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雨の日

 女の子はその夜、自分の大切に持っていたものを無くしてしまったことに気がついて、家を飛び出した。

 お父さんはまだ帰ってきていなくて、お母さんはちょうどお風呂に入っていたから、結果的には家をこっそりと抜け出した、ということになった。外は雨で、女の子は半透明のビニール傘を持ち、風を通さない上着に長靴を履いて出ていった。

 その日は休日で、女の子はさっきまで町の図書館で過ごしていた。そして図書館を出たときには、確かに持っていた。だからきっと、図書館と家までの道に落ちているに違いない、と女の子は思った。もし道になかったとしたら、誰かが拾ってそのまま持ち帰ったか、警察に届けられたかどちらかだろう、とも考えた。

 雨が降っているうえに夜ということもあって、探すのは困難だった。
 地面は濡れて、転がった石がキラキラと光っている。女の子はその中に自分の無くしたものがないか、一つ一つ確認した。女の子の足で図書館まではだいたい15分。まだ家のすぐ近くなのに、5分も経っていた。

 雨は少しずつ強くなっていった。

 向こう側からくる大人の乗った自転車が、早いスピードで女の子のすぐ隣を横切る。少し冷たい風と水たまりの飛沫がわずかに女の子にはねた。でも女の子は上着を着て、長靴を履いていたから平気だった。




 図書館まで、まだ半分以上道のりが残っていた時、女の子は少し先に転がっていたものを見つけた。

 遠くから見ると、石みたいにまるまるとしているけど、女の子はそれが石だとは思わなかった。女の子はそこの道に落ちている石やガラクタなんかを無視して、一直線にそこへ向かった。





 それは小鳥だった。

 そして、死んでいる。体に傷は一つも無かったが、雨の粒が小さな体を絶え間なく、濡らし続けていた。雨水はもう羽の奥まで染み込んでいて、女の子のよく知っている小鳥ではなくなっていた。女の子がしゃがみ込むと、小鳥に降り注いでいた雨は止んだ。でも、きっと以前にはふわふわとしていた毛は、もう元には戻らない。風のせいだろうか、女の子と小鳥は傘の下で、再び、少しずつ濡れた。

 女の子のポケットにはガーゼのハンカチが入っていた。特にお気に入りというわけでもないが、ずいぶん使い古したハンカチだ。
 女の子はさっきの自転車に乗ったような人が、気がつかずに轢いてしまったらどうしよう、そしてそのまま跡形もなく、この体が風化して地面に紛れてしまったらどうしよう、と心配した。それはすごく当たり前なことで、つい最近も、よくわからない虫が道端で死んでいたのを、女の子は気づいていて、素通りした。それは女の子だけじゃない。女の子が一番尊敬している先生だって、2度と振り返りはしないだろう。そして、今までそういうことが繰り返されてきたはずなのに、今回ばかりはなぜか目を逸らすことができなかった。
 女の子はハンカチで、その小さな体を包んだ。持ち上げると想像以上に軽くて、ほんとうにこんな体で生きていたのかと思うほどだった。女の子は上着のジッパーを少し下げると、自分の上着に隠すように、ハンカチに包まれた体を片手で抱えた。

 女の子はもう、自分の無くしたもののことなんか忘れていた。
 それよりも目の前に死んでしまった命があることのほうが重要だった。

 小鳥の人生について、女の子は何も知らない。どこで生まれてどんな旅をして、どんな風に終わりを迎えたのか、そんなこと少しも知らなかった。だけど、きっと小鳥には親や兄弟がいて、空を飛び回って、獲物を捕まえたり、木の実を食べたりして生きていたのかもしれないと女の子は思った。そうしたらどうしてか、悲しくなった。友達でもないし、同じ人間でもない。もしこの小鳥が死んでいなくて、木にとまっていたら、女の子はこんな気持ちにならなかっただろうし、もしかしたら、もう大切なものを見つけていて、帰ることができただろう。

 女の子がそれを持ち帰ると、お母さんは少し引きつった顔をしながらも、次の日庭に埋めようと約束してくれた。次の日、とても晴れた日の昼、女の子はお母さんと一緒に小鳥の死体を庭の隅に埋めた。近くに赤くて真ん中が黒っぽい花が咲いていた。それが何という花なのか、女の子にはわからなかった。
 そして女の子は、無くしたものも、ちゃんと見つけることができた。

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