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with反出生主義

YouTubeをダラダラと観ていたら
〝反出生主義〟について取り上げられた動画を観ました
わたしの思う〝反出生主義〟について書こうと思います

物事に名前があるというのはとてもいいなあと思いました
この動画を見て「わたしのこの考え〝反出生主義〟っていうんだ、私と同じように思っている人がいるんだ」と思う人がいるだろうし、現にコメント欄をみてもそのようなコメントが多いなと感じました


ちょっとだけ昔話


私は幼稚園生のころからなんとなくだが「人から自分がどうみられているか」を気にしていて
小学校低学年の頃には、特にいじめられたとかそういうネガティブエピソードもないのに「わたしなんで生きているんだろう」と思いお気に入りのぬいぐるみを抱きしめながら号泣したことがあります

いわゆるHSPだったり、アダルトチルドレンみたいな気質が昔からあるな、と


「わたしなんて生まれてこなければよかったのに」
「生きることが悪なんじゃなかろうか」
「子供産むなんて私にはできない、こんなにも世界は残酷なのに」

こんなことを思うことも多々あります
特に生理前のPMSでメンタルが落ちまくっちるときなんかはひどい


この〝反出生主義〟を知って、思わず言ってしまったことがあって、、


「いや、これ、ジークやんけ!!」

https://dic.pixiv.net/a/ジーク・イェーガー
(ピクシブ百科事典)

名作「進撃の巨人」に出てくる<ジーク・イェーガー>の思想に似てるやんけ!!うほほほほほ!!(なぜか興奮する)
そう思ったのはわたしだけなのかしら…

「進撃の巨人」読んだことがないひとはぜひ読んでほしいですね


With反出生主義


反出生主義思想の人の話を聞いていても「え?だから?」と言ってしまいたくなる

その反面、「わかる〜超わかる〜」と頷いてもしまいます

私は反出生主義も出生主義(反出生主義の反対とでも言いますか)どちらも自分の中で持ち合わせている感覚です

そしてそれがどちらの方が強いとか、というのがないです

その日の出来事やその時のホルモンバランス、その日の気候なんかによって、「人が生きることは悪なんじゃなかろうか」とソワソワしたり「なーんくーるなーいさー!!」と陽キャになることもあります

反出生主義でもいいし、反出生主義でなくてもいいし、どちらかを忌み嫌うこともなく、どちっちも一緒に生きていこうね、っていう感じです


立ちはだかる反出生の意思


反出生主義のひとの話を聞いてみましたが「なんだかその先がないな〜」と思いました
反出生の意思を否定するつもりはないのですが、
私はそこで思想をストップさせるのは深みがないなと思ってしまいました

幾度となく立ちはだかる反出生の意思
「生きてても辛いことだらけなのにどうして生きているの」
「生きていることって悪だよね、どうして子供を産むの」
そんな言葉が刻まれた石碑がわたしの前に並々と立ちはだかります

石碑をスリスリして「そうだよね〜」と思うこともあるのですが、


わたしは、今、その石碑を抱きしめてあげることができます
その石碑がすごくトゲトゲしていても、
その石碑がすごくアツアツに熱を発していても、
わたしはその石碑を抱きしめられるな、と

根本のところはこんなイメージを持っているなと

その抱きしめるという行為の背景には
人に優しくしてもらったり、自分の存在価値を認めてもらったり、感動する映画や本を読んだり、音楽を聴いて涙を流したり、人の笑顔を見たり、
約30年でのそういう思い出や経験が、わたしをそうさせてくれている感覚です

だから、反出生主義も理解できるし、わたしにもその思想があるのだなと思います

そしてそれはHSPやアダルトチルドレンなわたしの部分があったからこそなんだなと思います

そしてこんなふうに考えている自分のことが好きだなと思います

そしてそれを自分の中だけで循環させるのではなく、アウトプットして行きたいなと

歳をとるにつれてどんどんいろんな考えに触れてどんどん自分が好きになっていくような気がします


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