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頑張らないを頑張る

こんにちはモモです。
約1か月ほど記事の更新が絶えていたことお詫び申し上げます。

病気の関係上どうしても身体が動かないときがあり、希死念慮を抱くことも多い1か月でした。周りの方々のサポートによって、パソコンを開くこと、文字を打つことができるというところまで回復しました。

精神科系の病は人それぞれで、私の場合鬱期はベットの上でじっとする日々で、お風呂に入るのも週に3日入れたらいいかなぐらいの生活水準になります。私の場合、「何事からも解放されたい」「なにもしたくない」「何にもとらわれたくない」という思いが強まっていきケータイのSNSは全部消去・PCは絶対に開けない(我が家にはTVはないので、、、。)という状況になります。

いつか家族についての記事を書こうと思っています。ここでは詳しくは書きませんが、私は家族関係が悪い、、、。というかギクシャクしています。それは母親がヒステリック・学歴コンプレックス・体裁1番という感じで、何度も子供心を踏みにじられてきました。ですが、なぜかつらいときは母親に頼りたいと思う。それで今回も鬱期→学校にいけない日々・自分の今の状況(気持ち)などを何を言われるかわからない恐怖よりも、母親なら助けてくれるかもしれないという甘えた気持ちで相談しました。

お察しの通り、、、。
最悪でした。思い返すことも苦しいほどでした。
「思い込みでしょ」と言われ、病院に通院したり、薬を服用したり、カウンセリングを受けたりしている現状を知っているのにそういわれました。

もう私は母親を一生頼らないと決めました。
もう子供心を踏みにじられることはされたくありません。私の病気(躁うつ病)にとってもよくないと自分で判断できました。

それから誰にも頼ることができず、、、この世界で生きる意味を失ってしまいました(鬱期ということもあるかもしれません。)。
その時に支えてくださったのが、大学の学部事務室の方と担当教員の先生でした。何度もご連絡くださり、私はずっと無視をしていましたが、それでも連絡を電話でもメールでもくださったので、電話をとりました。

「大丈夫ですか?ゆっくり休もう」と声をかけていただき、涙がドバっーとでました。
「人生には休む時も必要です。人生に早いはあるかもしれませんが遅いはないんですよ。」と言ってくださいました。
心がスーッと軽くなって、次の日から、少しづつ元の日常に戻るためのお風呂に入る・ご飯を食べる・部屋を掃除するなどのことがこなせるようになっていきました。

そして、アルバイトでしている家庭教師の上司の先生方からも電話を頂きました。たかがアルバイトの、何百人もいる講師のうちの一人の私にわざわざお時間を割いてくださり、お話をしてくれました。
電話をくれた先生は、社会人時代に精神病で苦しみ、パートナーのおかげで家庭教師の教務をするにまで社会復帰することができたと仰っていました。全く同じ症状・バックグラウンド・年齢ではないにしても、人生のどん底や、心の虚無感、身体が自分ではどうにも動かせないような倦怠感を経験している先生の話は今の私にとても響きました。電話越しに大泣きしてしまいました。
その先生が下さった言葉が、

頑張らないを頑張る

でした。
一般的に精神的にきつい、精神病になってしまう人達は苦しい経験・自分を追い込みすぎること・優しすぎることなどがあげられると思います。
精神病患者の方が全員そうであるというわけではないですが、私の場合は、自分が悪いんだ悪いんだと責めることが多い人生でした。先ほども申し上げた(今風に言うと[毒親])母親に愛されない・褒められないのはすべて自分が出来損ないの娘だからだと思っていました。母親だけではなく姉もいますが姉にもそう思われていると思います。そのような環境で育ってきたこともあり、自分に自信が全くありません。
でも、どこかで、こいつらといつか縁を切るために大物になって見返して捨ててやるんだという野心だけはくすぶり続けています。

少しづつですが、元の日常に戻り始めています。大学は休学する方向で進めています。が、正直これからの人生どうなるかが全く分からない不安もあります。「その不安も人生の一部、生きていいれば必ず転換期がくるから安心してゆっくりして、休んで全力で社会から逃げてもいい。」と担当教員の先生が言ってくださいました。

私も、自分に自信がないといえど、がむしゃらに頑張ってきた自分がいることを知っているので、いつか転換期・やりたいことが見つかって人生がまた進んでいくだろうとどこか自分の人生を俯瞰してみています。

もう少し書きたいことはあったのですが、今日はたくさん書いたのここまで。
また更新する日まで


どうか、死なないで

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