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お葬式、楽しかった?

看護師を経験していると
少なからず誰かの死に触れることがあります

なんとなくではありますが、
今でもその人の人生を見届けた、ひと時は覚えています

泣き叫んで蘇生を訴えるご家族
食前の血糖値を測定した数分後配膳しに来たときには穏やかな顔で息が止まっている人
積極的に治療に取り組んでいた方の突然死

人に限らず大切な人の死というものは
特別なものに感じます


小学校3年生のときでした
クラスメイトの父親が亡くなられたため、クラスで代表して数人がお葬式に参加するということがありました
わたしはその時、人の死やお葬式ということへの具体的なイメージがよくわからず
そしてなんとなく小3にしてイキっていたので 
授業一コマ抜けてお葬式に参加したクラスメイトが教室に帰ってきた時に
「お葬式、楽しかった?」
と聞いたのでした

クラスメイトの驚く顔、担任の先生の怒張した顔
何を言われたかは覚えていませんが、すごくすごく怒られたのは覚えています

でも、わたしは
「なんで怒られたのか分からん」
「なんでわたしが怒られんといかんと」
と怒られたことに対して怒っていました


時はたち、2年前、わたしの祖父が亡くなりました
高齢でもあり、死に向かっていることは年々感じていたので驚くことはありませんでした
ただ、わたしは祖父のことが好きだったのでとても悲しい気持ちでした
祖父と2人で喫茶店に行ったこと(「ここのコーヒーはまずいのぅ」とどうどうと言ってた)、帰省した時は毎晩酔っ払っていたこと、楽しかった思い出をほっこりするような思い出を思い返して今でも泣いてしまいます

最近ふと、
祖父の死を経験したわたしが、
小学校3年生のわたしに「おじいちゃんの葬式、楽しかった?」
と聞かれたら、わたしはなんと答えるだろうと考えます

これだ!という答えにはまだ辿り着けていないのですが

でも、どんだけ考えても、小学校3年生のわたしを怒る
という選択肢は考えられないのです


祖父は仏教だったので(詳しい宗派は覚えていません)
お坊さんにお経を唱えてもらって火葬しました

アフリカかどこかの国では
お葬式ではみんなが踊ったり歌ったりして
亡くなった人が悲しまないようにフェスティバルみたいにして送る
というところもあるそうですね

おじいちゃんだったらどう思うんだろう

祖父を思うとき、祖父との楽しかった思い出、ほっこりするような愛を感じられるような思い出を思い出します

大切な人が死ぬ ということは悲しいことだけなのでしょうか
大切な人と過ごした時間や思い出を思い出すことは悲しいことなのでしょうか

悲しくなる気持ちの過程には、楽しかった、嬉しかった、愛された、愛した
そういうあたたかい気持ちがあるからこそ
その人がもうこの世にいいない、という現実が悲しくなるのではないでしょうか

大切な人の死を悲しいもの、辛いもの、でネガティブなもので止めないで
今の自分に繋げていけるといいなと思います


「お葬式、楽しかった?」
「うん、楽しかったよ、おじいちゃん無理やり口角あげさせられててさ。高い鼻の遺伝子をなんでわたしにくれんかったんやろって思うくらい鼻が高かった!」
「おじいちゃんあんだけ最後ご飯食べてなかったのに、骨はすごい立派やったよ」
「もうここにいないんだと思うと寂しいよ、また喫茶店に行って コーヒーまずい って悪態ついてほしいのに」
「きれいなお花を棺桶にいっぱい詰めてきてあげたんだ」
「楽しくはなかったけど、おじいちゃんとの思い出いっぱい思い出しちゃった、時々思い出して笑って泣いて、そうやって生きていきたいな」


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