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愛人の存在定義
12月のとても寒い日だった。
I氏はママの上客だった。
週に一度は必ずお店に現れては、自分は飲まないワインをオーダーし1時間で帰っていくような人だった。
クラブMで初めて席に着いてから、約半年が過ぎていた。全く脈が無いと思っていたのに、急に同伴をしてくれる様になった。
不思議に思いつつも、紳士的なI氏の振る舞いに、銀座で働き始めた私は好意を持たざるをえなかった。高級なレストランやプレゼントの数々に、彼女でもない自分が受け取って良いものか躊躇し始めていた。10回同伴した日の翌日に電話がかかってきた。
「俺の愛人にならないか?」
当時好きな人も居なかったし、付き合っている人もいなかった。I氏は結婚していたし、数か月前までクラブMのママと付き合っていた事も知っていた。人生で初めてのオファーに戸惑った。だが、私には分かっていた。YESと言えば、違う扉が開く事を。
安易な決断では無かった。それでも、超えてみたかった。海に飛び込む直前に、ひと息酸素を吸い込む感覚と似ていた。
初めてのホテルはマンダリンオリエンタルのスイートだった。翌月に私は店を移った。そして、I氏の落とすお金のままナンバー1になった。
私たちの決まりは次の通りだった。
・プライベートで会うのは月2回
・銀座で落とす金額は別
・お手当は50万円
ゴルフセットを一式揃えてもらい、レッスン費用もI氏が払ってくれた。高級温泉旅館に泊まったり、家族と旅行する時は、その分の費用を補填してくれた。誕生日プレゼントは数百万円の時計だった。
そんな生活が始まって半年立った頃、心の奥にあるモヤモヤが消えなくなっていた。最低な気分だった。なぜなら彼を全く愛していなかったからだ。本当に最悪な女だったと思う。忍耐の限界だった。
別れたい事を告げた。お店が終わって深夜の首都高をドライブした。I氏が私の手を握って泣いてくれた。本当にこの人を愛せたら、どんなに幸せだったんだろう。何度も何度も考えたが、答えは同じだった。もう一度息を吸い込んで、違う扉を開ける事を決断した。
一度開いた扉はもう閉じる事は出来ない。
後戻り出来ない次の扉を探しながら、冷静と欲望の間で息をする自分の存在に辟易する。数百万の売上を無くしても、私はそれが正解だと思った。
様々な感情が入り乱れる街だ、銀座は。だから、皆人形になりたがる。でも、そこに幸福感は無い。
すっと息を吸い込む。水の中に飛び込む。直後は苦しいかもしれないけれど、楽になる。必要なのは勇気だけだ。あとは人魚の様に泳げば良い、自分が選択した世界を。許された者だけに映る世界。後悔しながら、ただただ息をし続ける。そんな女性が銀座には、何人いるんだろう。幸せを求めながら、真逆の方向にいる自分に気付く時、美しくなれる。異なる空気を吸う時、また扉を開けるんだ。もっと美しくなる為に。
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