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どうしてこんなに「乃木坂らしい」のか―乃木坂46『「じゃあね」が切ない』


乃木坂46の35枚目シングル『チャンスは平等』に収録されている楽曲、『「じゃあね」が切ない』のMVが公開された。



とにかく、観てほしい。これは芸術作品だと思う。再生ボタンを押すときの心持ちとしては、平日夕方の美術館で、自分以外はだれもいない展示室に入って、自分とその絵しかない空間で、おそるおそる近づいて、その美しさをすこしずつ確かめるような気持ちで。

このMVを観たとき、わたしは「乃木坂らしい」と思った。わたしはこれまで乃木坂46というグループを応援してきて、芸術作品を観ているようだと感じることがよくあった。

メンバーそれぞれの素敵なところはもちろん知っているけれど、この子のここが可愛い!という感想が何ひとつ言えなくなるほど、集団として、そのコンセプトに完全に憑依しているひとつの作品として、圧倒されてしまうことがある。それを「乃木坂らしい」と感じるのだと思う。

乃木坂をよく知っている人にも、あまり知らない人にも届いてほしい、『「じゃあね」が切ない』という楽曲の魅力について記します。


「君」と「僕」のあの頃のこと


歌詞に出てくるのは、「君」と、「君」との時間の大切さを噛みしめて過ごす「僕」のふたり。また数時間後に会えるのに、口にした「じゃあね」の一言が切なくて、去っていく「君」の背中を名残惜しく見つめてしまう「僕」の心情が描かれている。

ここに登場する「君」と「僕」こそ、「乃木坂らしい」のかもしれない。

乃木坂の楽曲では、「君」に気持ちを伝えられない「僕」がよく登場する。「僕」は「君」に希望を見出し、電流が走ったように恋をし、誰にでも優しい「君」に腹を立てつつも、そのハートを独占したいのだと熱い気持ちを心の奥底に持っている。度々描かれてきた「君」と「僕」の物語。

『「じゃあね」が切ない』で描かれているのは、この「君」と「僕」ではないかと思った。ふたりのあの頃の記憶なのではないか。いつだって「僕」は、またすぐに会えるからこそ「君」に気持ちを伝えきることができなくて、名残惜しく背中を見つめてしまっていた。

いつの日かの「僕」が、色褪せた喫茶店であの頃の気持ちを思い出しているような情景が浮かんだ。


いつまでも見つめていたい「乃木坂5期生」という存在


この楽曲を歌っているメンバーは、乃木坂46の5期生、11人

センターは五百城 茉央。素朴だけれど力強く響いてくる歌声、細く長い手足で視線を奪うダンス、愛らしい関西弁が魅力だと思うメンバー。彼女がセンターに立つと、途端に希望が見えてしまうのだ。伝説の1期生・生田絵梨花さんに通じるような、「明後日を見る」という目線を感じる。今日でもなく、明日でもなく、その先を一緒に見ているように感じるのだ。

2022年2月に加入した5期生。加入後に活動自粛するメンバーがいたことで話題になってしまったことがある。

それでも、いま現在、11人全員で乃木坂5期生として完全な状態をみせてくれていることに感動してしまう。きっと本人たちも、周りのメンバーも、スタッフの方も、ファンの方も、言葉にできない気持ちがあったのだと思う。それでも本人たちはグループを離れることを選ばず、どんな風当たりでもステージに立つことを、ここでアイドルになることを選んだ。そしてそれを受け入れ、ともに5期生を作っていくメンバーたちの強く清らかな心に、その運営体制に、いつも感動してしまうのだ。

アイドルじゃなくたって、だれでも間違えることはある。二度と思い出したくない恥ずかしい失敗はだれにでもある。(あるよね??みんなある、と思いたい)

そこからどう生きるかだし、どんな人と生きるかだと思う。美しく、強く、たくましく手を取り合う11人を、いつまでもみていたいと思う


「乃木坂らしい」乃木坂を、応援したい


「乃木坂らしい」とかいうと、昔のメンバーがいた頃を思い出して浸っている痛いオタクだと思われてしまうかもしれない。

実際そうなのだ。そうなのだけれど、5期生という希望に満ちた存在がいてくれることに安心しているからこそ、「乃木坂らしい」と、あの頃に浸りながら、まだ応援することを楽しむことができるのだ。

また新たな「乃木坂らしい」素敵な楽曲に出会えたことが、とっても嬉しい。推しが卒業しても、オタクが乃木坂を卒業できない理由はここにあるのだと思う。


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