063:モノとデータとのあいだでキズがはみ出していくような圧力🗜
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063:モノとデータとのあいだでキズがはみ出していくような圧力🗜

iPhone Xs のディスプレイのガラスにキズがついた📲 以前、iPhone7のディスプライのガラスを割ってしまったことはあったのだけれど、ディスプレイのキズははじめてのことで凹んでいる。とはいっても、小さなキズなので、あまり気にならないとは言えば気にならないのだが、まだ、朝起きるとキズが消えてないかなと探っては、キズがまだそこにあり、凹んでいる。

ディスプレイのキズというのは、バキバキに割れているわけでもなく、かといって、割れる前のツルッとした平面ではないという気持ち的に修理に出そうとも思えず、中途半端な感じである。キズは光のぐらいによっては消えているし、白背景でなければほとんど目立たない。iOSにもダークモードが導入されたキズはほとんど目立たないだろう。

ディスプレイの割れと同様にキズは、普段は気にもしていないガラスの存在を顕にする。私たちの指と画像とのあいだにあるガラスは、普段は透明であるがゆえに、存在感を消している。しかし、キズが入るとそこだけ画像の上にガラスというモノがあることを主張してくる。紙の写真や本📖でもキズはつきものである。お気に入りの本にシミをつけしまうと凹む。シミがつくのは1ページや多くても3、4ページである。スマートフォンのディスプレイのキズは常にそこにある。電子書籍を読んでいると、ページをいくらめくっても、キズはいつも定位置にある。画像でも同じである。どの画像にも同じ位置にキズがつくことになる。

「フィルム写真」とは、主に35mmフィルムカメラで撮影されたネガフィルムを、デジタルスキャナーを用いてスキャンし、データ化したものを指す。
今作は、ネガフィルムのスキャン時に発生/付着しスキャンデータ上に現れる細かな傷やゴミを、ネガフィルムが「フィルム写真」となった決定的瞬間の痕跡であると捉え、撮影したものである。
温室について FilmPhotography(About The Conservatory)、竹久直樹

多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コースの竹久さんは、ネガフィルムをスキャンするときについたキズを「決定的瞬間の痕跡」としている。たしかに、データにはキズはないような気がする。グリッチは「破壊」という感じであって、キズではない。キズは、ディスプレイやネガフィルムといった何かしらのサーフェイスが外部を巻き込んだ結果として生まれているのに対して、グリッチは内部から生まれていると考えられる。カメラ📷での撮影は外部をフィルムであれ、センサーであれ、何かしらのサーフェイスに巻き込む🌪ことなのだろう。

竹久さんの《温室について》では、キズやゴミはデータ化されて、画像の表面に定着していく。私のiPhone Xs のキズはデータではなく、ガラスというモノに定着したものである。竹久さんの作品がモノとしてのキズがデータのほうにはみ出して定着したものだとすると、iPhone Xsのキズはモノに定着していながら、その奥にある画像にはみ出ていったものとなるだろう。モノとデータとのあいだでキズがはみ出していくような圧力がどこかで生じていると考えられるのであろうか🗜

iPhone Xsのキズに限って考えると、これはモノの痕跡がインタラクションに影響を与えるものであろう。コンピュータの処理に関しては何も影響を与えていないが、キズを意識している私の行為は、どうしてもキズに引きずられてしまう。Mikael Wibergは『The Materiality of Interaction: Notes on the Materials of Interaction Design』で、インタラクションの物質性について論じている。そして、WibergはApple Watchのスピーカーの振動を用いた「水抜き」をインタラクションの物質化の例としてあげているけれど、スマートフォンのガラスのキズもまたインタラクションの物質性の一つなのではないか、というのは言い過ぎかもしれないけれど、インタラクションに影響を与えていることは間違いない。

Wibergはインタラクション自体の物質性を考えている。そのときに、インタラクションの要素とコンピューティングの要素とが絡み合ってインタラクションの形状や物質性をつくるとしている🔄 インタラクションの要素の部分にディスプレイのガラスというマテリアルが関わってきて、そこにキズがあるということは、コンピューティングの要素とも絡み合いながら、別のインタラクションの形状や物質性をつくりあげると考えられるだろう。インタラクションはヒトが行うもので、コンピューティングはコンピュータが行うものと分かれているのではなく、それは絡み合いながらインタラクションの形状と物質性をつくりあげるのである。だとすれば、ディスプレイについた小さなキズは、インタラクションに影響を与えながら、コンピューティングとキズなしのガラスとは別の仕方で絡み合って、あらたなインタラクションをつくりあげていくのだろう🔂 そして、そのあらたなインタラクションを継続していくなかで、キズを特に意識しなくなると、そこでもまた別の形状や物質性をもっとインタラクションが出来上がっていくのだろう。

閑話休題
別にキズを撮影した画像をこのテキストのカバー画像にしたのだが、ガラスのキズはiPhone Xsから離れて、このテキストを書いているiPad Proのキズのように見えてきたのだから、キズはぐるぐる🌀と回り続けるのだろう。

ここまではモノに定着したキズが画像にはみ出していった私のiPhone Xsの話であるが、モノに付着したキズがデータにはみ出し、そこで定着された竹久さんの作品を見たに何を考えるのだろうか? そこにあるキズはモノとしてインタラクションの特徴の一つなのだろうか、それともデータに定着したコンピューティングの要素の一つなのだろうか? おそらく、これらは一義的に決定できないで、Wibergの図のようにぐるぐる🔁と回り続けるものなのだろうと、竹久さんの作品を見る前の私は考えている🧐


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神戸の女子大教員