ここに、わたしは note1

  note1
 もしこのわたしの手に、にぎられた一本の棒がなければ、どうやってこの、ただ白い空間を進んでいくことができるのだろう。目のくらむような白さと遠さ。わたしは、ひたすら足元だけを見る。手を動かして、棒の先に取り付けられたモップで、地面を撫でる。数をかぞえることも忘れてしまった。考えることも忘れてしまった。ただ体で感じるためだけに、手で力を入れる。
 ここには正確な名前はない。かつて、どこかにあった場所として、人々のあいだに記憶されている。しかし、そこはもうこの宇宙には存在しない。壊されたのではなく消されたのだ。人間が生み出した兵器、空間そのものを消し去る空間兵器に。
 人はそれが失われたという、確かな感触によって、悼むことができる。悔やむことができる。悲しむことも、涙を流すこともできる。しかし、それがほんとうに何も残さずに消えてしまったとしたら、どうすれば良いのだろう。わたしたちは、感情の拠り所を喪ってしまうのではないだろうか。
 決して忘れてはいけない。子供の時からわたしたちは、この白い場所に連れられて、その白い床の上に花を置いた。置いて、わたしたちの合わされた手が下されるのを見ると、今、わたしがしているのと同じ仕事をしていた大人が、サングラスの奥でほほえんで、礼をするのだ。あの人のように、静かにきれいな礼をできるようになっただろうか。この白い床が、いつの間にか、わたしを変えたのなら、どのようにだろうか。
 一日中、白い床をみて、日が暮れる時、サングラスを外して色のある空を見る。オレンンジ色の空の色が映る。いつの間にか暗くなる。仲間たちがぞろぞろと基地に戻ってきて、支度をはじめる。わたしと同じようにこの空が好きで仕事をしている人はほとんどいない。ただ、単調で、給料が普通の清掃と比べて、はるかに高い、という理由がほとんどだろう。わたしも初めは、生活のためにこの仕事を選んだ。
 生活、と言っても、これもまた床の上の景色のように単調なものだ。朝起きたら野菜を切り、味噌汁を作る。炊いておいた白米を食べる。
 野菜は一週間ごとに、生協が選んで届けてくれるもので、冷蔵庫に残っているものなら、なんでも良い。不思議と飽きることはない。献立を考える必要もない。はじめのほうは、マーケットに行って選んでいたが、それすらも心が落ち着かない原因になって、嫌だった。掃除をしている時に、今日の夕食のことを、いつの間にか考えている自分が、嫌だった。
 掃除をしている時は、何も考えない。何も思わない。考えが浮かんできても、すぐに、呼吸に意識を集中する。それができないと、一日中、ただ白い床を、見つめ続けることもできない。多くのものを考えた日は、疲れが大きい。たくさんのものを考えたから疲れたのか、疲れているから雑念が多いのか。
 家と仕事場を行き来する。それだけで良いような気がしている。疲れてよく眠れる。朝も起きられる。ただ白く美しい場所に行くと、人間を超えた大きなものに関わっているような気がする。わたしの日常は回っている。
 眠れない時や、時間があるときは日記を書く。その時間だけは、わたし自身に、考えることを許す時間だ。一日の間に起きたこと、考えたこと、読んだ本の感想など、なんでも良い。ふと見上げてしまった空の雲が何に見えたか、ふと聞いてしまった誰かの話した言葉、それらを書き止めておくことがある。
 書いていると、書きはじめた時とは、別のことが浮かんでくる。浮かんでくるというより、文章になって表れてくるという感じなのだ。ペンを持った手と、頭と紙との境界がなくなって、融けあってくる。文章が勝手に進んでいく。書いたものに、わたしは支えられていると思う。眠れない時は、何度もこうして夜を過ごしてきた。誰にも読まれていないノートが何冊も部屋の隅に積み上がっている。
 万年筆は本当に一万年使えるものなのかもしれない。掃除のホウキが折れたことは何度もある。ホウキは折れたらそれまでだが、万年筆はキャップにひびが入っても、接着剤で直して使っている。
 仕事をはじめて、最初の給料で買ったのだった。文房具屋に、たまたま立ち止まって買った。欲しい物が思い付かなかった。ガラスケースに入ったペンの、金色のペン先がきれいだった。お金を払ってそれを買った。その時は、まだ、ただ掃除をすることに慣れていなくて、いつも頭と心を無理に働かせていた。ペンを買ったのを機にノートに手書きで書くようになった。いつのまにか、家の中から電子機器が少なくなっていった。
 初めてのペンで、誰に命じられたわけでもなく、文章を書きはじめたとき、とてもおかしかった。文字は、見たこともないような歪みかたをしているし、恥ずかしさと戸惑いで何が起こっているのか、わからなかった。
 書きはじめたとたん、書いたこと自体にわたしは迷っていた。誰がこれを読むのか。書くことに何の意味があるのか。書けば書くほど期待が湧き起こった。同時に、わたしひとりでは抱えきれない何かが、書くたびに積み重なる気がして、辛かった。
 薄い、小さなノートに書き続けた。一冊が終わるたびに一冊買った。万年筆のインクも買う。それがほとんど唯一、わたしが街に出る機会になっている。
 街の空にも、あの白い場所が持つ静けさが、そのまま続いていた。
 この仕事に慣れたことはない。毎朝わたしはコーヒーを飲む。苦味と匂いが、緊張をかき消してくれる。やがて穏やかな覚醒と、眠気が混ぜあわされて、ひとつのことに集中するのに、ほどよい精神状態になる。この仕事に、飽きたことはない。ただ毎日飲むコーヒーの味には飽きる。豆を換える。淹れ方を変える。しかし変化が大きすぎると、余計なことを考えてしまうので、好きなものをずっと飲み続けている。
 ホウキを動かし始めたら、関係ない。暑さも寒さも。雨も日差しも。ただその時の自分の体で、白い床を見つめるだけ。
 どうしてわたしが、そんな仕事をやり遂げられるようになったのか、うまく説明することができない。はじめのうちは他の人より早く力尽きていた。体力が足りないのか。そうではない。長く働いていた人がとつぜん辞めてしまうこともある。
 慣れも熟練もない、ただ同じことをしつづける仕事を、できる人とできない人がいる。不思議だ。基地では常に当日採用枠を設けている。その日に初めて仕事をして、一日中ホウキを動かし終えるということもありうる。
 だからわたしは、今日、それをやりとげられるかわからない。今日こそ、自分がこの仕事を手放す時かもしれない。
 それでもわたしは、気がつけば、また白い場所に向かっている。いつもの時間に目が覚め、コーヒーが飲みたくなる。他の何かをしようとしても思いつかず、服を着替えている。わたしの頭ではない。体がこの仕事を覚えている。
 偉大なことをしているわけでもない。役に立つことでも学びのあることでもない。
 だから何も考えなくなった。
 ある時、ある場所で、かつてそこにあったあるものが、この宇宙から所在を失ってしまった。
 奪われた? 消された? 失われた?
 どの言葉も正確ではない。失ったと思えている限りは本当には失っていない。それが「ない」ということがわかっているのだから。しかし、あの場所が、なくなったときに、わたしたちはそのことにすら気づくことができなかった。
 わたしたちの言葉が、もともとそうした喪失を言い表すことが、できないでいる。言葉は、少なからず、わたしたちの共通認識やこの世界にあるものを指ししめすために作られたのであり、どうやっても指ししめすことができないものを、もうこの世に存在するといえないものを、うまく言い表すことができない。
 そこはかつて、ある名前で呼ばれていた。しかし、もう一度その名前で呼ぼうとすれば、まちがいになる。この白い場所は跡地ではなく、新しく作られたモニュメントである。「跡」とよべるようなものも、残っていないのだ。
 あの白い床に絵を描いてみたらどうだろう。わたしは前々から思っていた。あんなに綺麗な真白なキャンパスがあるなら、画家なら誰だって、筆を走らせたいと思う。
 しかし、他の仲間を誘ってみたら、「やめなよ」とか「それって、犯罪じゃないの」とか「意味ないよ」とか、結果は芳しくなかった。わたしの仲間だけが、そう思っているのかと疑った。作品でよくあるように、ある人の評価で一気に作品の意味が覆ることもあるし、周りに陥れられて、本当の価値が見えなくなる時もある。
 とりあえず、まあ、作品をこの世に存在させなくてはならない。手を動かそう。わたしはそうやって、あの場所のことを調べたり、そこに描く絵を妄想したりした。
 床に実際に触ってみると、その質感に感動した。触れるまでに、いろいろ、もんちゃくはあったのだけれども。
 まずは、あの場所を管理する基地に電話をかけた。
 返事は「すみません。そのような場所ではございませんから」というものだった。
 わたしはもう諦めて別の作品のことを考えようとした。一週間ぐらい過ぎて実際に行ってみようと思った。頭の中に浮かんだ白く光る床が、どこまでも続く光景が消えなかった。
 一度もその場所に行ったことがない。それまでは、学校の歴史で勉強する、概念としてわたしたちの心の中にある場所だと思っていた。
 だから実際にその地を踏まなくても、悲しいことを超えた悲しいことがそこで起こり、絶対に忘れてはいけない何かがあるとわかっていた。あくまで信条のように。心の中でわかっていた。
 わたしがしたいと思ったことは、その固定された心の中の景色の質感をほんとうに確かめることだった。
 概念に色を塗ることはできない。法則性を使って、描くことはできない。筆で何かを描くことは、その毛先で描くものに触れるということだ。触れた時点であらゆるものは実際に、そこにあるものになる。絵を描くとは文字通り「絵」を描いていると思われがちだが、実際は完成された絵は、私が体験してきたものの一面でしかない。描くということにある質感や、時間の積み重なりをふくんで、わたしは描いている。
 基地にたどりついたわたしは、受付の人に、絵を描きたいと伝えた。しかしアートや意思表明をすることは、禁じられているという。わたしは、引き下がる代わりに、基地のエントランスに訪れる人をながめながらぼんやりしていた。人々は対照的に、黒い服を着て、色とりどりの花を持って、来客用のカウンターに置いていた。
 ずっと座っていると、カウンターの人がわたしに声をかけて、見学なさりたいのなら、明日の朝、募集をしている日雇の清掃員をされますか、と言った。そうしたら、関係なくても一日中床の上に入れるらしい。
 わたしはそうしてあの床を踏むことになった。
 朝、基地に行くと、黒く焼けた肌をした人が何人も並んでいた。わたしは、長袖の制服とサングラスを渡され、更衣室に行った。着替えていると、わたしのバディだという人が声をかけてくれた。
 戸惑って、わからなくなっているわたしに、ただホウキに集中して、歩いていれば大丈夫、という。わたしは、よくわからないままうなずいた。何を使って掃除するのか、想像もしていなかった。手渡された、黒い棒。つなぎ目のない曲線のラインが、先端にかけて膨らみ、膨らみが何本もの毛の束に分かれていく。滑らかなラインは舟を漕ぐオールのようでもある。
 更衣室を出ると、広い冷たい空間が広がっていた。白い壁がわたしたちの正面にある。正面からの光が、空間を照らしている。わたしたちの向かう先につれて、白く明るくなり、穏やかなグラデーションがわたしたちを包む。バディは、そのまま、壁に向かって歩く。私も歩く。不思議な壁だった。現実に見たことがあるどんなものの質感とも似ていない。触れたら柔らかそうだが、もしかすると固くて冷たいかも知れない。
 段差があり、降りると、床が柔らかくなった。さらに歩いていく。突然に、視界が明るくなって、わたしを包んでいた部屋からわたしは出た。
 白い壁だと思っていたものは、壁ではなかった。やわらかい白い上り坂だった。わたしは、ホウキを握りしめて、慎重に登っていく。青い線が上から現れる。進むと、青と白がぶつかる線が降りていく。坂が終わり、わたしは白い床の上に立っていた。床は、遠く空まで続いている。空は、ただ青いまま、どこまでも続く白い床と対立している。線は地平線だった。床を見て、空を見る。ここに、わたしはいるのだ、と理解するのに時間がかかる。
 この白い地を見て何も持たずにここを踏んだら、どうなってしまうのだろう。バディに付いていくように床を掃く。これで、かろうじて、この孤独と静けさに、圧しつぶされそうになる心を、保つことができる。
 これをどこまでも行ったらどうなるのか、とバディに聞こうとした。すると、仕事中に話さない方が良い。と言われた。わたしは気にしないことにして、手を動かし続けた。やがて、床とホウキの毛先しか見なくなった。
 気づけば一日が終わっていった。白い光は太陽の傾きに合わせて、穏やかになっていた。手を動かしていた時のわたしは白さのなかに融けきって、その変化に気づかなかった。
 宿泊したホテルの夕食がとても美味しく、泥のように眠った。目覚めた時には、もう一度基地に行こうかと思ったが、もう募集の時間をとっくに過ぎていた。ベッドから降りて、ホテルの柔らかい床を踏むと、昨日の白い床の感触を、わたしの足が憶えていた。
 ホテルの絨毯はあまりにもやわらかく、わたしのおそるおそる固く力んだ足の裏をからかって、くすぐっているかのように思えた。
 白い部屋。窓が一つだけある。世界が息を止めてしまったように静かだ。窓には、何もはめこまれていない。青い空の色が代わりに四角い輪郭を埋めている。
 何もない。何もないが、確かに何かがある。何万回も繰り返した、まどろみから覚醒に至るあの感覚とともにわたしは部屋から出る。ドアはない。白い地平線と空だけが見える。
 ここから遥か遠くまで歩くと、おそらく海があるだろう。あらゆるものがひしめく海が。この地に満ちている気配は全てその海から来る。遠くからさざめいている。わたしたちには想像できない星々の働きによって、満ち引きを繰り返している。
 目覚める。わたしは何度も、何度もここで目覚める。形になる前の思考を、わたしは形にしたい。手に取りたい。
 あなたの夢を見ていた。あなた。あなたはどこに居る。

 遠くからの風がつめたい。曇り空が続いている。白い床が続いている。その間には何もない。空気はある。光はあるかもしれないが、何も見えない。場所だけがある。
 わたしはしばらく見つめて、こんなに景色を見ようとするのは、珍しい、と思った。すぐに慣れた動作に体を置き直す。あたたかくなる。わたしは、知らない。だから考えるのを止める。目の前だけを見て手を動かす。
 手は偉大だ、と思う。この白い床をどこまでも掃いていくのも、この手だ。そして初めにここを、この世界に造ろうとしたのも手だ。
 眠れなくて、寒くて、それでも起きなくてはいけないから、コーヒーを淹れる。ポットに水を入れ、湧くのを待つ。店でペーパードリップ用に挽いてもらった粉を、計量スプーンで掬う。ほのかに甘く、香ばしい香りがする。ドリッパーにセットしたフィルターに入れる。粉は、多ければ多いほどいい。
 一人分、マグカップ一杯分のお湯が沸く。ずっと温かさに包まれていればいいのに。そういう甘さに気づかせてくれるのもこの季節だ。ようやく、私の体の中にも人間らしさが宿るようになってきたのだと思う。どうだろう。今になってはじめて、人間というものを見つけた気がする。季節は回るたびに新しくなっているのだろうか。思い出したように新しい。
 くり返して、くり返して、わたしの中で淀む罪悪感のようなものを、くり返してまた塗り替える。白く、白く、塗り替える。
 雨が降った日は、基地は休みだという。わたしは、心の中でむしろ意気込んでいた。雨の中ひたすらに手を動かす自分の姿を思い描いていた。
 それでも次の日は来たら良いですよ。
 と電話口で受付の人が言った。雨の日が好きなようだった。歩きやすい靴を履くこと。長時間歩くから。あの場所に長時間居るためには歩いていないと、やっていられない。眺めていたら立つのに疲れる。足腰のトレーニングとマインドフルネス。体と心をうまく落ち着けないと居られない。一日、十五分でも良いから目を閉じて、何も考えない時間を作る。小さな頃に学校でよくやらされた訓練だった。あの時間、先生にばれないぐらいの薄目で、クラスメイトの背中と、ぴんと背筋を張って座る先生を見ていた。机の木目と、いつも何かを気にしていたことを思い出した。
 ただ何かを。ただ何かひとつだけのことに集中する。絵と向き合うときも同じだ。輪郭や筆跡がわたしに語りかけてくる。絵の色がすなわち心の色になる。心が、言葉を失った時に、はじめて流れ出してくる。絵肌に刻まれた、ひとつひとつの質感がまるで生き物のように、わたしに迫る。
 白い。
 何かを失った色。白ではない。白があるのではない。何かがそこにはない。家がない。人がない。空気がない。匂いがない。音がない。朝も昼も夜もない。それは何かを失った色としてそこにある。
 光に囚われた影が、わたしと同じように、床にぽつぽつと置かれている。わたしは仕方なく足元を見て、色のつかない筆で床を掃く。不在という色で、床を塗る。
 異常も含めて日常なら。わたしというものは、日常の中に取り残されているに違いない。異常が起きたその瞬間、わたしはその時、ぽっと生まれる。朝、目が覚めることのどこが必然なのか。雨の日は体が底から落ち込む。ずっと寝ているだけで日が終わる。動かなくなった体は、もう何も求めない。ただただ呼吸をして腹が減る。腹が満たされては呼吸をして、腹が減る。
 わたしにとって書くことが必要なのではなく、書くことがわたしを必要としている。この場所がわたしを呼んでいる。そうでなければ眠れない夜に何度も身を起こしてペンを持ち直すはずがない。苦痛であるのに、わたしが心の傷をこの誰のものではない言葉に、捧げるはずがない。
 書きたいのか。いや、わからない。全くわからなくなってしまったんだ。
 矛盾が起こるところまで辿り着いて、そこから先は、わたしがこの肉体で、歩き始めなくてはいけない。

 一日、一日、一日、いちにち。いつの間にか好きになった野菜と、ごはんと、コーヒーを飲む。いつの間にか、そうしなければいけなくなって、わたしは頭を働かせる。
 わたしは短い髪を少し風に揺らして、その目を細めた。あまりにもまぶしかったから。わたしはそれを見て、あの瞬間を思い出す。
 正方形に切り取られて空間が、真っ黒になった。光さえ、音さえもなかった。
 わたしの目がおかしくなったのかと思った。その時には、また光があふれて、目の前が光った。
 あの時、奪われてしまった光と時を取り戻すために、この場所はあるんだよ。わたしは一目でわかった。大人になってからまた、ここを訪れた時、また白い光に迎え入れられて、とてもとても痛かった。
 何も誰も、語ることができない傷に対しては、何も語らないことで語るのだと。強く、鮮やかに教えられた。だから、大人になったわたしは、この場所のように、白く、慎ましく強く黙っていようと誓った。それは祈りのようだった。
 書くことで得てきた少しばかりのものを元手に、いつもこの場所のそばにいられる住処を作った。これで安心した。
 ペンを捨てようかと思った。だが、ペンは捨てられる前に、一度、壊れていた。一番古い、一番安い万年筆だった。ペン先は、確かに強かったが、インクのカードリッジを変える時、ペン身にひびが入った。それでも書きつづけたいと傷を残したまま、接着剤でくっつけたのだ。ひび割れた跡は、透明だった。いままさに、壊れようとして、まだ壊れないペンで書いているようだった。
 あいにく何を失ったのか。よく覚えていない。日記も、書きかけの物語も全部どこかに行ってしまったのだから。
 色がない世界では、視覚とは別の感覚が役に立つ。一歩ずつ足を前に出すたびに、床が、そこにあると知る。見ただけでは本当にあるとは思えない無限の足場を、体はちゃんとその質感を覚えて、前に体重をあずけることができるようになる。
 わたしはかつてここだった場所で、物語を書いていたようだ。棚に収められているノートを開いて、その文章がたどる道と、ペンと紙がふれあって、こすれる音を、聞いてみようとした。けれども、本当にあったことだ、と思えなくなって、物語から名前をひとりずつ消した。
 わたしたちが通じあえない内部の世界を持っていること、それほど美しい事実はない。その世界はいつも世界の中で感じあう別の内部と共鳴していて、ふるえたりこわれたり、あるいは痛んだりする。そのまま取り出すことはできないけれど、そのふるまいをうまく取り出すことができれば、あなたにもきっと、わかるだろう。あなたもきっと感じている、と信じることにしたから。
 ホウキを手に持って転んだとき、わたしは空を見せられた。回転して地面がわたしの背中を抱いた。痛くて体が壊れるほど強い抱擁だった。わたしは、泣いていた。その時まで続いていた集中がはげしくゆるんで、あらゆる心の動きが空と地面に吸いこまれた。それらふたつの大きなものと同じ大きさになった。
 こんなに愛されて、いたのに、忘れて、いたんだ。透明な、わたしを動かす鼓動が動いていた。大地を伝っていく波のように、透きとおったしずかな鼓動。ずっと聞いていた。
 いろいろなことを忘れてしまったわたしは、カラーペンをポケットから取り出して、転んだ場所に印をつけた。ちょうど横になって寝た、わたしのおへそがふれるところに。
 空はぽっかりと黙って青かった。光があつまってぼんやりと視界の端が白くなっていた。ここで寝たら死んでしまうかな。わたしは想像した。ここは、生きる場所ではない。生きるべきわたしと、そうでないわたし。そうではない世界がここに広がっている。立ち上がってバディを追う。走る。床が一層やわらかく、わたしの足を受け止める。
 夜のこの場所は、何もない暗闇の壁が、押し黙るようにうずくまっている。どうして夕方に帰らなくちゃいけないのか。美しい空の光を見ながら、疑問に思っていたが、暗くなってしまってからじゃ遅いからだ、とわかった。ライトで照らしたとしても照らし出されるものは、均一な床しかない。ただ遠くから見てもわかるように、基地の屋上には灯台のようなランプの赤い点が見える。
 しばらくのあいだ、この場所のまわりに暮らしてみようと思った。街には背の高い建物はない。作り変えられたのは、街もそうなのかもしれない。小ぢんまりとした家が、いくつか並んで、その人たちが必要とする分だけの商品があって、あとはわたしのような部外者を一時泊めておくところがある。といっても、もとからいる人には、このあたりのことを知っている風には思えなかった。話を聞こうとしても、はじめから場所などなかったかのように普通に暮らしている。その無反応という反発に、わたしはなにをすればいいのかわからなくなった。
 疲れ切った体は次の日、起きることができなかった。
 知りたい。と思っていたのに、基地に行くとやはり何もなかった。白い場所に無条件で入ることができるのは、申請した人か、遺族のみらしい。わたしは、見学申請をして、一ヶ月後に予約を取った。日雇い清掃員になるのではなく、素の自分で、そこに立ちたかった。でも、直接に床に何かを描くという考えはあきらめなければいけないようだった。
 ポケットを探ったが、ペンがなくなっていた。
 寒いと余計なことを考えなくなって眠るか、書くか、食べるか、ということになる。食べすぎたらあとで痛い仕打ちがあるので、机に向かって書こうとする。書き始めたら眠くなる。
 白い床にずっとむきあっていると、四つんばいでも疲れるし、座っていても疲れるし、寝転がっても疲れる。立って歩いているのが一番良い。わたしにはここしか、行くところがなくなってしまった。
 書くための時間。たとえば、ぼーっとする、散歩をする、寝る、空想する、人の話をきく、それら書く以外の時間。それがないと、書けない。生まれたままの人間は書くことを思い付かない。言葉と紙のやりとりの中で、夢を思い付く。自分の考えを永遠にできたら良いという夢を。ただ、夢は醒めてしまった。世界から、完全に何かを消し去ることができる技術によって。
 わたしは機械を使って書かない。この手で書く。体は、もろくて、重く、すぐ痛むけれど、それでも手で書く。言葉として拙いかもしれないが、書くこと自体で、語る。知っていることはひとつしかない。書くしか、ほかにないということ。
 はじめから全て書きなさい。わたしの目の前で文字がひとつずつ消えていく。ひとつずつ泡のように消えていく。電子機械で書かれた文字は、そうやってすぐ消えてしまう。そのころからわたしは、その機械で書くものは全部嘘だと思うようにした。何も考えずに書いた。求められて書くことはいくらでもあった。書かなければいけなかった。
 紙を買って、ペンを持って書き始めたのは、誰かから、書きなさいと命令されなくなってから。はじめてペンを紙に下ろした時、あまりの豊かな感触に目まいがした。一文字一文字書くたびに、わたしの手が受ける感触。キーボードを打つのとは違うリズムの動き。線は頼りなく波打って、ちゃんと文字にならなかった。
 何を書いたのか。書こうとしたのか。全く憶えていない。ただ書いた時の触感を憶えている。それから、手で書く時には、言葉よりも肉感を頼りにすることにした。何を書こうか。考える前に、ペンを紙に当てるのだ。自分の体は紙に対してどのぐらい垂直に立っているか。手は紙の固さを受け入れるほど、やわらかく曲がるか。書くことは、逆立ちして手で歩くようなものかもしれない。足で筆を持つことはできないが、手が足ほど強ければいいのに、と思う。ペンを持つ手はひとつで、しかも弱い。飛び跳ねることも、速く走ることもままならない。するとすれば、一文字ずつゆっくり書いていくだけである。
 何を書いてきたか。ふり返ってわかる。
 白い場所を歩く時。わたしは何も持たない。残された者として、ただ見る。目を閉じて歩いてみると、なんとなく風景が見えてくる。散歩が好きだった。はじめて行った時のことを憶えている場所。いつも暮らしていた場所。目を閉じれば、ちゃんとそこに来たような気がする。
 まるで体が透明になって、道と木々と家々を通り抜けて、浮遊しているような気分だ。お気に入りだった公園のベンチを見つけても、座ることはできない。家の中に入って二階に上がり、くつろぐことはできない。ただ、景色と音を想像する。
 誰にも何もいわれることはない。足が疲れたら帰ってくる。思い描いた物語の種をわたしはいつか、紙の上に書くだろう。書かれた物は、誰が読むのだろう。よく考えていない。何を書いても、書かれた白い紙は動かない。ゆらゆらとくずれそうな文字が並んでいる。少なくともわたしは書きながら読んでいる。それで良いのかなと思う。
 わからなくなったらまた筆を当てれば良い。横たわるように降るように、歩くように、撫でるように。

 書く。何を書いているのか。自分の外側にたずねると変になりそうな気がする。自分が今、紙から受けている何か。それはわたしにしか、感じえない物だ。
 だからそれを受け取っているわたし自身がまず、何かを書かなければいけない。いや、そうやって、とりあえず書かれるものは、まだ名前もない何か。何かともいえない。書く、ともいえない。
 意志することもできない魂はしずかに横になる。空白が何かを生み出すことがある。わたしは、裸足でこの地を踏む。誰もいない。時も流れない。目を閉じると、自分の中の脈動がみえるようになる。そこで、時間はわたしの体内と世界で、ひとつになる。
 ひとつ。想うことは、ひとつ想像することになる。ひとつ歩けば、ひとつ言うことになる。
 駆け、走ると、鼓動が早まる。さらに走る。走る。景色が変わらないから、目を閉じる。息が羽ばたくように胸を上下させる。足が、反射的に地面を蹴る。足が踏み、地面が応える。足がそれに応える。精神にも肉体があり、肉体にも精神がある。
 ここで、誰かと出会うことがあるだろうか。
 あなたは、白さに目を細めて、また風の匂いをかぐ。わたしは、ほこりだらけの部屋で、ずっと言葉を探していたから、それがどんな匂いかしらない。夕ごはんの匂いがする。あなたは言った。帰ってこれるってすごいね。わたしたちは知らない町を行って、道に迷った。行きたかった公園にはたどり着かなかった。道はせまく、車ばかりがとおるようになり、人は行けなくなっていた。それでわたしたちは、たどり着く前に逃げた。橋の上で、わたしたちはいつも暮らしている町をみた。きらきらと、窓のあかりが、銀河をつくっている。何光年もはなれた、星のあかりのかわりに、わたしたちは日常のあかりをこうして手に入れたのだ。夕焼けがまだ残っている。あなたはまた自転車に乗って、橋を下る。長い長い橋を。大きな川にかかる橋を。その川は、いろいろな想いはもちろん、さまざまな汚れや、言葉や、血や、もうこの世には存在できないものたちが、きっと一緒になって、流れているのでしょう。
 そう、形あるものが欲しかった。わたしは、強く手を握りしめる感触、くやしくて涙が出る熱さを思い出した。涙を我慢するのが上手くなっただけで、泣いてみたくなった時はいくらでもある。でも、泣いたことはない。その代わり、いつのまにか勝負すること、競争することはやめて、自分ひとり、紙に向かいあっていた。
 昨日からわたしが今日に旅立つ時、太陽がまたはじめから昇った。天が動くように、はじめの世界の人は見えていただろう。ただれるようにあふれる言葉よ。はじめての小説を、誰かから教えてもらった言葉で書きはじめる。他のものは書く気がなくなるぐらい、このひとつに捧げている。人と話すことはいつもずれている。わたしはこすれて、ずれて、いつの間にか変えられている。いや、書くことも同じか。紙にぶつかって、当たって、もう、書く前の自分はなくなっている。外から時間を告げる鐘の音だけが、限界を知っている。
 掃除をする人たちの体力と集中力、それらはそれぞれ自分に任されている。今日は、調子が悪い人が多いのか、直線を掃いている途中で、引き返す人と多く出会った。中には呆然として、掃くことをやめている人もいた。わたしは、自分がどこまで遠くに行けるのか、試してみることにした。いつのまにか、収入の分だけ掃けば良いと思っていたから。
 初めて、自分がここに足を踏み入れた時、はじめて昨日より長い時間、掃き続けていると気付いた時、知らない町に辿り着いたような感覚を覚えたものだ。自分がいつも知っていると思った町が全てではなく、道はつながっていて、さらには道の向こうに川や別の町や、山や、高い塔、工場や海がある。景色は展開していき、わたしは想うかわりに想わないことに気がつく。だから鼓動や、帰りたいと言う思いや、いつも心の中にあって消し去ることができなかった誰かへの憧れが、もう一度みえてくる。砂にまみれた心の中の対象物が優しく洗われていく。寒さなど平気だったのに、いつのまにか寒い。ずっと食べていないことに気づく。道を知らないことに気づく。迷っている自分に気づく。我に返る。その時、わたしは帰りはじめる。どれだけ先に進めるか、冷酷に判断する。
 直線状に掃かなければいけない理由はない。区画を割り当てられる時もあるが、どこも同じだ。思い当たるまま、ゆっくりと曲がりながら掃いてもいい。それこそ、描きながらでも。あとに残るのは透明な床の上の空気だけだろう。
 何も残らないのが良いと思えてきたのは、この頃のこと。この何も生産しない、ゆったりした仕事と、動き。じっとしていれば、世界の方から、動き出してくるから。
 ここでも、じっとしていれば白い大きな床がゆっくりと動き出すのがわかる。白いカンバスをじっと見つめていると、カンバスの方からわたしを求めてくる。わたしの手を、わたしの筆を、わたしの色を、わたしの輪郭を。だから、はじめから、描かれるものを知っているのだ。
 求める白。わたしは太陽を、光を、浴びせることにして、その白の前から立ち去ることにした。別の何かを探そうとしたけど、こういう時は、何も見つからないと知っている。部屋を出た。空が不完全に区切られていた。何も求めたくない、という気持ちが晴れるのは、あそこだけだ。だから、人はたまに、あの場所を知ってしまった人は、一層、あの場所から離れられなくなる。わたしは、何も描かない描き方におそろしい魅力を感じる。
 色をつけて絵を描くことにしたのは、線の代わりにメロディがある気がしたから。いや、線自体にも声はある。ただ、この世界が光あふれていること。それを表現するためには、光の形状だけではなく、光そのものがあふれている様子を、とらえる色が要ると思った。色は心の動きで、わたしの内面にあるもの。色を絵につけはじめたら、わたしが一層、紙のうえににじみ出てきた。今までふれてきた世界の線に対して、初めて言いたいことが言えた気がした。
 未成熟であやふや。古いノートにはわたしの、まだ固まる前の文体が残っている。多重に指定される言葉。ぼやけた意味。不規則な区切りの句読点。体が体自体にふれている。もう少し、外に出ようか。考えなかった。踊ろうか。もっと楽しく。そもそも何が楽しいのかわからなかった。書きなさい。書きなさい。その声が繰り返されていた。文章を綴ることは、糸で編むようだった。 一つ一つ長くでこぼこなテクスチャーを作っている。わたしは手が痺れて、いつの間にか、不完全な、不足した語彙が書こうとして、もがき始める。たったひとつの心のある瞬間のためだけの言葉が、できる。いつの間にか、疲れている。繰り返されている。夢か何か。
 眠る時、うまく眠ろうとか、眠らなきゃという気持ちを捨てて、ひたすらに頭の中を動かそうという気になった。そうしたら、すぐには寝つけないけど、考えはたくさんあり、考えなくて良いこともたくさんあるとわかった。
 そのどれとどれが言葉になるだろうと、考えはじめては忘れる。頭の中だけでは、考えない。紙に向かいあってから、文章は動きはじめるから。

 教室で私は、小さな携帯型の文字入力機を使っていた。キーボードではなく、タッチパネルの小さな文字盤の上で、親指を滑らせていた。いつも一番遅く、いつも後ろの席にいた。私の次に遅い生徒はいつもわたしひとりに勝つことを目標に、文字列を入力していた。とはいえ、わたしも夢の中で小説を書いていたから、その子が勝てない時もあった。だから、いつも授業のチャイムが鳴る直前に、めちゃくちゃな文字を打つの。わしにとって無意識とはこういうもの。ちゃんと書こうとした文意の先端を、最後の最後に汚すもの。そして、こんな所では使わないと、珍しく、あえて誓った。
 すっかり忘れてしまったことを引き出すためには、筆を動かして、動かして、私はあの子のようにめちゃくちゃな文字列を書いた。算数の先生に、あなたこれどう読むのと、きかれた。3と7が重なった数字だった。絶対に開けないと誓った宝箱。もう話すことはなくなっちゃったのかな、と思うほど、あなたと話した。でも、まだまだ先があった。あなたが本当にいわなきゃいけないこととはそこにあった。わたしがきかなきゃいけないことはそこにあった。だからわたしは、そのために残しておいた言葉と、言い切れなかったことを、あなたのために残しておいたものだと思って、書くことにした。それしか残ってなかった。もうない。だって、もうこの世界にはもうないのだから。
 冷凍された時間が、部屋にある。全員が黙っていた。モニュメントでも、アートでもなく。道具と文体と、身体は、貫くためだけではなく、ある場面に適応して柔らかく変化するためにある。ずっと同じ持ち方でペンを持っていたら疲れる。長く持つ、短く持つ、早く書く、遅く書く。鋭く書く、やわらかに書く、固く書く、跳ねる、飛ぶ、重ねる、折る、曲げる、揺らす、波打つ、消す、直す……
 具体的身体は、こんなにも形を変える。固い紙に固い身体じゃ役に立たない。わたしは、適度な弾性を探っている、と白い板を彼らに示した。踏ませた。失われた地を、失われたままここに残さなければと思う。町を復元する案もあった。そのどれよりも、失われたものを、失われたまま、ここに残すこと、それが良かった。わたしたちの心に空白という傷を残したこの場所を。
 時間、空間がなければ間がのこる。ま。とまる、のま。まった、のま。そのまま、のま。その声の間。生のままの声は一旦、わたしたちをそこに止める。一瞬さえあれば十分だ。その一瞬で、わたしたちは日常にひびが入るのを感じ取る。そのひびに吸い込まれて、自動的な何かなどないと知る。向かいあう。
 確かなことは、ひとつ書くたびにひとつ前に進むということ。ひとつ前に進めば道ができる。それさえあれば、わたしは間違っているのか、それとも正しいのか、振り返ってみることができるだろう。前に、前に、文章は進んでいく。どこまでも振り返って読むことができる。わたしはどこから来たか、どの道を辿ってきたか。文字は教えてくれる。
 だからわたしは辿り着きたい。この地の果てまで。果てがあるというのなら。この地の果てにはもう、何も書くことのできない地が広がっている。広がっている? いや、何もないのだから広がりもないだろう。ただそれがある。
 掃いて掃いて、掃いて掃く。わたしはそれで死んでいく覚悟がある。この地面を掃く。雨で濡れた時、風がちりを運ぶ時、太陽が照らす時も、ただひたすら繰り返す。繰り返しが、ただくりかえされるはずはないのだ。同じことは二度と繰り返すことはできない。その輪の中に、変わらないまま閉じこめられている。
 ひとつのことを、たとえわたしが望んだものではなかったとしても、誰かに呼ばれ、誰かがわたしを動かしてくれるなら、そうしよう。それをはじめから、わたしはするべきだったのだと信じることにしよう。迷い、名前も行き場もないこの道を。道というには、少し広すぎ、あてもなさすぎるこの道を。今日も疲れて、考えられなくなった頭で眠る。
 全てが切り変わる。あなたの好きな朝日がまた昇る。それにしても今日は良い日だ。すこし寒いけど。
 わたしがこうして書いた肉筆を、ちゃんとここに取っておこうよ。誰かがここから物語を拾い出せるように。まとめずに、示さずに。流れの底。忘れ去られる方に、とっておこうよ。それでも屈さずに書き続けようと思う。それを信じる。
 どうしてだと思う。もっと強くとか。もっと美しくとか。もっとすばらしくとか、わたしが思ったところで、全然関係ないことなんだよ。いかなる書き言葉でも、最初に書かれていることは変わらない。上質な紙であっても、何のペンであっても。タイプされたとしても。あなたの手と紙は踊ったのだし、踊った曲線が、ほらここに残っている。わたしは書いた。わたしは書いた。これからもっと、深いところへ。
 横になってみていた。ゆれを。表記のゆれを見ていた。変わらぬ、言葉。音は同じ、形はどれも違う。どうしたら海に神経が通う。生きているもの、目をひらくもの、ただようものがいて、それらがわたしたちの体のようなあたたかさを、どう得ようとするのだろう。太陽と、空気のやわらかさに包まれて、海はただゆれている。
 そうだね。想像の入れ子。ゆりかごのように、優しいままでいて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?