黒人系とか音楽愛好者 週刊漫画誌→FA 美術館広報誌別冊編集補 漫画専門校講師 無所属新

最近の記事

高校野球からの大学野球とドカベン

今日は今シーズン最初の野球の日と決め、午前4時からドジャース戦を観たあと、保土ヶ谷球場へ飛んで行った 高校野球の春季大会といえど、一年前も入場券を買うのにずいぶん並んだ、今年も覚悟はしていたが、最後列へと辿り着くのに5分はかかった、あとでニュースを見たら、チケット難民約3000分の1だった 入れたとしても立ち見ではつらい、あきらめて大和スタジアムの首都大学リーグへと相鉄で流れた 特筆すべきは神奈川の野球熱の高さではなく、二つの球場が『ドカベン』ゆかりということだ 保土

    • 異人たち〜親子のわだかまりと異人たちへの斟酌

      このタワマンにに住んでいるのは自分たち二人だけだと思いこむほどに、交通事故死した両親に会うために生家へ通い続けるほどに、愛し合う相手が孤独死した同性だと気づかぬほどに、アルコールやドラッグで現実と妄想の境を紛らすほどに、主人公は孤独だ 孤独癖があって被害妄想で自ら孤立感を味わう私とは孤独の根深さ、出来がちがう 親子、家族、家庭に対する積み残しという点では身につまされるものがあり、父や母となにゆえうまくやれなかったのか、妻や息子ともそれゆえうまくやれなかったのか、もう取り返

      • PLAN75〜七十五歳まで生きたくはないがあっさり死ねるだろうか

        ある日、人類の足跡を少しでも遡ろうと決意し、連日ひたすら歩き続けたものの、一日二十数キロが限界だった 労働と経済という資本主義的な事情でどうにも時間がなくなり、やむなく歩みを止めた瞬間から、堰を切ったように身体のあちこちが悲鳴を上げ、いきつけの呑み屋よりかかりつけの医者という体たらくに陥った ヒトもモノも生きてるかぎり宿命的に衰えてゆくのだが、アフリカを出たはるかなる祖先たちも同じような事情によってあちこちで脱落し、文明の芽や礎、屍となったのかもしれないと思えば、タナトス

        • 生きてるだけで、愛〜ヤク中の明けたり暮れたりする夜明け

          「ひりつく」という言葉を知らずに生きていた、「ひりひりする」ということなのだが、人の痛みがわからないから気づかなかったのかもしれない むろん映画みたいな人生を送ってきたわけではなく、ただ単にぼんやりしていた、大切な何かをたくさん置き去りにしてしまった気はする なおさら「生きてるだけで、愛」といわれてもポカンとするばかりだ、「生きてるだけで丸儲け」と同じ感じだが、生きてるだけではどうにもならない、生きてるだけでなら死んだほうがマシだ 原作は読んでおらず、公開から5年後のい

        高校野球からの大学野球とドカベン

          すべての夜を思い出す〜団地へのあこがれと絶望

          ものごころついた頃というのが正しくはいつ頃を指すのか知らないが、とにかくその頃、実家のすぐ北側で団地の造成工事が行われていて、祖母に手を引かれ日参してたのが最も古い記憶の一つだ ここで問題なのは、私が覚えている映像が祖母と自分のうしろ姿ということで、実際には工事現場のことはいわゆるひとつのデジャビュなのかもしれない その後、小学校、中学校ともに人口急増学区で、団地がいくつもあったし、学校が分離して仲のよい友だちと別れることもあった、昭和の自分史としてそのあたりを詳しく書い

          すべての夜を思い出す〜団地へのあこがれと絶望

          野球どアホウ未亡人〜知らないからこそ生まれるカルト

          『野球どアホウ甲子園』という漫画があったのであり、主人公は甲子園と阪神しか知らない坂田三吉でありながら、堂々カンニングで東大入試を突破してしまい、阪神のエースとなるあきれた水島ドリーム漫画だ 『ドカベン』に代表される手を替え品を替え輪廻転生的に主人公たちがスケールアップする大河ドラマは漫画のお手本だと思う 作者が文字通り『野球狂の詩』を地で行く人であってこその偉業だが、真逆に野球のルールすら知らない人だから描けた荒唐無稽に過ぎる名作、人気作も数多い この映画もまた、野球

          野球どアホウ未亡人〜知らないからこそ生まれるカルト

          オッペンハイマー〜映画の尺と偉人の矛盾

          算数の文章題ができなかったのは、私かバカなのではなく例題の日本語がなんだか違和感だらけだったからだ たとえば一郎と二郎が池の反対方向を回って合流するのは何分後といった現実が、はたして日常の中にあるだろうかといった疑問を小僧ながらに抱き、思考が止まってしまったのだった 理科もよくわからなかった、何がわからなかったのか思い出せないくらいわからなかった そういう学力のなさなので、高校の数学、化学、物理となると限りなく透明なゼロに近かった 映画の中で数式が音符に見えるという台

          オッペンハイマー〜映画の尺と偉人の矛盾

          瞳をとじて〜ミツバチのささやきとシネヴィヴァン六本木

          スーパーのセルフレジで人が並んでいるのに気づかなかったり、牛丼屋で手元が狂ってボロボロこぼしてしまったり、アタマでは分かっていても脳がカラダに命令を伝えてくれないことが増えた 王さんと同じくらい憧れの選手だった高田繁さんは、イメージと捕球位置との間に20cmぐらいの誤差が出るようになったと現役を引退したのだったが、守備位置にボールが飛んできてもどうしていいかわからずオタオタしている感じだ 六本木のシネヴィヴァンで『ミツバチのささやき』を観てから四十年近く経っていると知り、

          瞳をとじて〜ミツバチのささやきとシネヴィヴァン六本木

          ロブスター〜甲殻類アレルギー者の悦楽

          海老が食べられない日本人、野沢菜漬けが食えない信州人は、キムチを受け付けない韓国人にたぶん等しい もしも郷里で選挙に出たら、私は何票獲得できるだろうか、いま住んでる場所でも見知らぬ土地に落下傘で舞い降りるのでもいっしょだ、少なくとも当選できない自信がある、まあそういうことだ さらに似たような屁理屈で、かつて結婚できない男な気がしていた、進んでしようとは思わなかった、できようができまいができればしたくなかった、するかしないか、しないなら別れてくれといわれ、別れるぐらいならこ

          ロブスター〜甲殻類アレルギー者の悦楽

          季節のはざまで〜子どもでいることはむずかしい

          父親から相続した遺産はごくわずかなものであったが、保険にも一切入っておらず、葬式代ものこさなかったてな話を聞くとありがとうパパと言わざるを得ないし、相続税の割合というか払わされた額を思えば、都内某区が空き家だらけなのもよくわかる だがしかし、過ごした年月以上に想い出が詰まった生家、実家を取り壊すのは忍びない、朽ち果てるまま残しておきたいという場合もあるにちがいない 諸事情省くがおととしから片付けをした、実家の、モノを絶対捨てない、昭和製造の寒天とか備蓄している老婆の目を盗

          季節のはざまで〜子どもでいることはむずかしい

          つがい〜CFF2024 カウリマスキもといカウリスマキ彷彿

          話の前提として、いま悲惨にもあちこちが痛い、近年比較的快調だった古傷の右腰右脚が痛い、開幕絶望といった感じだ かつて名画座、二番館三番館の椅子は当たり前のように座り心地が悪く、こちとら大いに若かったとはいえ、旧文芸坐のオールナイト上映などはかなり足腰にきた あるとき小川紳介だか宮島義勇特集に異性を誘い、池袋から沼袋に連れ帰った日曜日の朝に異変が起こり、さらには駅前交番の巡査とまさかの衝突事件なども、下半身の重だるさとともに思い出される ここ高円寺の映画スペースは早稲田の

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          女優は泣かない〜自己回復やら原点回帰

          いつぶりだか思い出せないが、アドラー心理学の本を斜め読みした 食いもののうまいまずいを口にする人間は心が貧しい、さもしいてなことを祖母がしきりに言っていたのと、淀川長治がどんな映画も絶対にけなさなかったのと通じるものがあった フロイト的にトラウマとかコンプレックスにこだわって生きてきた面が大いににあり、前を向くきっかけにはなるかもしれない と感じたその日にこの作品を観た 冒頭の印象は正直よくなかった、その後よくなることはあまりなく、知ったような口を利くならば脚本が破綻

          女優は泣かない〜自己回復やら原点回帰

          落下の解剖学〜妻に私を殺させない方法

          かなり壮絶な夫婦喧嘩を何度もした その愚かさを忘れてはならじと思い、リビングのサイドボードのガラスにはガムテープが貼ってある 諍い自体はいまだにやまず、あのとき別れておけばよかった、人生返せと妻がいくら叫べども、私の卑屈な性情は容易に変わらぬのであった いくら北斗晶が強くとも、佐々木健介が本気を出したら殺されてしまうだろう それと同じ理屈で自分も男の端くれであるから、いくら粘っても負けてやるしかない予定調和の試合を長年繰り返しているのだった 敗北感に浸りつつ思い出す

          落下の解剖学〜妻に私を殺させない方法

          廃車の扉〜なんとなく向田邦子

          タバコに次いで酒もやめられそうな勢いだ この調子で何もかもやめられて無になれたらよい 本心なのかどうか、自分でもよくわからない 身体のあちこちが故障して、複数の医者へ通い続けるのは、生きることへの執着とか未練にちがいないのだ 他人にはあまり言いたくない部位の違和感が募り、予約を前倒しして専門医へ飛んだ 今年たぶん二度目の雪の朝だった 薬局とカー用品店の建物の隙間に、車のドアが並んで立たされていた あえて彼らと呼ぶ 廃車を解体した残骸であるから、もはやドアであっ

          廃車の扉〜なんとなく向田邦子

          レンタネコ〜猫人間は共感する

          二月二十二日、誰が決めたか猫の日に録っておいたのを視た 猫たちをリヤカーに乗せて豆腐屋や焼き芋屋のように貸し歩くなどどいうことは、現実にはまずあり得ない、そんなことをする人がいるわけがない、おそらく猫が逃げる あまりにも漫画チックと言うしかないのだが、誰が何をするか問題に照らすと、この監督に関しては許されることであった 泥棒に盗まれて困るものといったら、猫たちをおいてほかにない、猫たちしか財産はない その程度の暮らしであり、猫がいない家よりもしあわせな暮らしであるが家

          レンタネコ〜猫人間は共感する

          マサコ〜ジャズ喫茶への憧れ

          自分の町にもジャズ喫茶がたしか三つぐらいあった 大学生のフリをして、タバコを吸い、たまには酒も呑んだ 最初に通い出した一軒は、髪の長い、愛想も愛嬌もない、浅川マキとか七十年代のフォークシンガーのような、いま思えばあの時代の典型的なサブカルっぽい女の人が店員もしくは店主だった あのころ、中上健次経由でビート文学とかに少しかぶれたり、「ガロ」、「宝島」(前世)、「ビックリハウス」、「ロッキングオン」、植草甚一とか晶文社の本を好んで読んでいた いちばん思い出深いのは、レイモ

          マサコ〜ジャズ喫茶への憧れ