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ジュンコさんはドトールで小説を書いている

 ジュンコさんはドトールで小説を書いている。夏休み中のフリータイムに、ドトールに行ったら、ジュンコさんがパソコンでもタブレットでもない小さなキーボードがついている機械で、忙しそうにパチパチ文字を打っていたからだ。
 第一発見者のぼくは、なんとなくジュンコさんの隣にすわって、その機械の画面を見た。画面は白黒で、黒い背景に白い文字が浮かび上がっていて、縦書きの方向に活字がびっしり詰め込まれていた。やっぱりパソコンのようでもあるが、シンプルすぎる。
「フリータイムなのに、わたしについてきてナンパしようとするなんて、良い度胸ですね。」
「別に、ナンパしてません。この機械は何ですか?」
 ぼくは、画面に指さして尋ねた。答えは返ってこなかった。するとだんだん、ジュンコさんの指の動きがゆっくりになってきた。顔を見上げて表情を見ると、大きな目を泳がせて落ち着いていない様子。
「これは、ポメラというのですよ。少年。」
「ポメラ」
「うん。ポメラ。」
 なんだか怪獣の名前のようである。けれどそんなに強そうではないから、妖精といえるかもしれない。
「ポメラで何を書いているのですか?」
「それは深い質問だね、少年。」
「はい。」
 ジュンコさんは、もうすでに飲みきってしっまった何かの飲み物が入っていたカップをあおった。「お水はいりますか?」と聞いてあげたくなったが、いったん席を立ってしまうと、せっかく褒めてもらった質問の答えを取り逃すかもしれない。
「小説。というものを書いている。」
「小説」
「ふむ。」
「図書館とか、国語の教科書に載ってるあれ?」
「そうだな。けれども、それはだれかが書いた小説だ。わたしは自分で小説を書いているのですよ。」
 ジュンコさんはまた、空のマグカップを手に取ろうとしたがそれが空であることに気がついたようで開いた手を閉じて机の上に置いた。
 ぼくは何か不思議なことを聞いたような気がして、少し黙って言葉の意味を考えていた。そして、その不思議さを言い表すためにはさっきのジュンコさんの台詞を注意深く思い出して、それを言葉で質問してみなければいけない。 ジュンコさんは、またポメラのキーボードをパチパチと打って言葉をつなげていった。一番大きなエンターキーを打つと改行されて、親指で一番下の真ん中にあるスペースキーを打つと、スペースが入力される。それはまさに、教科書に書かれているような小説の段落が生み出されている光景だった。
 国語の時間に先生に言われて小説の段落にまる1、まる2と数字を入れていったことを思い出した。ここからここまでが、第一段落、そして次が第二段落……とひげを生やした国語の先生が言っているとおりの番号を振るのだった。それは、新学期の時などに、新しい文章に取りかかる際、一番最初にしなければいけない作業だった。
「ジュンコさん」
 ぼくが名前を呼ぶと、ジュンコさんはまた大きな目をぱちくりして泳がせた。ポメラの上を舞っている指の動きがまたゆっくりになった。
「ジュンコさんは何で小説を書いているの?」
 ジュンコさんの手は、ショートカットの髪をくぐり抜けて首の後ろをかいた。首の後ろがかゆくなったと言うよりかは、首の後ろに何かを発見して指がそれを堀だそうとしているかのようである。ジュンコさんの目や、口、手はそれぞれ別の命をもっているようにすべて生き生きと忙しそうに動き回っている。どんなときも型にはまらずに予測不能の面白い動きをする。
「それもまた深い問いだな。少年。」
 ジュンコさんはポケットからハンカチを取り出して、前髪を持ち上げておでこを拭いた。
「少年のためにわかりやすく言うと、普段言葉にできないことを、小説なら言葉にできるからだよ。そういうことはないかい? 少年。」
「言葉にできないこと?」
 ぼくには、見当がつかなかった。
「君も小説を書いてみると良い。物語にして、自分ではないだれかに言わせることで、自分のことも、身の回りのことも、世界のことも、考えたことも表現できる。それはとても自由だよ。」
「うーん」
 ジュンコさんは得意げになって、ぼくの表情を見た。
「じゃあ、なつやすみの自由研究、小説にしていい? ジュンコさんも手伝ってよ。」
「はぁ?」
 急にジュンコさんは、喉が壊れたような声を出した。それに喉がびっくりしたのか、ジュンコさんは口を押さえてしばらく咳き込んだ。ぼくは、申し訳ない気分になりながら、ジュンコさんの曲がった背中を見ていた。
「まあ、悪くないテーマだろう。やってみなはれ。」
「うん、わかった。」
 そうして、僕とジュンコさんの小説を巡る研究が始まった。

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