見出し画像

必要な怒りと不必要な怒り

はじめに


「怒り」というものは面倒臭い。
扱いを間違うと人間関係にヒビが入り、損をすることになる。

だからといって「怒り」がいらないものではない。
時と場合に応じて、怒るべき場面と怒る必要のない場面を見極める必要がある。

今回は個人的に喜怒哀楽の中で最も扱いにくいと思っている「怒り」について考えていく。


怒ることが苦手


怒ることが、自分の本当の気持ちをまっすぐに伝えることが苦手になったのはいつからだろう。

子どもの頃はすごく短気で、できないことや思い通りにならないことがあると泣いて怒っていた記憶がある。
母親から常に「短気は損気」と言われ、紙に書いて部屋に貼られていたくらいにはひどかった。

今振り返って思うとHSC(繊細な子ども)の影響で完璧主義がいき過ぎていたり、感情の処理がうまくできなかったりしていたのかもなぁと思う。


そんな私は学生時代を経て大人になった今、
怒ることが苦手である。
正確にいうと、むかつくことはあるが、怒りの感情を表に出すことがあまりなくなった。

理由は単純で、「怒ると疲れるから」
怒りはパワーを使う。

感情的になって怒って、伝えたいことが相手にしっかり伝わればいいが、大抵「感情的になって怒っていること」にフォーカスされて肝心な伝えたいことが届いていないことがあると感じる。

あと、怒りは長引く。
過ぎたことなのにずっとイライラしたり、怒ってしまったことに対して自己嫌悪になったり…
とにかく感情が振り回されるのだ。

そんなことが続くとある時ふと、怒ることに疲れてしまった。
特に人間関係においては、他人を変えることは不可能だと悟った。
そうなると他人に期待をしなくなった。
いい意味でも悪い意味でも人に対してドライになった。(人として最低限の親切はするが)


怒らないことのデメリット


人に対してあまり期待しないようになったら、人間関係が幾分楽になり、感情的になることも減った。
接客業でたまに濃いお客さんもいるけれど、
「もしかして、お腹痛いのかも」
「何だか不思議なことを言う人だな」
と思うと笑顔で対応できた。

そのように、
よく言うと人当たりがいい。
悪く言うと八方美人。
だと、たまーによくない事案が発生する。

これは私自身の見た目や雰囲気にも関係があるのかもしれないが、人に下に見られやすくなるのだ。

「この人だったら、強く怒ってくることはないだろう」
「この人だったら傲慢なお願いも聞いてくれるだろう」
このような雰囲気を出して、感情的に当たられたり、自己中心的な願いを通そうとしてくる。
仕事の時は、なるべく冷静に自分にできる最大限の対応をするが、正直心情は穏やかではない。
プライベートでの対人関係でも空気を悪くしたくなくて、結局言いたいことを飲み込んでしまうことが多い。
これはいったいどうしたらよいのだろう。


必要な怒り


ここで出てくるのが「必要な怒り」である。
人間誰しも許せないラインというものがある。

私の場合は、
〇自分が好きなものをなにも聞かずに否定される。
〇ルールを守らない。
〇人としての最低限の礼儀やマナーが著しく欠けている。
〇自分の「普通」を押し付ける。
〇人を傷つける言葉を平気で口にする。

ぱっと思いつくものだとこんな感じだ。

どこで「怒り」が発生するかは人それぞれ。
だから、自ら発しないとわからないのだ。


「怒り」をどう伝えたらいいのか


自ら発しないと周りの人がわからないとはいえ、いちいち大喧嘩したり、殴り合いをしたりするわけにもいかない。
どうしたらなるべく穏便に伝えられるだろうか・・・

考えてみた結果がこうだ。
〇真顔で嫌だと伝える。
〇~してほしいと素直にお願いしてみる。
〇なぜそう思うのか、その行動にいたるのか聞いてみる。
〇私は~思う。といち意見として伝える。

親しいひとに伝えることを想定してみるとこんな感じになる。
感情的な状態でここまで頭が回るかと言われると微妙なので一旦冷静になる必要がある。
目的は、自分の気持ちを飲み込まずにNOという気持ちを伝えることなのでそこをはき違えないようにしなければならないと思う。


他人は変えられないけれど、自分は変えられる


人間には自分で変えられるものと、変えられないものがある。
他人もそのひとつだ。

感情は自分で処理しなければならない。
感情の処理を人に押し付けてはいけない。
自分が肝に銘じていること。

他人の考えや機嫌は変えられないけれど、
自分の受け取り方や捉え方は変えられる。

自分の怒りを押し込めず表に出すことも大切。
けれど、一番大切なのは、「必要な時に必要な怒りを伝える」ことだと自分の中で落ち着いた。

自戒の念をこめて、ここに綴ります。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?