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アップデートされた現代の松屋で気付いた、自分の思い込み

思い込みは怖い。自分がそのときに抱いている価値観が自分にとって正しいと思い込んでしまうと、知らず知らずのうちにその価値観のなかでしか行動しなくなっていく。

まだ20代で若いのだ!(これも考え直すべき思い込み)と思っているわたしは、自分の価値観は自動アップデートされているから古くないのだと思い込んでいた。

そんなわたしが、松屋で価値観の凝り固まりに気付いた話をしたい。

松屋への思い込み


松屋とは、皆さんご存じの大手牛丼チェーン店である。

牛めしや定食など、メニューのコスパがとにかく良い。そして、ごはんが無料で大盛りにできたりおかわりが無料だったり、とにかく安く、おいしく、お腹をいっぱいにできるお店だ。

数年前までは行ったことがあった。幼いころ地元の店舗にもよく行っていた。当時の店舗はカウンター席がメインで、テーブル席は少なく狭かった。あまりたくさんの量を食べられないわたしは、店の隅に置かれた大きな炊飯器におじさんたちが仏頂面で茶碗を持って並んでいるのが怖かった。店員さんの動きが素早すぎて、無言で出ていくお客さんたちの回転が速すぎて、食べるのが遅いわたしは居心地が悪かった。

数年前に会社の上司たちとお昼に何度か行ったこともある。横の席との間隔が狭いカウンターに座った。男性上司の腕が当たったり、横の知らないおじさんの咀嚼音が聞こえるのもすこし嫌で、心を無にしてランチタイムを過ごした。

牛丼チェーン店といえば、おいしいものを安く、たくさん食べる場所。そういう場所はそういうものなのだ。松屋で食事をするおじさんたちは、何も感じなくなっているのだろうと思っていた。自分には向いていないのだから、プライベートでは行かないようにしようと、松屋から距離をとっていた。

そして現代の松屋へ


昨日のお昼前、休みで家にいた夫に「お昼、松屋行かない?」と誘われた。

咄嗟に「行く!」と答えた。なぜなら、めちゃくちゃお腹がすいていたからだ。早朝から急ぎの仕事をするためにPCに向かっていて、起きてから何も食べていなかったお腹は限界を迎えていた。「松屋」という言葉がいちばん響くお腹のコンディションだった。

でも松屋か…心を無にしたおじさんの巣窟…と思ったが、最近できた店舗だからきれいなお店だという情報を信じ、お昼時の松屋に向かった。


そうして訪れた数年ぶりの松屋は、なんと快適すぎるノーストレスの飲食店だった!

テーブル席が多い。そして、テーブルが広くてまったく窮屈に感じない。カウンター席もゆったりとしていそうだった。

入店後に専用の機械で自動注文とお会計まで終わらせ、モニターで呼ばれたものを自分で取りに行くスタイル。店員さんがせかせかと走り回っていることもない。店員さんは料理に集中して、ものすごい提供速度で注文を回していく。

そして何より、お客さんのマナーが良く、きれいで快適なのだ

やはり客層はおじさんが圧倒的多数を占めてはいるが、窮屈な席に押し込められていないからか、みんな表情がすこし柔らかい気がした。「おかわりお願いできますか?」とお茶碗を持ってキッチンに向かう姿は、わたしの記憶のなかの仏頂面おじさんたちではなかった。使い終わったテーブルをしっかり拭いて席をたち、「ごちそうさま~」とキッチンに声をかけながら返却口へ食器を戻す。スタッフも元気な声で「ありがとうございました!」と返す。そういったお客さんで循環している店内は、とてもきれいで、明るく見えた。

松屋で思う、価値観のアップデートについて


「松屋=狭くてなんか居心地悪いお店」
そうやって自分には合わない場所だと思い込んでいたままだった。

たった数年で、変えようという意思を持ったものは変わるのだ

松屋は変化していた。新しく変化した先で、その変化を受け入れたお客さんに変わらないものを提供していた。その変化に気付くことができてよかったと思う。これからはお腹がぺこぺこになったら松屋に通いたい

価値観は新しいことが正しいことに直結しているわけではないけれど、思い込んで足を遠ざけていると、新しくなったことにも気づけない。正しいかどうか考えることもしない。

価値観のアップデート。受け入れるかどうかは別として、自動更新を待つのではなく自分で気付きに行きたいな、と思う松屋でのランチタイムだった。

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